一週間弱が経ち、ようやく体調が治まった頃、カグヤから荊祟(ケイスイ)からの伝言を預かったと、アマリは聞いた。近日中に御用達の呉服屋を呼ぶから、着物を仕立てる布地を選べという事だった。

「そんな。置いて頂けるだけでも、十分ありがたいですのに……」
「ずっと客人用のお着物と寝間着でしたからね。此処(ここ)で暮らしていかれるには足りないと、長様も気にされたのでしょう」

 あくまで自分は居候の身だと、遠慮するアマリに、カグヤは苦笑しながら付け足す。

「とは申すもの、尊巫女が献上されたという噂は、界に広まっているので、暫くは迂闊(うかつ)に外に連れてゆけないので申し訳ない、との事です」

 そもそも、この屋敷には女物の着物が一枚も無かった。カグヤ始めくノ一は基本的に忍装束、女中は通いの者ばかりで、男所帯だからだという。荊祟の両親は既におらず、兄弟姉妹もいない為、貸せる物も無いらしい。
 恐れ多すぎて借りるつもりはなかったが、母親の形見も無いのだろうか……と、アマリは少し疑問に思った。彼は人族との混血だ。母は、おそらく尊巫女……自分よりも先に厄界に出され、長の伴侶になった人物。どんな人柄で、どのような異能を持っていたのかが、とても気になる。
 神族、特に長の寿命は長いと聞いていたが、何故、父である先代の長もいないのだろう……

 ――あの方は、どのくらいの年月を、たったお一人で過ごしていらしたのかしら……

 彼にも色々複雑な事情があるのだろうと察していたが、以前の自分の生き方と、どこか重ねてしまう。種族も、環境も、生まれ持った能力も違う。しかも、自分達人族の天敵……
 それなのに、厄病神――荊祟の在り方を、そんな風に捉えている自身に戸惑う。それでも、もっと彼の事を知りたい……と、今のアマリは考えていた。


 二日後。貫禄ある年配の男と共に、荊祟がアマリの部屋までやって来た。彼……呉服屋の主人は、大きな荷物を抱えた従者を連れている。

「長様。この度のお気遣い、誠に感謝いたします」
「気にするな。大した品を与える訳ではない」

 開口一番、丁重に頭を下げ、申し訳なさそうに礼を述べるアマリに、荊祟は素っ気なく返す。打掛(うちかけ)などの晴れ着ではなく、普段着る小袖を数着作るとの事らしいが、それでも十分居たたまれなかった。

「はは、荊祟殿。こちらは仰天致しましたぞ。久方ぶりのお呼びでございました故、何事かと思いましたら、女の着物をご所望との事。しかも、噂の尊巫女様ではないですか」

 二人のやり取りを見ていた主人に言われ、居心地悪そうに目を反らした彼に、不覚にもアマリの胸は高鳴り、じわり、と喜びがわいた。
 尊巫女の存在をよく思わない者もいると聞いていたが、この男は荊祟からどう聞いていたのか、敵意は感じない。気さくな振る舞いで、従者に荷物をほどき、中身を出すよう指示している。

 間もなくして、深緋(こきひ)紫紺(しこん)水縹(みはなだ)、薄紅梅、花葉(はなば)色…… 鮮やかな反物の数々にアマリの視界が彩られ、圧倒された。梅、水仙、椿などの旬の花柄が、更に華やかにする。

「さあ、いかがなさいます? 貴女様でしたら……桃色や淡い紫、()のお色……瑠璃を基調にしたのやら、花を刺繍した衣が、大変お似合いかと存じます」
「……申し訳ございません。何を選べば良いか……わからないのです……」

 饒舌に品を勧めてくる主人に、アマリは困り果てた。申し訳なさと情けなさで、すっかり小さくなっている。

「それに……本当に似合うでしょうか……」
「合う合わないは気にするな。好む色や柄で良い」
「好む、色……」

 荊祟の言葉に、更に頭の中が真っ白になった。考えられない、浮かばない以前に、思考が停止して動かない。ずっと、正装から日常の衣装、装飾品まで全て、母や侍女の選択に任せ、(ゆだ)ねていた。
 自分が何を好むか、どんな趣向かなど、考えた事も気にした事もなかった。そんな自由すら与えられなかったのだ。

「……暫くは、屋敷内でしか着ない代物だ。お前が好きに選べ」

 珍しく、そんな優しい言葉をかけてくれる荊祟に、アマリはますます錯乱して困惑する。色とりどりの反物を、一つ一つ、丁寧に凝視するしかなかった。
 ふと、柔らかな(こうじ)色の布地に、薄紅の山茶花(サザンカ)が所々、控えめに刺繍されている反物が目にとまった。実家で見る事が叶わなかった、憧れの花……

「これが()いのか?」

 じっ、と憑かれたように見入るアマリに気づき、荊祟は尋ねる。我に返り、彼を見て慌てて頷く彼女に、主人と傍にいたカグヤが微笑む。
 その後は、結局、いつまで経っても選べなかったので、荊祟が残り二着分を選んだ。(あけぼの)色という淡い桃色に、白梅が刺繍された衣、葵色と月白(げっぱく)の格子柄の衣。そして、簡素な(くし)と手鏡が追加された。


「仕立てに数日かかりますが、なるべく早くお届け致します故、どうかご容赦を」

 そう丁寧に詫びつつ、満足したように帰って行く主人と従者を見送り、部屋に戻った後、アマリは恐る恐る、切り出した。

「あの方……私に敵意を向けられていませんでした。ご商売上という事も、ありますでしょうが……」
「あれとは父の代から付き合いがある。信頼関係のある男だ。これまでの事、お前の人となりを話した所、少なくとも、自ら我らに害をなす事は無いと理解してくれた」

 彼が自分を信用してくれた事がわかり、不意に胸の奥が温まる。だが、他の者はどうだろう。暗に自害を促した彼の側近始め、自分がここに存在する事を懸念する者だって、いておかしくない。

「……お前と話した側近の件はカグヤから聞いた。あの男も父の代から仕えている者だ。俺と界の行く末を案じての言動だろうが……」

 そんなアマリの心境を読んだように、荊祟は苦い顔で続ける。

「いえ。致し方ない事だったと考えております。私がこの界の不安材料な事に変わりはありませんから……」

 ()()()から、ずっと複雑な思いでいる。尊巫女……人族としての自分と、彼を始めこの界の者達に救われた自分が、同時に存在している事に戸惑い、混乱していた。
 あの側近の者が言った通り、状況が変わらない事で人族の不信を買い、争いを招いてしまう事が、一番恐ろしい……

「災厄を免れたくお前を差し出した者達が、戦という大惨事を自ら引き起こすとは思えん。じきに何かしらの苦言は申してくるだろうがな。奴らが余程の阿呆(あほう)でなければ、の話だが」

 はっ、とアマリは荊祟を見た。確かにそうだ。怒らせてしまうだろうが、少なくとも最悪の事態は招かず済むなら、まだ救いがある。

「奴には同じ事を言い含めておいた。それでも、少々渋い顔をしていたが…… お前が何か仕出かさない限り、ここに居る事は許可するだろう」
「長様…… 本当に色々とありがとうございます。どうお返ししたら良いか……」
「決めたのは俺だ。お前が気に病む必要は無い。……それより」

 深々と頭を下げ、改めて礼を言うアマリに、荊祟は不可解な意を向ける。

「自分の着物一つ選べないのは、相当だな」

 返す言葉が無く、アマリは俯く。自分がとことん情けなくて仕方ない。

「少しずつで構わん。これから訓練したら良い。……自分の意思を持て、と言ったろう」
「……はい。ありがとうございます……」

 言葉は厳しいが、その内には気遣いや優しさが含まれている。その事に気づいてから、アマリは彼といる時間に安堵を抱き始めていた。

「ところで…… 何故、あの色を選んで下さったのですか?」
「特に意味は無い。お前が選んだ物と色合いが似ていたのと、瞳の色に合わせただけだ」

 途端に視線を反らし、少し上擦った声で、そんな弁解を始める荊祟の姿が、可笑しかった。『忌まわしい力を持つ恐ろしい神』には、とても見えない。

「お前こそ…… 何故、あの仕様を選んだ? やけに熱心に見ていたではないか」
「えっ、と……あの」

 やり返された気分だ。今度はこっちが狼狽(うろた)える。指摘されても仕方ない位、分かりやすく見ていたし、彼にそんな意は無いのだろうが……

「さ、山茶花、好きなんです。実家の庭にあって、毎年、咲くのが楽しみだったので、それで……」
「……そうか。好きな花はあるのだな」

 まさか真の理由が言えるはずもなく、『我ながら、丁度いい塩梅(あんばい)の言い訳ができた』と、安堵するアマリだった。