(こんな私、お母さんも呆れてるかな)

 瞼の裏に、優しく微笑む母の顔がふと思い浮かんで。そうすれば無性に、母の作った料理が食べたくなった。

「肉じゃがと、豚汁――」

 皮を剥いただけの小ぶりのじゃがいもがごろごろたっぷり入った甘くて濃い味の肉じゃがと、ごま油とほんのり甘いさつまいもの香りが漂う豚汁。

 それが、実家にいるときは最低でも月に一回は食卓に並ぶ母の定番料理だった。

 あの頃は、食卓に座れば出てくる母の手料理をあたりまえの顔で食べていたが、今となっては、母がよく使っていたなんの変哲もないアイボリーの和食器や大型スーパーの催し物でお買い得だったという味噌汁用木のお椀ですら思い出深くてなつかしい。
 
 母の料理を脳裏に思い浮かべる董子の口の中に、唾液とともにじんわりとなつかしい味が広がっていくような気がする。

「肉じゃがと豚汁ですね。かしこまりました」

 ふいにはっきりとした男性の声が耳に届いて、董子は夢から醒めたように目を開けた。

「それでは、メニューはこちらでお預かりします」

 店主が、董子の手からすっとメニューを取り上げる。少しの隙もない男の動きにやや茫然としていると、まもなく董子の前にアイボリーの小鉢が出てきた。

「本日のお通しは、レンコンのきんぴらです」

 黒い木の箸とともに出された料理に、董子は目を瞬いた。

 董子がメニューの前で目を閉じているあいだ、カウンターの向こうの店主が動いているような気配は感じられなかった。

 店には、作務衣の店主以外に店員の姿はない。

 董子が店に入ってきたときも、カウンター席に座ってからも目の前の店主が調理をしたり、料理を盛り付けているような様子はなかったのに。いつのまに、準備したのだろう。