秀昭の来訪から二日後。
約束の午前十時に再び三人で訪れた東堂家で、厚みのある正方形型のアルバムがゆっくりと開かれた。
「わあ、可愛い……!」
フィルムに閉ざされていた写真の一つを目にし、遥は思わず声を弾ませた。
写真は水面が宝石のように輝く川べりで、小学校低学年ほどの子どもたちが元気に遊んでいる。
弾けるような笑顔で水を掛け合う姿に、遥は自然と口元が綻んだ。
「昔はよく近所のみんなと、こうしてあちこちで遊んでおりました。日暮れまで森を駆け回ったり、山を登ってみたり」
「伯父さん。もしかしてこれが、子どもの頃の伯父さん?」
「ああ、そうだよ」
甥の辰男が指さす箇所には、確かに少年時代の秀昭の姿があった。
子どもらしい笑顔を浮かべているが、今の穏やかな秀昭の面影もかすかに残っている。
「そしてこの隣に立っている女の子が、幼なじみの野村里子さんです」
静かに続いた秀昭の言葉に、遥たちは写真に写る人物に視線を集めた。
秀昭に寄り添うように立っている、快活そうな少女だ。
髪の毛をポニーテールで高くまとめ、川に足を浸しながら笑顔を向けている。
きらきら眩しい表情は、友人たちに慕われていたのだろうことが窺えた。
「まるで太陽のような女の子ですね」
「はい。私もずっと、そう思っていました」
無意識にこぼれ落ちた遥の言葉に、秀昭は静かに笑みを濃くする。
「彼女は困っている級友を見過ごすことができない、優しい女の子でした。そんな彼女のことが、みんなとても好きでした」
アルバムをめくると、写真のあちこちに少女の姿があった。
中には、この屋敷内とおぼしき場所でかくれんぼをしている姿もある。
写真に残る彼女の表情はどれも溢れるほどの笑顔だった。
「あ、この写真は……」
「彼女が亡くなる一年前に、近所の友人らとともに花火大会へ行ったときのものです」
恐らくこの東堂家の屋敷前で撮られたものだった。
夕暮れ時に、数人の子どもたちが整列したところを収められた写真。
みんな色とりどりの浴衣を身につけ、祭が待ちきれない空気がこちらにも伝わってくる。
服の話題になったからか、遥の隣に座していた和泉が僅かに身を乗り出すのがわかった。
「里子ちゃん、牡丹柄の可愛らしい浴衣を着ていますね」
「ええ。彼女は花の中でも牡丹が特に好きでした。この浴衣は前の年も、その前の年も着ていたお気に入りだったようですね」
確かに、今見ている浴衣姿は着丈がほんの僅かに短くなっているようにも見える。
もしかしたら、里子は今でもこの牡丹柄の浴衣を纏っているのだろうか。
そんな考えがよぎり、遥の胸がぎゅっと切なくなった。
アルバムの最後のページを閉じ、雅は穏やかな笑みで秀昭の元へ差し出した。
「秀昭さん。わざわざアルバムをお見せいただき、ありがとうございました」
「いいえ。むしろもっと早くお見せするべきでした。拝ミ座の皆さんにはかえって余計なお手間をおかけすることになり、申し訳ございませんでした」
「人が心の整理をつけることに、余計なものは存在しませんよ」
すかさず紡がれた雅の言葉に、秀昭も遥もはっと目を見開く。
凜とした雅の言葉に背を押されるようにして、甥の辰男も口を開いた。
「そうだよ。それに、俺のほうこそごめん。伯父さんの事情も知らずに、家の売却の話を持ちかけてしまって」
「いいや、そんなことはないさ。辰男の考えももっともだ。現実問題、私が今後も住み続けるのは厳しい。この建物も私自身も、相当に歳をとっているからな」
秀昭の言葉に、辰男は悔しそうに顔を歪めた。
秀昭の話すことは恐らく真実だったのだろう。
「彼女のためと言いつつ、本当は私のためだったのかもしれないな。幼いころの罪悪感を少しでも薄めたい、自分自身のための」
「秀昭さん……」
「拝ミ座さん、改めてお願いします」
拝ミ座の三人に向かって、秀昭は深く頭を下げた。
「この家にいる少女の霊をどうぞ救って……彼女の力になってあげてください」
「やっぱり今日も、少女の霊は絶賛かくれんぼ中みたいだねえ」
家主の秀昭の許可のもと、雅と遥は二人で東堂家を見て回っていた。
和泉は秀昭らとともに広間に残っている。
何か色々と話を聞きたい事柄があるらしかった。
東側に伸びる廊下を進み、一室一室中の様子を確かめていく。
二度目の探索でもやはり立派な邸宅は、どの部屋も綺麗に整えられていた。
「雅さん。この家に棲んでいる少女の霊は、やっぱり里子ちゃんなんでしょうか」
「そうだね。さっき彼女の写真を見せてもらったでしょう。あのときにこう、ピーンってね。波長が重なった気がしたから」
こめかみにトンと指を当てながら、雅が柔らかく微笑む。
雅がそう言うのなら、きっと間違いはないのだろう。
「少女の霊が里子ちゃんだとしたら、何か悪さを企んでいるわけじゃないと思うんです。秀昭さんも長年この家に住んでいますが、一度も姿を見たことがないと言っていましたし」
「そうだね。今もかすかに里子ちゃんの気配を感じるけれど、悪いものは伝わってこない」
だとしたら、今回里子が姿を見せた理由は何だろう。
家の売買の話を阻止するためだろうか。
それとも、他に何か理由が?
考えを巡らせている間に、雅は続く部屋のふすまを開ける。
はじめて里子の霊が目撃された、東側の客間だった。
「わあ、今日も素敵な生け花が飾られていますね」
「うん。部屋も綺麗に掃除されて、部屋も陽の光でいっぱいだね」
以前案内を受けたときも話題にのぼっていた。
この部屋は東向きだから、朝の弱い辰男が寝泊まりするときによく使うのだと。
「少し気になっていたことがあるんだ。今回、少女の霊を見た部屋の位置とその時間帯、遥ちゃんは覚えてるかな」
「あ、はい。最初が午後四時頃にこの東側の客間。二度目が午前十時頃に西側中央の部屋。三度目が正午頃に最奥の手洗い場の前ですよね。部屋の位置も時間帯もばらばらで……」
「うん。でもひとつだけ、共通点を見つけたよ」
え、と目を見張る遥に微笑みかけると、雅は縁側の前に静かに立った。
太陽から注がれる日差しを存分に浴びるように空へ顔を向け、長いまつげをそっと伏せる。
雅の茶色い髪がきらきらと透けるように輝いて、遥は思わず目を奪われた。
「綺麗でしょう」
「はい……、綺麗です」
「ね。この部屋は、眩しいくらいに日当たりがいいよね」
「え?」
「え?」
疑問の声が重なり、二人はしばらく見つめ合う。
その後、「綺麗」の対象が異なっていることに気づいた遥は、かあっと顔を火照らせた。
「す、す、すみません。そうですね。お日さまがさんさんですし、庭の眺めもとても綺麗ですね……!」
「あれれー? もしかして遥ちゃんの『綺麗』は、風景とは別のもののことだったのかなあ」
「もうっ、わかってるならわざわざ聞かないでくださいよ……!」
誤魔化す技量のない遥が早々に白旗を揚げると、雅はくすくすと嬉しそうに笑う。
そんな人をからかう表情一つも絵になるのだから、非常に悔しい。
「まあ確かに雅サンはいつもきらきら輝いてるけれどねえ。今注目してほしいのは、お日さまの光と時間のお話」
「え? お日さまの光と、時間?」
聞き返した遥が、首を傾げる。
「この部屋は東向きだから、午前の時間には日差しがいっぱいに入ってくるよね。でも、一日中これが続くわけじゃあない」
「ええっと。確かに午後になると日が傾いて、逆に日差しが当たらなくなりますよね……?」
そこまで言葉にして、遥ははっと目を見張った。
「里子ちゃんがこの部屋で見かけられたのは午後四時……部屋に日が当たらず陰っている時間帯ということですか?」
他の二部屋も、ひとつは午前の西側の部屋、もうひとつは正午の最奥の手洗いの前。
どちらも同様に、日差しが届かない場所と時間帯になっている。
つまり里子は、日差しが注ぐ部屋を避けてかくれんぼをしているということだろうか。
「それじゃあ、今里子ちゃんが隠れているのは反対側の西側の部屋ということでしょうか」
「あとは完全に日差しが届かない中央の部屋もだね。むしろこちらのどこかが彼女の安寧の場所になっている可能性もある」
以前手渡された屋敷図面を、改めて確認する。
中央の部屋だけに絞るとすれば、大きな部屋が三部屋と小さな物置部屋が一部屋ある。
「これから、西側の部屋を手前から順番に確認していく。見終わった場所にはこの鈴を置いておこう。特別な鈴だから、実態がないものにも干渉することができる」
里子の霊が部屋に入れば、それに反応して鈴が鳴る。
そうすれば必然的に彼女の居所が狭まっていく。
「秀昭さんの胸の内はしっかり受け取った。あとは里子ちゃんの胸の内に耳を澄ませる番だよ」
約束の午前十時に再び三人で訪れた東堂家で、厚みのある正方形型のアルバムがゆっくりと開かれた。
「わあ、可愛い……!」
フィルムに閉ざされていた写真の一つを目にし、遥は思わず声を弾ませた。
写真は水面が宝石のように輝く川べりで、小学校低学年ほどの子どもたちが元気に遊んでいる。
弾けるような笑顔で水を掛け合う姿に、遥は自然と口元が綻んだ。
「昔はよく近所のみんなと、こうしてあちこちで遊んでおりました。日暮れまで森を駆け回ったり、山を登ってみたり」
「伯父さん。もしかしてこれが、子どもの頃の伯父さん?」
「ああ、そうだよ」
甥の辰男が指さす箇所には、確かに少年時代の秀昭の姿があった。
子どもらしい笑顔を浮かべているが、今の穏やかな秀昭の面影もかすかに残っている。
「そしてこの隣に立っている女の子が、幼なじみの野村里子さんです」
静かに続いた秀昭の言葉に、遥たちは写真に写る人物に視線を集めた。
秀昭に寄り添うように立っている、快活そうな少女だ。
髪の毛をポニーテールで高くまとめ、川に足を浸しながら笑顔を向けている。
きらきら眩しい表情は、友人たちに慕われていたのだろうことが窺えた。
「まるで太陽のような女の子ですね」
「はい。私もずっと、そう思っていました」
無意識にこぼれ落ちた遥の言葉に、秀昭は静かに笑みを濃くする。
「彼女は困っている級友を見過ごすことができない、優しい女の子でした。そんな彼女のことが、みんなとても好きでした」
アルバムをめくると、写真のあちこちに少女の姿があった。
中には、この屋敷内とおぼしき場所でかくれんぼをしている姿もある。
写真に残る彼女の表情はどれも溢れるほどの笑顔だった。
「あ、この写真は……」
「彼女が亡くなる一年前に、近所の友人らとともに花火大会へ行ったときのものです」
恐らくこの東堂家の屋敷前で撮られたものだった。
夕暮れ時に、数人の子どもたちが整列したところを収められた写真。
みんな色とりどりの浴衣を身につけ、祭が待ちきれない空気がこちらにも伝わってくる。
服の話題になったからか、遥の隣に座していた和泉が僅かに身を乗り出すのがわかった。
「里子ちゃん、牡丹柄の可愛らしい浴衣を着ていますね」
「ええ。彼女は花の中でも牡丹が特に好きでした。この浴衣は前の年も、その前の年も着ていたお気に入りだったようですね」
確かに、今見ている浴衣姿は着丈がほんの僅かに短くなっているようにも見える。
もしかしたら、里子は今でもこの牡丹柄の浴衣を纏っているのだろうか。
そんな考えがよぎり、遥の胸がぎゅっと切なくなった。
アルバムの最後のページを閉じ、雅は穏やかな笑みで秀昭の元へ差し出した。
「秀昭さん。わざわざアルバムをお見せいただき、ありがとうございました」
「いいえ。むしろもっと早くお見せするべきでした。拝ミ座の皆さんにはかえって余計なお手間をおかけすることになり、申し訳ございませんでした」
「人が心の整理をつけることに、余計なものは存在しませんよ」
すかさず紡がれた雅の言葉に、秀昭も遥もはっと目を見開く。
凜とした雅の言葉に背を押されるようにして、甥の辰男も口を開いた。
「そうだよ。それに、俺のほうこそごめん。伯父さんの事情も知らずに、家の売却の話を持ちかけてしまって」
「いいや、そんなことはないさ。辰男の考えももっともだ。現実問題、私が今後も住み続けるのは厳しい。この建物も私自身も、相当に歳をとっているからな」
秀昭の言葉に、辰男は悔しそうに顔を歪めた。
秀昭の話すことは恐らく真実だったのだろう。
「彼女のためと言いつつ、本当は私のためだったのかもしれないな。幼いころの罪悪感を少しでも薄めたい、自分自身のための」
「秀昭さん……」
「拝ミ座さん、改めてお願いします」
拝ミ座の三人に向かって、秀昭は深く頭を下げた。
「この家にいる少女の霊をどうぞ救って……彼女の力になってあげてください」
「やっぱり今日も、少女の霊は絶賛かくれんぼ中みたいだねえ」
家主の秀昭の許可のもと、雅と遥は二人で東堂家を見て回っていた。
和泉は秀昭らとともに広間に残っている。
何か色々と話を聞きたい事柄があるらしかった。
東側に伸びる廊下を進み、一室一室中の様子を確かめていく。
二度目の探索でもやはり立派な邸宅は、どの部屋も綺麗に整えられていた。
「雅さん。この家に棲んでいる少女の霊は、やっぱり里子ちゃんなんでしょうか」
「そうだね。さっき彼女の写真を見せてもらったでしょう。あのときにこう、ピーンってね。波長が重なった気がしたから」
こめかみにトンと指を当てながら、雅が柔らかく微笑む。
雅がそう言うのなら、きっと間違いはないのだろう。
「少女の霊が里子ちゃんだとしたら、何か悪さを企んでいるわけじゃないと思うんです。秀昭さんも長年この家に住んでいますが、一度も姿を見たことがないと言っていましたし」
「そうだね。今もかすかに里子ちゃんの気配を感じるけれど、悪いものは伝わってこない」
だとしたら、今回里子が姿を見せた理由は何だろう。
家の売買の話を阻止するためだろうか。
それとも、他に何か理由が?
考えを巡らせている間に、雅は続く部屋のふすまを開ける。
はじめて里子の霊が目撃された、東側の客間だった。
「わあ、今日も素敵な生け花が飾られていますね」
「うん。部屋も綺麗に掃除されて、部屋も陽の光でいっぱいだね」
以前案内を受けたときも話題にのぼっていた。
この部屋は東向きだから、朝の弱い辰男が寝泊まりするときによく使うのだと。
「少し気になっていたことがあるんだ。今回、少女の霊を見た部屋の位置とその時間帯、遥ちゃんは覚えてるかな」
「あ、はい。最初が午後四時頃にこの東側の客間。二度目が午前十時頃に西側中央の部屋。三度目が正午頃に最奥の手洗い場の前ですよね。部屋の位置も時間帯もばらばらで……」
「うん。でもひとつだけ、共通点を見つけたよ」
え、と目を見張る遥に微笑みかけると、雅は縁側の前に静かに立った。
太陽から注がれる日差しを存分に浴びるように空へ顔を向け、長いまつげをそっと伏せる。
雅の茶色い髪がきらきらと透けるように輝いて、遥は思わず目を奪われた。
「綺麗でしょう」
「はい……、綺麗です」
「ね。この部屋は、眩しいくらいに日当たりがいいよね」
「え?」
「え?」
疑問の声が重なり、二人はしばらく見つめ合う。
その後、「綺麗」の対象が異なっていることに気づいた遥は、かあっと顔を火照らせた。
「す、す、すみません。そうですね。お日さまがさんさんですし、庭の眺めもとても綺麗ですね……!」
「あれれー? もしかして遥ちゃんの『綺麗』は、風景とは別のもののことだったのかなあ」
「もうっ、わかってるならわざわざ聞かないでくださいよ……!」
誤魔化す技量のない遥が早々に白旗を揚げると、雅はくすくすと嬉しそうに笑う。
そんな人をからかう表情一つも絵になるのだから、非常に悔しい。
「まあ確かに雅サンはいつもきらきら輝いてるけれどねえ。今注目してほしいのは、お日さまの光と時間のお話」
「え? お日さまの光と、時間?」
聞き返した遥が、首を傾げる。
「この部屋は東向きだから、午前の時間には日差しがいっぱいに入ってくるよね。でも、一日中これが続くわけじゃあない」
「ええっと。確かに午後になると日が傾いて、逆に日差しが当たらなくなりますよね……?」
そこまで言葉にして、遥ははっと目を見張った。
「里子ちゃんがこの部屋で見かけられたのは午後四時……部屋に日が当たらず陰っている時間帯ということですか?」
他の二部屋も、ひとつは午前の西側の部屋、もうひとつは正午の最奥の手洗いの前。
どちらも同様に、日差しが届かない場所と時間帯になっている。
つまり里子は、日差しが注ぐ部屋を避けてかくれんぼをしているということだろうか。
「それじゃあ、今里子ちゃんが隠れているのは反対側の西側の部屋ということでしょうか」
「あとは完全に日差しが届かない中央の部屋もだね。むしろこちらのどこかが彼女の安寧の場所になっている可能性もある」
以前手渡された屋敷図面を、改めて確認する。
中央の部屋だけに絞るとすれば、大きな部屋が三部屋と小さな物置部屋が一部屋ある。
「これから、西側の部屋を手前から順番に確認していく。見終わった場所にはこの鈴を置いておこう。特別な鈴だから、実態がないものにも干渉することができる」
里子の霊が部屋に入れば、それに反応して鈴が鳴る。
そうすれば必然的に彼女の居所が狭まっていく。
「秀昭さんの胸の内はしっかり受け取った。あとは里子ちゃんの胸の内に耳を澄ませる番だよ」