◇◇◇
この村で代々長となるべき霊能力を備えた家系のひとつ、御護守家。
御護守家に生まれた双子の姉弟、優と雅。
その能力は幼い頃から目を大人も見張るもので、二人はそろって将来が期待されていた。
霊をあるべき空へ向かわせるために用いられる霊能力は大きく分けて三つに分類される。
霊を祓う「滅却」、霊を下ろす「憑依」、霊を取り込む「融和」。
ことにこの村の霊能力者は、憑依および融和を用いた除霊能力が抜きん出ていることで界隈では有名だ。
術の力に差はあるものの、この村の大本の除霊方式は件の霊を自らに憑依・融和させ、この世の未練を語り聞くことで本人も納得の上で空へと向かわせる。
本来すべての除霊がこうあるべきだと、子どもながらに思っていた。
無理にこの世から祓ってしまっては霊たちが気の毒だと。
そしてそれが理想論であることも、どこかで薄々気づいていたのだ。
──現時点では、優の霊能力が他同世代と比べて一つ抜きん出ているなあ。
横にともに並んでいた雅はまるで自分のことのように誇らしげに笑っている。
森の長に告げられ、優はほっと胸をなで下ろした。
これで、この子には無闇に心を傷つけさせないで済む。そう思ったからだ。
雅は他の誰よりも心が優しく繊細な子だ。
行き場をなくした霊に、寄り添いともに怒り涙し心を尽くす。それが報われるならそれが一番だろう。
しかし残酷なことに、その気持ちに報いる気が一粒も見られない者もいる。
──優のことは、これからも俺と葉月が全力で支えるからね。
──うん。ありがとう、雅。
そんな事故を、これからも起こさないようにしなくては。
──優、大好きだよ。
──うん。私も、雅が大好き。
これからもずっとずっと、私がこの子を守る。
姉であるこの私が、お父さんとお母さんの分まで。
──優……!!
そう誓ったはずなのに。
結局私は、あの子に大きな十字架を背負わせてしまった。
◇◇◇
静かな漆黒の海に、ぽたりと温かい雫が落ちる感覚がした。
封術は神経を至高にまで研ぎ澄まし、対象物に感覚のすべてを委ねなければならない。
きっと今ごろ自分音背中には小さな傷跡がいくつもつけられていることだろう。
幸いなことに、その痛みも今は感じない。
じゃあ、これは一体何だ?
背中に感じるのは痛みではなく、春風のようにふわりと柔らかな温もり。
紺羽織を介してほのかに感じるそれに、雅は双眼を閉ざしながらもその正体を探っていた。
霊体の仕業ではない。
もしもそうならば今身を包んでいる霊気が看破している。
霊でないのならばなんだ。
物の怪でもない。
匂いが違う。
まさか、人間?
「あーあ。本当、昔と変わらないねえ」
すんでの所で、まぶたを開くところだった。
しかし今双眼を開いては、冥道の穴を封じる術が無に帰してしまう。
ぐっと改めてまぶたに力を込めた雅は、細く長い息を吐き心中の平穏を呼び戻した。
「相変わらず無茶して、怪我も平気でして、人のために身を挺して」
ああ、間違えるはずはない。
どこかのんびりと間延びしたした口調。
この人に少しでも近づこうとして無意識に真似てきた語り方。
でも、この声は──。
「……優……?」
「うん。だよ。久しぶりだねえ、雅」
今度こそ、背中に隙間がないように一回り小さな背中が触れる。
懐かしい感触だった。幼い頃もよくこうして様々な術を鍛え上げてきたのだ。
いつか二人の力を結して村を守るときのために練り上げてきた。誰かの幸せを守るために。
「想像以上の色男になったね。ということは、やっぱり私も生きていればかなりの美女になっていたのかなあ」
「……自分で言うかなあ。優のほうこそ相変わらずだね」
「そうだねえ。私が死んでからこれまで、どうだった?」
酷なことを聞いてくる姉だ。
小さく苦笑を漏らす。
「地獄のようだったよ。みんなが優しくしてくれればくれるほど、心が剥がれ落ちていくみたいだった。村にいることもできなくなって、結果俺は自分のあとのことを葉月に押しつけて村を出た」
「うん。その辺の事情はなんとなく聞いてるよ。こうして毎年帰っていたからね」
ふふ、とどこか嬉しそうに語る優は、やはり強い。
背中合わせになった術はその力が倍近くに膨れ上がり、見る間に自分にかかっていた負荷が軽減された。
背中に感じていた僅かな衝撃も今は感じない。
これを好機とみて集った悪鬼たちは、優が軒並み排除しているのだろう。
「私が知りたいのは、それからあとの話。村を出た弟が、劇団拝ミ座を立ち上げ、再びこの村に顔を出すようになった理由とかね」
「そうだなあ。また、誰かを救いたいと思ったからかな」
村を出た直後は、もう二度と霊能力を使わないと決めていた。
その使い方を見誤ったために大切な姉は命を落とした。
自分にはもうそれを使う資格などないのだ。そう思っていた。
「でも、越した先でもたくさんの出逢いがあった。同じように霊能力を持って生まれた和泉や、どうか力を貸してほしいと願うたくさんの霊たち。たくさんの出逢いの中で、自分がこの力を持って生まれたことに、やっぱり意味はあるんだって思えた。そのことから、目を逸らし続けてはいられないと」
人を守るために、強くなりたい。
もう二度とあんな無力感に身を落とさないように。
結局自分のためかもしれないが、それでもいいのだ。
空に帰る霊の穏やかな笑みを見るたび、雅の心の傷は温かく癒えていく気がした。
「だから、この村のお役目にも復帰した。一発殴られるかと思ったけれど、葉月も村の人もみんな俺を受け容れてくれたよ」
「葉月はチャラそうに見えるけど、いい奴だからね」
「うん。いい奴だ」
ふふ、と笑みが漏れたのは同じタイミングだった。
ここに葉月がいたのなら「さすが双子」とにやつくところだろう。
「それにしてもなんだろう。今年は何だか、雅が変わった気がするね」
「そう思う?」
「うん。思う。去年までの雅は、自己犠牲の精神が強くてねえ。ちょっと見ていられなかったから」
「はは、そんなに酷かったかな」
笑って返すも、反応はない。
こちらからの答えを待っているということか。
「そうだね。ある人と約束をしたからかな」
「約束?」
「うん。拝ミ座の仲間になってくれた、小清水遥ちゃん」
瞬間、触れあっていた背中がほんの僅かに揺れた。
雅の口元に、ふわりと柔らかな弧が描かれる。
「優を死なせたことが堪えたからか、今でも俺、全部の能力が戻ってるわけじゃないんだ。滅却術と憑依術は完全に戻ってるけれど、融和術だけがどうしても戻らない」
「……あの少年の霊は、雅をだまそうとして近づいたわけじゃないよ」
「わかってる。でも、心のどこかで残ったままなんだ。友として信じていた霊に裏切られたという疑念が。そんな捻くれた奴が、融和術を使えるはずがないよね」
瞳を閉ざしたまま、雅は見えない夜空を仰ぎ見る。
自分を支える小柄な背中に、雅は僅かに寄りかかった。
「遥ちゃんに出逢ったとき……まるで、昔の俺みたいだって思ったんだ」
──例え一瞬のことだって、その人と一心同体になるんです。
その言葉には聞き覚えがあった。かつて、幼い自分が口にしてきた言葉にそっくりだったから。
素直で、実直で、純粋。
突き抜けるような晴天のように、遥は人のために迷いなく光を注ぐ。
「遥ちゃんは、俺がなくしたものを全部持ってる人だ。他者への信頼も共感も優しさも。だからこそ、守りたいって思った。今度こそ誰にも奪わせはしないってね。だから、初めて憑依を手伝ってもらうときに約束したんだ。俺が命を懸けて君を守るって」
「……」
「誰かを守ると決めた人間が、生きることに投げやりでいるわけにはいかないでしょ?」
思い返せばあのとき彼女と出逢ったことで、何かが変わり始めたのかもしれない。
それまで刹那的に依頼を繰り返していた被憑依者のなかにも、こちらの事情を汲んでまた協力すると言ってくれる者もあった。
しかし、雅は二度と再び被憑依者として声がけすることはしなかった。
他者に期待しすぎると、自分勝手に傷を負う。
他者に心を開くことを、雅は何より恐れていた。
「だから、心から感謝してる。彼女のおかげで、ようやく止まっていた一歩を踏み出すことができた」
前方にかざしていた両手のうちの一つが、いつの間にか背後にいる者の手をそっと包んでいた。
それにピクリと反応した一回り小さな手が、ほんの僅かに雅に指を絡ませる。
「……その割には、今も随分と自己犠牲的な方法も選んでいたみたいだね」
「はは、そうだねえ」
「拝ミ座の仲間に心配を掛けないようにって、無茶をしすぎるのも度が過ぎている、と思う」
「それは仕方がない。大切な人には、笑っていて欲しいでしょ?」
「……っ、雅さんの、頑固者」
背中に触れる細い肩が小さく震えるのを感じた。
まぶたを閉ざした中で、徐々に昇ってくる朝の光を感じる。
その白い光に包まれるようにして、幼い姉の嬉しそうな笑顔が見えた。
この村で代々長となるべき霊能力を備えた家系のひとつ、御護守家。
御護守家に生まれた双子の姉弟、優と雅。
その能力は幼い頃から目を大人も見張るもので、二人はそろって将来が期待されていた。
霊をあるべき空へ向かわせるために用いられる霊能力は大きく分けて三つに分類される。
霊を祓う「滅却」、霊を下ろす「憑依」、霊を取り込む「融和」。
ことにこの村の霊能力者は、憑依および融和を用いた除霊能力が抜きん出ていることで界隈では有名だ。
術の力に差はあるものの、この村の大本の除霊方式は件の霊を自らに憑依・融和させ、この世の未練を語り聞くことで本人も納得の上で空へと向かわせる。
本来すべての除霊がこうあるべきだと、子どもながらに思っていた。
無理にこの世から祓ってしまっては霊たちが気の毒だと。
そしてそれが理想論であることも、どこかで薄々気づいていたのだ。
──現時点では、優の霊能力が他同世代と比べて一つ抜きん出ているなあ。
横にともに並んでいた雅はまるで自分のことのように誇らしげに笑っている。
森の長に告げられ、優はほっと胸をなで下ろした。
これで、この子には無闇に心を傷つけさせないで済む。そう思ったからだ。
雅は他の誰よりも心が優しく繊細な子だ。
行き場をなくした霊に、寄り添いともに怒り涙し心を尽くす。それが報われるならそれが一番だろう。
しかし残酷なことに、その気持ちに報いる気が一粒も見られない者もいる。
──優のことは、これからも俺と葉月が全力で支えるからね。
──うん。ありがとう、雅。
そんな事故を、これからも起こさないようにしなくては。
──優、大好きだよ。
──うん。私も、雅が大好き。
これからもずっとずっと、私がこの子を守る。
姉であるこの私が、お父さんとお母さんの分まで。
──優……!!
そう誓ったはずなのに。
結局私は、あの子に大きな十字架を背負わせてしまった。
◇◇◇
静かな漆黒の海に、ぽたりと温かい雫が落ちる感覚がした。
封術は神経を至高にまで研ぎ澄まし、対象物に感覚のすべてを委ねなければならない。
きっと今ごろ自分音背中には小さな傷跡がいくつもつけられていることだろう。
幸いなことに、その痛みも今は感じない。
じゃあ、これは一体何だ?
背中に感じるのは痛みではなく、春風のようにふわりと柔らかな温もり。
紺羽織を介してほのかに感じるそれに、雅は双眼を閉ざしながらもその正体を探っていた。
霊体の仕業ではない。
もしもそうならば今身を包んでいる霊気が看破している。
霊でないのならばなんだ。
物の怪でもない。
匂いが違う。
まさか、人間?
「あーあ。本当、昔と変わらないねえ」
すんでの所で、まぶたを開くところだった。
しかし今双眼を開いては、冥道の穴を封じる術が無に帰してしまう。
ぐっと改めてまぶたに力を込めた雅は、細く長い息を吐き心中の平穏を呼び戻した。
「相変わらず無茶して、怪我も平気でして、人のために身を挺して」
ああ、間違えるはずはない。
どこかのんびりと間延びしたした口調。
この人に少しでも近づこうとして無意識に真似てきた語り方。
でも、この声は──。
「……優……?」
「うん。だよ。久しぶりだねえ、雅」
今度こそ、背中に隙間がないように一回り小さな背中が触れる。
懐かしい感触だった。幼い頃もよくこうして様々な術を鍛え上げてきたのだ。
いつか二人の力を結して村を守るときのために練り上げてきた。誰かの幸せを守るために。
「想像以上の色男になったね。ということは、やっぱり私も生きていればかなりの美女になっていたのかなあ」
「……自分で言うかなあ。優のほうこそ相変わらずだね」
「そうだねえ。私が死んでからこれまで、どうだった?」
酷なことを聞いてくる姉だ。
小さく苦笑を漏らす。
「地獄のようだったよ。みんなが優しくしてくれればくれるほど、心が剥がれ落ちていくみたいだった。村にいることもできなくなって、結果俺は自分のあとのことを葉月に押しつけて村を出た」
「うん。その辺の事情はなんとなく聞いてるよ。こうして毎年帰っていたからね」
ふふ、とどこか嬉しそうに語る優は、やはり強い。
背中合わせになった術はその力が倍近くに膨れ上がり、見る間に自分にかかっていた負荷が軽減された。
背中に感じていた僅かな衝撃も今は感じない。
これを好機とみて集った悪鬼たちは、優が軒並み排除しているのだろう。
「私が知りたいのは、それからあとの話。村を出た弟が、劇団拝ミ座を立ち上げ、再びこの村に顔を出すようになった理由とかね」
「そうだなあ。また、誰かを救いたいと思ったからかな」
村を出た直後は、もう二度と霊能力を使わないと決めていた。
その使い方を見誤ったために大切な姉は命を落とした。
自分にはもうそれを使う資格などないのだ。そう思っていた。
「でも、越した先でもたくさんの出逢いがあった。同じように霊能力を持って生まれた和泉や、どうか力を貸してほしいと願うたくさんの霊たち。たくさんの出逢いの中で、自分がこの力を持って生まれたことに、やっぱり意味はあるんだって思えた。そのことから、目を逸らし続けてはいられないと」
人を守るために、強くなりたい。
もう二度とあんな無力感に身を落とさないように。
結局自分のためかもしれないが、それでもいいのだ。
空に帰る霊の穏やかな笑みを見るたび、雅の心の傷は温かく癒えていく気がした。
「だから、この村のお役目にも復帰した。一発殴られるかと思ったけれど、葉月も村の人もみんな俺を受け容れてくれたよ」
「葉月はチャラそうに見えるけど、いい奴だからね」
「うん。いい奴だ」
ふふ、と笑みが漏れたのは同じタイミングだった。
ここに葉月がいたのなら「さすが双子」とにやつくところだろう。
「それにしてもなんだろう。今年は何だか、雅が変わった気がするね」
「そう思う?」
「うん。思う。去年までの雅は、自己犠牲の精神が強くてねえ。ちょっと見ていられなかったから」
「はは、そんなに酷かったかな」
笑って返すも、反応はない。
こちらからの答えを待っているということか。
「そうだね。ある人と約束をしたからかな」
「約束?」
「うん。拝ミ座の仲間になってくれた、小清水遥ちゃん」
瞬間、触れあっていた背中がほんの僅かに揺れた。
雅の口元に、ふわりと柔らかな弧が描かれる。
「優を死なせたことが堪えたからか、今でも俺、全部の能力が戻ってるわけじゃないんだ。滅却術と憑依術は完全に戻ってるけれど、融和術だけがどうしても戻らない」
「……あの少年の霊は、雅をだまそうとして近づいたわけじゃないよ」
「わかってる。でも、心のどこかで残ったままなんだ。友として信じていた霊に裏切られたという疑念が。そんな捻くれた奴が、融和術を使えるはずがないよね」
瞳を閉ざしたまま、雅は見えない夜空を仰ぎ見る。
自分を支える小柄な背中に、雅は僅かに寄りかかった。
「遥ちゃんに出逢ったとき……まるで、昔の俺みたいだって思ったんだ」
──例え一瞬のことだって、その人と一心同体になるんです。
その言葉には聞き覚えがあった。かつて、幼い自分が口にしてきた言葉にそっくりだったから。
素直で、実直で、純粋。
突き抜けるような晴天のように、遥は人のために迷いなく光を注ぐ。
「遥ちゃんは、俺がなくしたものを全部持ってる人だ。他者への信頼も共感も優しさも。だからこそ、守りたいって思った。今度こそ誰にも奪わせはしないってね。だから、初めて憑依を手伝ってもらうときに約束したんだ。俺が命を懸けて君を守るって」
「……」
「誰かを守ると決めた人間が、生きることに投げやりでいるわけにはいかないでしょ?」
思い返せばあのとき彼女と出逢ったことで、何かが変わり始めたのかもしれない。
それまで刹那的に依頼を繰り返していた被憑依者のなかにも、こちらの事情を汲んでまた協力すると言ってくれる者もあった。
しかし、雅は二度と再び被憑依者として声がけすることはしなかった。
他者に期待しすぎると、自分勝手に傷を負う。
他者に心を開くことを、雅は何より恐れていた。
「だから、心から感謝してる。彼女のおかげで、ようやく止まっていた一歩を踏み出すことができた」
前方にかざしていた両手のうちの一つが、いつの間にか背後にいる者の手をそっと包んでいた。
それにピクリと反応した一回り小さな手が、ほんの僅かに雅に指を絡ませる。
「……その割には、今も随分と自己犠牲的な方法も選んでいたみたいだね」
「はは、そうだねえ」
「拝ミ座の仲間に心配を掛けないようにって、無茶をしすぎるのも度が過ぎている、と思う」
「それは仕方がない。大切な人には、笑っていて欲しいでしょ?」
「……っ、雅さんの、頑固者」
背中に触れる細い肩が小さく震えるのを感じた。
まぶたを閉ざした中で、徐々に昇ってくる朝の光を感じる。
その白い光に包まれるようにして、幼い姉の嬉しそうな笑顔が見えた。