「かしこまりました」
店主が調理場の棚から酒用グラスを用意し始めるを見て、董子の口元に苦い笑みが浮かぶ。
「いただきます」と答えたものの、董子は内心、苦手を顔に出さずに日本酒を飲み切れるか心配だった。
(出してもらって飲めなかったら失礼だよね。誘われたら、はっきり断りきれない。私はいつも、こういうところがダメなんだ……)
いつだって頭の中には冷静な考えがあるのに、最後には結局流されしまうのが董子だった。
店主の瞳の色によく似た菫色の酒用グラス。苦手な日本酒の苦みが舌先に触れるのを予想しつつ、グラスの中身をひとくち含む。
だがそれは、思いのほか、とろりと甘く。董子の喉を流れていった。
「おいしい……」
日本酒を飲んだ董子の口から、自然とそんな感想がこぼれる。
「よかったです。そちらのお酒はフルーティーで飲みやすいんですよ。ふだん、日本酒はあまり……という方にもおすすめです」
やんわりと微笑む店主の言葉に、董子の胸がまたドキリと鳴った。
サービス業をやっていると、人の心の動きを敏感に読み取れるときがある。
アパレルブランドのショップ店員をしていたかつての董子も、店に来た常連のお客様の言動からその人の購入意欲を予測して接客することがあった。
だが、それにしても……。綺麗な顔をしたこの店の主の洞察力には驚いてしまう。
今の店主の口ぶりはまるで、董子の味の好みをよく知っているみたいだった。
甘やかな笑顔や、穏やかで優しい口調、さりげない気遣い。そういった店主の些細な言動が、どうにも董子の心を惑わせる。