肌を焼くような日差しが眩しい夏。

 劇団拝ミ座の屋敷には、身体を大の字にして動かない男の姿があった。

「うー……暑い。干からびる。溶けるー……」
「雅さん、大丈夫ですか? ちゃんと水分をとってくださいね?」
「大丈夫だよー……遥ちゃんが入れてくれた冷たい緑茶、ちゃんと飲んでるからねー……」

 半袖に麻生地のスカート姿の遥がキッチンから声を掛けると、雅の声が力なく届く。

 どうやら拝ミ座の当主は、夏の暑さに弱いらしい。

 真夏の外回りの仕事を終えて帰宅した雅は、遥が出した緑茶を呷ったあと広間に倒れ込んだ。
 クーラーの風を一番に浴びられる場所に確保したきり、必要最低限の動きしか見せずにいる。

 それはまるで遊び疲れた夏休みの子どものようで、遥は小さく笑みを浮かべた。

「おい雅。無駄にでかい図体を転がしてんじゃねえよ」

 作業部屋から現れた和泉は、広間に転がる雅を嫌そうに一瞥した。

 とはいえやはり和泉も夏の暑さには抗えないらしく、ぐいっと手の甲でこめかみの汗を拭い去る。 

「わー……和泉、今日もいい汗滴ってるねえ」
「うるせえよ。これ以上不快指数を上げさせるな。口塞がれたくなけりゃ黙って寝てろ」
「わー……世の女性たちが聞いたら歓喜に沸いちゃいそうな台詞、いただきましたー……」
「……新人。こいつの処理をどうにかしろ」
「あの、雅さん、雅さん? 大丈夫ですか? お気を確かにっ!」

 次第にぽやぽや意識が遠のいていく雅に、和泉は呆れ、遥は慌てて濡れタオルを用意した。

 この灼熱の暑さのなかでも、雅はいつも決まった装いをしている。

 全体が紺色の着流しに、灰色の着物姿。
 それが劇団拝ミ座の頭領、御護守雅の正装だ。

 外では凜とした、でもどこか飄々とした美丈夫で通っている雅だが、この暑さのなかでそのイメージを保てているのかは少々疑問だった。

 保冷剤を包んだ濡れタオルを身体のあちこちに置いた雅は、どうやら浅い眠りに入ったようだ。

 そんな様子をため息交じりに見遣ったあと、和泉が口を開いた。

「新人。今日の郵便物は何もなかったか」
「はい。今朝とお昼ご飯過ぎに確認しましたが、いつもの朝刊以外は特に何もありませんでした」
「そうか」

 同様の確認は、八月に入って以降和泉に繰り返しされていた。

 あまりに毎日問われるので、遥も屋敷で仕事をする日には意識的に郵便受けを確認するようにしている。

「和泉さん。その、最近、どなたからかのお手紙を待っていらっしゃるんですか……?」

 和泉用の冷たい緑茶を準備しながら、遥は思い切って尋ねてみる。

 不躾な質問かもしれないが、和泉の性格だ。
 言いたくない質問ならば躊躇なくそう答えてくれるだろう。

「前にも話したことがある、こいつの幼なじみからの手紙だ。俺宛じゃあなくこいつ宛だがな」

 意外にもあっさり答えてくれた和泉は、「こいつ」と言いながら足元に転がる雅を見下ろした。

「雅さんの幼なじみ……あっ、『葉月さん』ですね?」
「よく覚えてんな」

 感心したような顔でグラスを受け取った和泉が、二口ほど緑茶を喉に流しこんだ。

「毎年盆の時期にこいつが田舎に帰るって話はしただろう。ただのんきに帰るだけじゃなく、そこには能力者のお役目が待っている。その詳細を事前に伝えるための手紙が、いつもこの時期に届く」
「能力者のお役目、ですか?」

 雅の生まれ故郷の村には昔から霊能力を持つ者が多く生まれ、周囲からも「霊能の村」と知られていたという話は聞いている。

 もしかするとその「お役目」も、村に古くから伝わる習わしなのだろうか。

「ごく稀にお役目不要の年もあるがな。その場合はその場合で連絡があるはずだが」
「あったよー。お手紙」

 思いがけない声に、遥と和泉が顔を見合わせる。

 そして二人の視線はすぐさま、やはり足元に寝転んだままの雅のほうへ向けられた。

「今帰ってきたとき、郵便受けに入ってた。白い封筒ということは、今年は通常通りのお役目ってことだねえ。今年も頑張らなくっちゃ」

 閉ざされていたまぶたはゆるりと開かれ、その手にはどこから取りだしたのか白い封筒がひらひら揺れている。

「この手紙のことより、和泉は自分が出す郵便物のが重要でしょ。頼まれた羽織り物はもう終わったの?」
「一昨日にもう送ってる。それに俺の仕事は、わざわざ自分の身を危険に差し出すほどのもんじゃあねえからな」
「えっ」

 和泉の言葉に、遥は思わず声を漏らす。

 能力者に託されるお役目ならば、通常の負担とは異なるだろうと予想はできていた。

 しかしどうやら、遥の見積もりは甘いものだったらしい。
 思えば、いつもならば他人事に口出ししない和泉が、ここまで明確に気にするほどなのだ。

「雅さん。田舎でのお役目というのは、そんなに大変なことなんですか?」

 床に両膝をついた遥は、慌てて雅に問いかける。

「大変は大変だけど、大丈夫だよ。現にほら、去年もおととしもこうして無事に帰ってきてるでしょ?」
「それはそうですけれど……」

 にっこり笑った雅は「よいしょ」と転がっていた上体を起こす。

 円卓に再び注がれていた緑茶で喉を潤し、再び遥と視線を重ねた。

「それに今年からは、遥ちゃんとの約束もあるからね」
「……え?」
「俺がいなくなったら、誰が遥ちゃんを守るのさ」

 言いながら差し出された雅の手が、遥の頬に小さく触れる。

 目を大きく見開いた遥に気づいたように、雅は早々に手を下ろした。

「だから心配しないで。俺はちゃんと、この拝ミ座に戻ってくるから」
「……はい。絶対ですよ」
「うん。和泉も、俺のこと大好きなのは知ってるけれど、らしくない心配はしなくていいからね」
「誰が誰を何だって?」

 心底嫌そうに顔をしかめた和泉は、早々に作業部屋へと戻っていく。

 そして、ようやく逆上せた状態から脱出できたらしい雅もまた、汗の処理をするために浴室へ身を移した。

 広間に残った遥は、先ほど用意した濡れタオルと保冷剤の片付けを済ませていく。

「あ……」

 新しい冷茶を入れようとグラスに手を伸ばした遥は、円卓に置かれたままの件の手紙が目にとまった。

 真っ白い無地の手紙。

 他意なく手に取りそうになったが、触れる直前にきゅっと手を握り留まった。

 雅さんには雅さんの、遥には到底知り得ない過去がある。それにいたずらに触れることは許されない。

 それに雅はちゃんと約束してくれたではないか。必ず拝ミ座に戻ってくると。

「……約束、しましたからね」

 心によぎる不安を払拭するように、遥はぽつりと独りごちた。

 拝ミ座の盆休みは、もうすぐそこまで迫っている。