そのあと、さらに二カ所の部屋を回り終え、一同は再び大部屋まで戻ってきた。
事前に辰男が用意していた屋敷の図面が、座卓いっぱいに広げられる。
改めて大きな屋敷だと実感しながら、遥は心霊現象の起きた順番を書き記していった。
「まず最初の目撃場所が、お屋敷東側の中央にある客間。次に、屋敷最奥にあるお手洗い場の前。最後に、お屋敷西側手前にある接見室ですね」
部屋の大きさも配置も用途も、特に共通点はない。
少女の霊を見たという時間帯も、午後三時頃、正午ごろ、午前十時頃とばらばらだった。
「今回は残念ながら、少女の姿を見ることはできませんでしたね。突然見知らぬ人間がやってきて、彼女も警戒してしまったのかもしれません」
まるで親戚の女の子のことを話すような雅に、辰男と秀昭も妙に納得した面持ちで頷いた。
霊を普段から目にする雅にとっては、生死の違いのみでそう大差はないものかもしれない。
ただ、その相手が自身の意図せずその場に留まっているのだとすれば、そっと手を差し伸べているだけなのだ。
「だとすれば妙な点も出てきます」
ずっと沈黙していた和泉が静かに口を開いた。
「見知らぬ不動産業者の担当者が来たときに限って、少女の霊は何故姿を見せたんでしょう。状況は今日のそれと変わりないように感じますが」
「あ、確かに……」
全くその通りの正論に、辰男たちと揃って遥も深く頷く。
「担当者の方は、こちらの遥ちゃんのような、思わずちょっかいを出したくなる可愛らしい方だったんでしょうか? こちらの和泉のような無愛想ではなく」
「ちょ、ちょっかい?」
「無愛想で悪かったな」
雅の笑顔の問いかけに、遥と和泉が揃って反応する。
「どうでしたか? 秀昭さん」
「あ、いえ。担当者の方は柔道有段者の屈強な男性でして」
「なるほど。となると、初対面の少女が気軽にいたずらを仕掛けようとするようなイメージは薄そうですね」
「だとしたら、やはり妙です。その三日に限って少女が姿を見せたのは、いったい何故なのか」
ああ。やっぱり、この二人はすごい。
雅と和泉。
一見相反する二人が時に驚きの連携をみせることに、遥は密かに気づいていた。
雅のテンポがよく滑らかな語りに和泉の冷静な指摘が入ることで、自然と現状の疑問点が浮き彫りになっていく。
「秀昭さん。今回の三日間のほかに、少女の霊を視たり感じたりしたご経験はありませんか?」
「いいえ、それがまったくありませんでした。そういうことがあれば、事前に不動産業者の方にもお話ししたのですが」
申し訳なさそうに答える秀昭に、辰男も同調するように続いた。
「そもそも、この家に女の子が出入りしていたという記憶もほとんどないんですよね。うちの家は、親兄弟も私たち世代も男ばかりでしたから」
首を傾げる伯父と甥の姿に、遥もつられて首を傾げる。
そもそもこの少女の正体は何者で、いつからこの家に棲んでいるのか。
長年居住していた秀昭が出くわさなかった少女が、何故このタイミングで姿を見せたのか。
浮き彫りになった疑問は、どうやら今日解決することはなさそうだ。
雅がぱん、と笑顔で手を打った。
「いろいろと気になるところはありますが、少女の霊がこの家に潜んでいることは間違いないようです。この邸宅がよほど気に入っているのでしょうね。また日を改めて少女の霊を探ることにしましょうか」
「そのときはまた、少女の霊とかくれんぼですね」
遥が頷きながら言うと、秀昭がふっと小さく笑みをこぼした。
「かくれんぼ、か」
「……秀昭さん?」
「ああ、すみません。幼少時代はこの屋敷を使って、よくかくれんぼをしたものだなあと思いましてね」
「そうだったんですね」
確かにこの広い邸宅でなら、かくれんぼもやりがいがあったことだろう。
懐古の眼差しを浮かべた秀昭が、屋敷内を静かに眺める。
その目には柔らかな慈愛の光が満ちていた。
東堂家の邸宅を訪れた翌日。
雅と和泉が外に出ている間、遥は劇団拝ミ座の屋敷内を黙々と清掃していた。
というのも、普段立ち入ることを許されない和泉の作業部屋が、今日は珍しく解放されているのだ。
どうやら部屋の主は区切りよく洋裁の仕事を終え、機嫌がよかったらしい。
「ふう……よし。こんな感じで良いかな!」
中央の作業台には手を触れないこと。
きつく言い含められた命令をしっかり守り通し、遥は目に付いた至る箇所の清掃を終えた。
和泉は、放っておけば軽く一週間は作業部屋に籠もってしまう。
これからもやはり可能なタイミングできちんと清掃をいれなければ。
清々しい心地で一息吐き、清掃道具を片付けようと手を伸ばす。
そんな遥に、空気の入れ換えで開けていた窓から突然強い風が吹き込んだ。
「ひゃっ、……あ、いけない」
振り返ると同時に、何かが床に落下した音に気づく。
しかも悪いことに、それはどうやら手出し厳禁の作業台から落ちてしまったようだ。
慌てて拾いに向かった遥は、その落ちたものにはっと目を見張った。
「これは……」
呟きながら拾い上げたのは、繊維が織り込まれたような優しい感触の和紙だった。
その紙が蛇腹のように繋がっており、広がった大きな紙面には刺繍の図案が事細かく記されている。
描かれたその模様には、見覚えがあった。
植物のようにも動物のようにも見える、不思議な模様。
完成されているようで、いまだ完成されていないような、金色の刺繍画。
「雅さんの、紺羽織の刺繍図案……だよね?」
すぐにぴんときたはずが、じっと向き合う内に何故か自信がなくなっていく。
正式に劇団拝ミ座の一員になってからというもの、雅の紺羽織を目にする機会は何度もあった。
私生活が壊滅的にあれでこれな彼だが、あの羽織だけは常に丁重に扱っていることを遥も知っている。
普段は大きな衣紋掛けに静か佇む紺羽織。
だからこそ、その刺繍も常々目にしており、迷うことなどないはずだ。
それなのになんだろう。
ほんの僅かに感じてしまう、この違和感の正体は。
ピンポーン。
そのときだった。
来客予定のないはずの劇団拝ミ座に、来訪者を知らせるチャイムが鳴った。
雅たちならば鍵を持っている。新規の依頼人だろうか。
「い、いけないいけない!」
広げていた図案を元の場所へと丁寧に戻し、素早く窓の戸締まりを済ませる。
清掃道具の片付けは後回しだ。
身なりをパパッと整えながら、遥は玄関先まで急いだ。
「申し訳ございませんっ、大変お待たせいたしました……!」
「こんにちは、遥さん。昨日はありがとうございました」
「え……、秀昭さん?」
思いがけない来客に、遥は玄関先で声を上げた。
玄関口には昨日大邸宅を案内してくれた秀昭が、穏やかな笑顔で佇んでいた。
帽子を手にした身なりは仕立ての良いシャツにスーツパンツで、昨日と同様人当たりの良い雰囲気をまとっている。
ロマンスグレーの品良く整えられた髪を揺らし、秀昭はゆっくりと頭を下げた。
「突然お訪ねして申し訳ありません。偶然近くまで用事がありまして、名刺に書かれた住所を頼りに参りました」
「そうでしたか。あ……、申し訳ございません。御護守は今、別件で出払っておりまして」
「いいんですよ。ご連絡もしておりませんし、本当にただ少し、ご挨拶をと立ち寄らせていただいただけですから」
そう言った秀昭は、手にした帽子を静かに被った。
「今回のことは拝ミ座さんにもご迷惑をおかけします」
「いいえ、いいえ。迷惑だなんてそんな」
「お手数をおかけいたしますが、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。それでは」
そう言った秀昭は、穏やかな表情できびすをかえした。
去って行く背中を眺めながら、遥は小さな違和感を覚える。
今回の相談で何か思い出したことがあれば、わざわざ出向かずとも電話もある。
甥の辰男さんにもここに来ることは伝えていない様子だ。
恐らく、本当に突発的な考えで赴いたのだろう。
──かくれんぼ、か。
そのときふと、昨日耳にした秀昭のつぶやきが脳裏によぎった。
「あの、秀昭さん!」
門先を出ようとしたところの秀昭に、遥は咄嗟に声をかけた。
「もしよろしければ、中でお茶でもいかがですか。実は私もお掃除を終えて、ちょうど休憩を取ろうと思っていたんです」
「でも、よろしいのですか」
「もちろんです。どうぞお上がりください」
戸惑う様子の秀昭を、遥は笑顔で促す。
もしかしたら秀昭は、何か胸に秘めた想いがあるのではない。
近しい人でもなく、親しい甥っ子でもない。
赤の他人である遥たちにこそ話したいと思える、何かが。
事前に辰男が用意していた屋敷の図面が、座卓いっぱいに広げられる。
改めて大きな屋敷だと実感しながら、遥は心霊現象の起きた順番を書き記していった。
「まず最初の目撃場所が、お屋敷東側の中央にある客間。次に、屋敷最奥にあるお手洗い場の前。最後に、お屋敷西側手前にある接見室ですね」
部屋の大きさも配置も用途も、特に共通点はない。
少女の霊を見たという時間帯も、午後三時頃、正午ごろ、午前十時頃とばらばらだった。
「今回は残念ながら、少女の姿を見ることはできませんでしたね。突然見知らぬ人間がやってきて、彼女も警戒してしまったのかもしれません」
まるで親戚の女の子のことを話すような雅に、辰男と秀昭も妙に納得した面持ちで頷いた。
霊を普段から目にする雅にとっては、生死の違いのみでそう大差はないものかもしれない。
ただ、その相手が自身の意図せずその場に留まっているのだとすれば、そっと手を差し伸べているだけなのだ。
「だとすれば妙な点も出てきます」
ずっと沈黙していた和泉が静かに口を開いた。
「見知らぬ不動産業者の担当者が来たときに限って、少女の霊は何故姿を見せたんでしょう。状況は今日のそれと変わりないように感じますが」
「あ、確かに……」
全くその通りの正論に、辰男たちと揃って遥も深く頷く。
「担当者の方は、こちらの遥ちゃんのような、思わずちょっかいを出したくなる可愛らしい方だったんでしょうか? こちらの和泉のような無愛想ではなく」
「ちょ、ちょっかい?」
「無愛想で悪かったな」
雅の笑顔の問いかけに、遥と和泉が揃って反応する。
「どうでしたか? 秀昭さん」
「あ、いえ。担当者の方は柔道有段者の屈強な男性でして」
「なるほど。となると、初対面の少女が気軽にいたずらを仕掛けようとするようなイメージは薄そうですね」
「だとしたら、やはり妙です。その三日に限って少女が姿を見せたのは、いったい何故なのか」
ああ。やっぱり、この二人はすごい。
雅と和泉。
一見相反する二人が時に驚きの連携をみせることに、遥は密かに気づいていた。
雅のテンポがよく滑らかな語りに和泉の冷静な指摘が入ることで、自然と現状の疑問点が浮き彫りになっていく。
「秀昭さん。今回の三日間のほかに、少女の霊を視たり感じたりしたご経験はありませんか?」
「いいえ、それがまったくありませんでした。そういうことがあれば、事前に不動産業者の方にもお話ししたのですが」
申し訳なさそうに答える秀昭に、辰男も同調するように続いた。
「そもそも、この家に女の子が出入りしていたという記憶もほとんどないんですよね。うちの家は、親兄弟も私たち世代も男ばかりでしたから」
首を傾げる伯父と甥の姿に、遥もつられて首を傾げる。
そもそもこの少女の正体は何者で、いつからこの家に棲んでいるのか。
長年居住していた秀昭が出くわさなかった少女が、何故このタイミングで姿を見せたのか。
浮き彫りになった疑問は、どうやら今日解決することはなさそうだ。
雅がぱん、と笑顔で手を打った。
「いろいろと気になるところはありますが、少女の霊がこの家に潜んでいることは間違いないようです。この邸宅がよほど気に入っているのでしょうね。また日を改めて少女の霊を探ることにしましょうか」
「そのときはまた、少女の霊とかくれんぼですね」
遥が頷きながら言うと、秀昭がふっと小さく笑みをこぼした。
「かくれんぼ、か」
「……秀昭さん?」
「ああ、すみません。幼少時代はこの屋敷を使って、よくかくれんぼをしたものだなあと思いましてね」
「そうだったんですね」
確かにこの広い邸宅でなら、かくれんぼもやりがいがあったことだろう。
懐古の眼差しを浮かべた秀昭が、屋敷内を静かに眺める。
その目には柔らかな慈愛の光が満ちていた。
東堂家の邸宅を訪れた翌日。
雅と和泉が外に出ている間、遥は劇団拝ミ座の屋敷内を黙々と清掃していた。
というのも、普段立ち入ることを許されない和泉の作業部屋が、今日は珍しく解放されているのだ。
どうやら部屋の主は区切りよく洋裁の仕事を終え、機嫌がよかったらしい。
「ふう……よし。こんな感じで良いかな!」
中央の作業台には手を触れないこと。
きつく言い含められた命令をしっかり守り通し、遥は目に付いた至る箇所の清掃を終えた。
和泉は、放っておけば軽く一週間は作業部屋に籠もってしまう。
これからもやはり可能なタイミングできちんと清掃をいれなければ。
清々しい心地で一息吐き、清掃道具を片付けようと手を伸ばす。
そんな遥に、空気の入れ換えで開けていた窓から突然強い風が吹き込んだ。
「ひゃっ、……あ、いけない」
振り返ると同時に、何かが床に落下した音に気づく。
しかも悪いことに、それはどうやら手出し厳禁の作業台から落ちてしまったようだ。
慌てて拾いに向かった遥は、その落ちたものにはっと目を見張った。
「これは……」
呟きながら拾い上げたのは、繊維が織り込まれたような優しい感触の和紙だった。
その紙が蛇腹のように繋がっており、広がった大きな紙面には刺繍の図案が事細かく記されている。
描かれたその模様には、見覚えがあった。
植物のようにも動物のようにも見える、不思議な模様。
完成されているようで、いまだ完成されていないような、金色の刺繍画。
「雅さんの、紺羽織の刺繍図案……だよね?」
すぐにぴんときたはずが、じっと向き合う内に何故か自信がなくなっていく。
正式に劇団拝ミ座の一員になってからというもの、雅の紺羽織を目にする機会は何度もあった。
私生活が壊滅的にあれでこれな彼だが、あの羽織だけは常に丁重に扱っていることを遥も知っている。
普段は大きな衣紋掛けに静か佇む紺羽織。
だからこそ、その刺繍も常々目にしており、迷うことなどないはずだ。
それなのになんだろう。
ほんの僅かに感じてしまう、この違和感の正体は。
ピンポーン。
そのときだった。
来客予定のないはずの劇団拝ミ座に、来訪者を知らせるチャイムが鳴った。
雅たちならば鍵を持っている。新規の依頼人だろうか。
「い、いけないいけない!」
広げていた図案を元の場所へと丁寧に戻し、素早く窓の戸締まりを済ませる。
清掃道具の片付けは後回しだ。
身なりをパパッと整えながら、遥は玄関先まで急いだ。
「申し訳ございませんっ、大変お待たせいたしました……!」
「こんにちは、遥さん。昨日はありがとうございました」
「え……、秀昭さん?」
思いがけない来客に、遥は玄関先で声を上げた。
玄関口には昨日大邸宅を案内してくれた秀昭が、穏やかな笑顔で佇んでいた。
帽子を手にした身なりは仕立ての良いシャツにスーツパンツで、昨日と同様人当たりの良い雰囲気をまとっている。
ロマンスグレーの品良く整えられた髪を揺らし、秀昭はゆっくりと頭を下げた。
「突然お訪ねして申し訳ありません。偶然近くまで用事がありまして、名刺に書かれた住所を頼りに参りました」
「そうでしたか。あ……、申し訳ございません。御護守は今、別件で出払っておりまして」
「いいんですよ。ご連絡もしておりませんし、本当にただ少し、ご挨拶をと立ち寄らせていただいただけですから」
そう言った秀昭は、手にした帽子を静かに被った。
「今回のことは拝ミ座さんにもご迷惑をおかけします」
「いいえ、いいえ。迷惑だなんてそんな」
「お手数をおかけいたしますが、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。それでは」
そう言った秀昭は、穏やかな表情できびすをかえした。
去って行く背中を眺めながら、遥は小さな違和感を覚える。
今回の相談で何か思い出したことがあれば、わざわざ出向かずとも電話もある。
甥の辰男さんにもここに来ることは伝えていない様子だ。
恐らく、本当に突発的な考えで赴いたのだろう。
──かくれんぼ、か。
そのときふと、昨日耳にした秀昭のつぶやきが脳裏によぎった。
「あの、秀昭さん!」
門先を出ようとしたところの秀昭に、遥は咄嗟に声をかけた。
「もしよろしければ、中でお茶でもいかがですか。実は私もお掃除を終えて、ちょうど休憩を取ろうと思っていたんです」
「でも、よろしいのですか」
「もちろんです。どうぞお上がりください」
戸惑う様子の秀昭を、遥は笑顔で促す。
もしかしたら秀昭は、何か胸に秘めた想いがあるのではない。
近しい人でもなく、親しい甥っ子でもない。
赤の他人である遥たちにこそ話したいと思える、何かが。