昼間は晴天だった空に、今は朱混じりの黒々とした雲が埋め、広がり始めている。その空間から降り立つように姿を現したのは、同じ顔立ちをした二人の男だった。
 一人は吊り上がった太眉と目の(しか)め面に、長い髪を首元でねじり後ろに纏めた、青黒い肌の恰幅良い大男。
 もう一人は赤褐色の肌に同じく太眉と吊り目の(いかめ)しい顔立ちだが、赤茶けた髪が炎の如く逆立つ筋肉質の大男。額に黒々と輝く石が嵌め込まれ、腕が六本ある姿が印象的だった。
 二人共に数珠玉を左手首に巻き、肩から布を腰に巻き、同じ仕様の剣を腰に携えている。出で立ちは対称的だが、どこか似通った荘厳な雰囲気を纏っていた。

「おお。厄神明王殿……! 御二方、ご覧になられておりましたか」
「この厄病神から、我らの尊巫女を奪還したいのです。どうかお力をお貸し下さいませ」

 ……厄神明王(やくじんみょうおう)。いつか荊祟から聞いた、界を持たないという稀な神の類。厄祓い、災厄を抑制する力を持つ神々だという。どちらが愛染(あいぜん)明王、不動(ふどう)明王なのかは不明だが、今のアマリに尋ねる余裕はなかった。

「……申し訳ないが、お断り致す」
「……は?」
「お見受けしたところ、伺っていた話と少々異なります故」

 青黒い身体の坊主頭の男が、牙を覗かせた口から、覇気ある声音で返す。

「な……貴方方、仏は、救いを求める者に手を差し伸べるという務めがあるのでしょう?」
「『()()妖厄神に娘を(かどわ)かせられた我らに、どうか力を貸してほしい』とのお頼みであったが…… 始め、貴方方が、娘を刺客として彼に差し出したとの事」
「それは……!」
「そして、妖厄神殿はどうやら娘殿に絆され、自らの意思で彼女が神界に留まる事を望んでおられるようで」

 青黒い男に続き赤褐色の男が丁重に、それでいて感慨深そうに現状を表す。

「さ、左様でございます‼ 何かの企みでございましょう。娘は暗示でもかけられ、(たぶら)かされたに違いありません。どうかお助け下さりませぬか」
「そもそも、厄神明王ともあろう御二人は、厄病神なぞの申す事を信じられるのですか」

 息巻きながら弁解するアマリの両親に、青黒い男――不動明王は、哀れみと呆れの混じる眼差しを向けた。一息つき、重厚ある口調でありながらも、清閑に告げる。

「我らにはそうは見えぬ。少なくとも、呪いの類の気は、あの娘から感じぬ」

 きっぱりと言い切る不動明王に、信じられないと言いたげな面持ちの二人は、狼狽した。自分達が知り得る妖厄神の在り方と、現状が一致しない。

「そもそも、我らは特定の種の味方ではないのだ。前々から興味深くみていた妖厄神殿という存在に、『娘を(かどわ)かせられたからお助けを』という、『神に携わる人族』からの()()故に応じたまで」

 続けて告げられた言葉に、彼らは錯乱した。自分達の思惑、予定が狂った事、忌み嫌っていた者への認知の違いに狼狽えている。……が、認め、正す事はし(がた)く、未だ(ゆる)す事は出来ない。
 厄神明王の二人は、そんな人族を歪な煩悩まみれの生き物だと認識していた。

「……お取込の最中に申し訳ないが」

 荊祟は自身のざわめく心情は隠し、改まった口調で告げた。

「既に……稲荷の界と交渉が進んでいる。そなたの娘は、富豪の妾になると決まっているのだ」

 荊祟の言葉にアマリも現状を思い出し、悲しげな、それでいて熱ある眼差しで彼を見た。
 そんな彼女を、赤褐色の男――愛染明王が少し驚いた素振りで、凝視する。額の石が煌めいた。

「な、何だと⁉」
「そ、そんな話、絶対に許しません‼ いくら神界の者とはいえ、神通ある血統の尊巫女が、め、妾など……‼」

 般若から赤鬼の形相に変わり、今にも卒倒しそうな母を、痛む胸元を抑えていたアマリは、更に哀しく複雑な思いで見た。

 そんな彼女の心境を見透かした荊祟は、呆れた眼差しと冷淡な口調で一蹴する。

「何を今更。貴女方、人族が忌み嫌う俺に差し出しておいて」
「……‼」

 完全に荊祟への憤怒と憎悪を(あらわ)にし、アマリの両親はわなわな、と唇を噛み締め、恨めしげに睨み付けた。

「兄上」

 呆れを含ませた口振りで、不動明王が切り出す。

「この件……我らが力を貸さずとも良いのでは。もうお暇しましょうぞ」
「まあ、焦るでない。不動」

 愛染明王が、眺め回すように周囲を一見する。

「皆の衆、そして妖厄神殿」

 終始、(しか)め面を崩さないでいた愛染明王は、突如意味ありげに笑みを浮かべ、清閑に言い放った。

「――では、この尊巫女は、我らが貰い受ける、というのは如何(いかが)か」

 その場に居合わせた者全員、特にアマリの両親は動揺し、耳を疑った。荊祟に至っては、驚愕とは別の衝撃を受け、瞳孔が開く。

「兄上⁉ 何を……⁉」
「我らは稀な存在と()われるが、妾は置かん。双方にとって悪い話ではなかろう」
「……た、確かに、そうでしょうが……」

 不動明王までが戸惑う程の発案。騒然となった場の中、口火を切ったのは荊祟だった。

「愛染明王殿。不動明王殿。――お二人、どちらかの伴侶にでもなさるおつもりか?」

 ちりつく鈍い痛みを抑え、神妙な声音で問うが、愛染明王は変わらず、不気味とまで感じる不可解な笑みを浮かべたままだ。

「今は判らぬ。異能の効力は伺ったが、実際に力を発揮して貰わねば。……だが、萌芽促進の素質を持つ尊巫女という存在は興味深い。そぐわぬ場合は、贄……又は即身仏(そくしんぶつ)になって頂くやも知れませぬが」
「……⁉」

 とんでもない話に、荊祟は絶句する。これではアマリが窮地に置かれる事態に変わりは無い。

「そもそも、尊巫女という契約の(ゆかり)は、人族の利だけで続いてきたのではない。『最適な雌雄(しゆう)(つがい)』として迎えた例もある。これから関係を深める道もありましょう」
「兄上……」

 ちらり、と愛染明王が荊祟の顔を見やりながら補足した。暗に彼の両親の事を揶揄(やゆ)している。尊巫女である人族の母の誘惑に堕ち、伴侶にした厄神だった父。愛も情もない、私利私欲と従属関係のみで至った婚姻……
 そんな例は過去の歴史にもあったが、彼らはアマリと似た関係を築く可能性を示しているのだろうか。そんな光景を想像した刹那、荊祟の脳天に血が上った。

「萌芽促進の素質もですが……恋を知った尊巫女。我、愛染明王の伴侶として迎えるに申し分ない」

 再び、これには人族は勿論、カグヤ以外の厄界の者までが騒然となった。こんな形ではあるが、アマリの気持ちを然りと示された荊祟は、喜び反面、強い憤りを感じた。彼女の尊厳への配慮は皆無ではないか。

 一方、秘めた想いを知られてしまった当人のアマリは、今すぐ消えてなくなりたい衝動に駆られ、涙ぐんだままうずくまる。出来るなら大切に閉まっておきたかった想い。憐れみの目を傍のカグヤは向けた。

「兄上……他の者に心を寄せていても構わぬのですか」
「構わぬ。巫女殿には気の毒だが…… 元より神と尊巫女の契約に、そのような情は必ずしも必要ではなかったはず」

 種族の壁を越え、蜂の巣を突いた如くの場の中、舵を切り出したのは、意外にもアマリの両親だった。

「……そ、そうですね。確かに……ねぇ、あなた」
「うむ……厄神明王様のような方々になら、差し上げても……」

 稀な神と謳われる彼らとの繋がりを築くのも悪くないと踏んだのか、前言撤回、アマリの両親は厄神明王の話を受けようとしている。

 当人の意思など既に蚊帳の外だが、相変わらず繰り返されている酷な話に、今のアマリは奈落に突き落とされた気分だった。
 何も変わらない。変わっていない。どう転んでも、場所が変わっても……

 虚無に落ちたアマリの姿を、荊祟は無力感に打ちのめされながら見ていた。一方、初めて感じる轟々(ごうごう)と猛る塊が込み上げ、自身を呑み込んでゆく様に戸惑う。――刹那。

 (嗚呼、コレハ神ノ救イダ)

 (コレデ、何モカモ終ワル。上手クイク)

 びくん、と荊祟の(こめ)かみが動き、全身がざわり、と(しな)った。

 (我ノ不幸ハ、全部アイツノセイ)

 (消エテシマエバ良カッタノニ)

 (死ネ 死ネ 死ネ)

 対峙してからずっと感じ取っていた人族から次々と放たれる敵意、悪意。それらが突如、荊祟にしか見えない波動に変わり、膨れ上がり始めた。

 (本当ニ、アノ子ハ厄介ダッタ。モウ諦メタ)

 (始メカラ、生マレテ来ナケレバ)

 (最後クライ、役立テ)

 一際、強烈な傲りと憎しみのこもった念が一集した。巨大な塊と化し、荊祟に向かってぶつかり――爆ぜた。
 刹那、耳をつんざく轟きが貫き、荊祟の意識は無空に飛ぶ。

 ――……黙レ。イイ加減ニシロ。屑共。

 爆ぜた後の残骸は、どす黒い硝煙を漂わせ、少しずつ荊祟の内に忍び込む。

 ――コイツラニ、生カス価値ガ、本当ニアルノカ? ……許セン‼ 許セン‼

 残骸は燻り、まだ燃えていた。炎の無い業火の如く熱く、消えない。

 ――……()


「……グッグハッ」
「荊祟様⁉」

 アマリはカグヤと共に驚きの声を上げるが、彼女らの声は聞こえていない。両の腕を掲げた荊祟は、天を見上げた。

「グッ……フアッ……ハハハハッ……ハハハハアァッ……‼」

 刹那、狂ったように(わら)い出した。その声が高らかに成るに連れ、空に在った漆黒の雲が渦巻き出す。辺りが闇色に覆われ、彼が佇む場を中心に、禍々しい気配が漂い始めていた。