たどり着いた先は、想像以上に大きな邸宅だった。
平屋建ての劇団拝ミ座の屋敷よりも一回りも二回りも大きく、ふすまの向こうには手入れの行き届いた和庭園が広がっている。
この家に単身生活をしているという依頼人の伯父・東堂#秀昭__ひであき__#は、穏やかな笑みを浮かべて来客三人のお茶を用意した。
年齢は六十一歳と聞く。
まとう服装はシンプルな装いだが、立ちこめる穏やかな雰囲気と上品な居住まい、そして少し下がった柔らかな目尻が、この人の人の良さを物語っている気がした。
「お待たせして申し訳ありません。甥の辰男が急遽仕事の応対が必要になったらしく、十数分ほど遅れると連絡がございまして」
「いいえ、問題ございません。辰男さんからはこちらにも先ほど連絡が入っておりました。先に我々のみお邪魔させていただきありがとうございます」
雅が丁寧に頭を下げる。
それに倣うように、後方に並ぶ遥と和泉も頭を下げた。
「これはご丁寧に。このたびは屋敷のことでほうぼうの方にご迷惑をおかけしているようで、全く申し訳ない限りです」
「そんなことはありません。甥の辰男さんも、昔から伯父上さまのお世話になり、いつも感謝していると仰っておりましたよ」
「いやあ、お恥ずかしい。それが今では、逆に世話になりっきりですからなあ」
他愛ない話を進める雅と秀昭の様子を、遥はさりげなく注視していた。
この家の売却の話を聞いたとき、長年暮らした自宅を離れることは、伯父にとっても苦渋の決断だったのではないかと遥は考えていた。
ところが話しぶりを聞く限り、秀昭自身も屋敷から離れることに自体ついては納得しているように思われた。伯父と甥っ子の仲もすこぶる良好のようだ。
そのとき、玄関の扉が開錠されるような音が聞こえた。
「ああ、申し訳ございません、拝ミ座さん! せっかくお越しいただいたのに、お待たせしてしまいまして……!」
「問題ありませんよ、辰男さん。お先にお邪魔しています」
慌てた様子で現れたのは、依頼人の東堂辰男だった。
先日拝ミ座本舗に前相談に来たときに、遥も一度顔を合わせている。
三十代にしては少し若々しさが残る、黒髪の爽やかな印象の男性だ。
仕事の関係だからか、今日も服装は仕立ての良さそうなスーツをまとっていた。
「そちらの方は和泉さんと遥さんですね。このたびはご迷惑をおかけいたします。どうぞよろしくお願いいたします」
「えっ、辰男さん、どうして私たちの名を……?」
思わず聞き返してしまった遥に、辰男がくすりと笑みを漏らす。
「以前ご相談に伺ったときに、雅さんからお名前だけご紹介いただいたんです。劇団拝ミ座を支えてくれている頼もしいお二人ですと」
「恐縮です」
「あ……そ、そうでしたかっ」
人づてに告げられた思わぬお褒めの言葉に、和泉は淡々と礼を告げ、遥はかあっと頬に熱を集めた。
和泉はともかく、遥はまだ拝ミ座にとって新米も新米だ。
屋敷内の雑務はまだ良いが、依頼関連では右も左もわからず、あうんの呼吸で動ける二人とは大きな隔たりがある。
それでも、雅の口から語られたその言葉が、遥は何より嬉しかった。
「さて。辰男さんにもお越しいただいたことですし、さっそくお教えいただきましょうか。今回起こっている屋敷内での不可思議な現象について」
のんびりした調子で、雅が音頭を取るように告げる。
しかしその横顔は凜としていて、遥も自然に背筋が伸びた。
今回向き合うことになる少女。彼女は一体どんな未練を抱えているのだろうか。
年は七,八歳ほどの少女だったという。
黒い髪を頭を上にまとめ、花柄があしらわれた和装をまとっていたらしい。
「こうして改めて拝見すると、本当にご立派なお屋敷ですね」
「ありがとうございます。先祖がこの周辺の土地を持っていたらしく、その名残でしょうね」
家主の秀昭の案内で、拝ミ座三人は邸宅内を見て回っていた。
外から見るよりも遥に拾い造りで、続く廊下の脇には各々こだわりが感じられる和室が並んでいる。
「以前は両親や兄弟三人とも暮らしておりましたが、今や独り身の老人がひとりきり。家もきっと寂しい思いをしているでしょうね」
「また伯父さんはそんなことを。事業で成功して早々にセミリタイアしても、他に移らずここに残り続けたのは伯父さんだけだ。家もきっと感謝しているはずだよ」
眉を下げる秀昭に、辰男がすかさず言いつのる。
「そうだといいんだが。ああ、まずこちらの部屋ですね。業者の方が妙な人影を見たという部屋です」
秀昭がふすまを開いた先は上品な客間だった。
若草色の畳からはほのかにい草の香りが立ち、外に通じるふすまにはは陽の光がじわりとしみている。
床の間に飾られた花も美しく、毎日手入れされていることがわかった。
「素敵な部屋ですね」
「東向きのこの部屋は朝陽がよく差し込むんですよ。今でも朝が弱い辰男が遊びに来たときに、よく寝室に使う部屋なんです」
「ちょっと伯父さん、余計なことまで話さないでよ」
気恥ずかしそうにする辰男に、遥が小さく笑みをこぼす。
「ですがこうして見ると、少女の影が見たなんて思いもつかない部屋ですね」
「ええ。聞いたときは、私も本当に驚きました」
世間話の延長のような雅の言葉に、秀昭もしんみりと頷いた。
「二週間ほど前の午後三時頃と記憶しています。不動産業者の方が初めていらっしゃった日で、今の皆さんのように屋敷内を見て回っていました」
そして今のように部屋のふすまを開けた瞬間、担当者の顔が真っ青になったのだという。
和装姿の少女が見えた気がする、と。
「私はあとに入ったので目にすることはなかったのですが、見間違いにしてはあまりに驚愕していた様子でした」
相づちを打ったあと、遥は静かに雅たちに視線を向けた。
霊を視る目を持つ雅と和泉。
どこか研ぎ澄まされた空気をまとった二人の眼差しが、無言で交わる。
ああ、どうやら「見間違い」ではないらしい。
「どうでしょうか、拝ミ座さん」
「はい。確かにこの部屋に、人ならざるものの気配がかすかに残っていますね。端的にいえば幽霊ですね。とはいえ、今はすでにこの部屋に姿はありませんが」
「ああ、そ、そうですか……」
ある程度の覚悟をしていた様子の辰男だったが、いざ明言されるとやはり動揺するようだ。
伯父の秀昭もまた、辰男ほどではないものの小さく表情を曇らせた。
「歴史の長いお屋敷ですから、彼らに魅入られることもさほど不思議ではありません。幸いこの部屋に悪い怨の念も感じませんので、あまりご心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「確かに、とても素敵な客間ですもんね。お花もとても綺麗に生けられていますから」
床の間に静かに咲いた生け花は、白百合を中心に長い緑の草が周囲を包みこむように飾られている。
まるでこの部屋の主のように堂々とした佇まいに、遥は思わず声を弾ませた。
そして少しの間を置いてはっと口元を手で塞ぐ。
いけない。
自分の能天気な発言は、今の場にそぐわなかっただろうか。
「あ、の、申し訳ありませんでした。あんまりそちらの生け花が素晴らしかったもので、つい」
「はは。いいんですよ。お陰さまで幾分気持ちが晴れました」
慌てて頭を下げた遥に、秀昭が朗らかな笑みで答えた。
隣の辰男も、どこか表情の強ばりが解けたようだ。
その背後には呆れた目でこちらを見遣る和泉と、小さく笑みを漏らす雅がいた。
平屋建ての劇団拝ミ座の屋敷よりも一回りも二回りも大きく、ふすまの向こうには手入れの行き届いた和庭園が広がっている。
この家に単身生活をしているという依頼人の伯父・東堂#秀昭__ひであき__#は、穏やかな笑みを浮かべて来客三人のお茶を用意した。
年齢は六十一歳と聞く。
まとう服装はシンプルな装いだが、立ちこめる穏やかな雰囲気と上品な居住まい、そして少し下がった柔らかな目尻が、この人の人の良さを物語っている気がした。
「お待たせして申し訳ありません。甥の辰男が急遽仕事の応対が必要になったらしく、十数分ほど遅れると連絡がございまして」
「いいえ、問題ございません。辰男さんからはこちらにも先ほど連絡が入っておりました。先に我々のみお邪魔させていただきありがとうございます」
雅が丁寧に頭を下げる。
それに倣うように、後方に並ぶ遥と和泉も頭を下げた。
「これはご丁寧に。このたびは屋敷のことでほうぼうの方にご迷惑をおかけしているようで、全く申し訳ない限りです」
「そんなことはありません。甥の辰男さんも、昔から伯父上さまのお世話になり、いつも感謝していると仰っておりましたよ」
「いやあ、お恥ずかしい。それが今では、逆に世話になりっきりですからなあ」
他愛ない話を進める雅と秀昭の様子を、遥はさりげなく注視していた。
この家の売却の話を聞いたとき、長年暮らした自宅を離れることは、伯父にとっても苦渋の決断だったのではないかと遥は考えていた。
ところが話しぶりを聞く限り、秀昭自身も屋敷から離れることに自体ついては納得しているように思われた。伯父と甥っ子の仲もすこぶる良好のようだ。
そのとき、玄関の扉が開錠されるような音が聞こえた。
「ああ、申し訳ございません、拝ミ座さん! せっかくお越しいただいたのに、お待たせしてしまいまして……!」
「問題ありませんよ、辰男さん。お先にお邪魔しています」
慌てた様子で現れたのは、依頼人の東堂辰男だった。
先日拝ミ座本舗に前相談に来たときに、遥も一度顔を合わせている。
三十代にしては少し若々しさが残る、黒髪の爽やかな印象の男性だ。
仕事の関係だからか、今日も服装は仕立ての良さそうなスーツをまとっていた。
「そちらの方は和泉さんと遥さんですね。このたびはご迷惑をおかけいたします。どうぞよろしくお願いいたします」
「えっ、辰男さん、どうして私たちの名を……?」
思わず聞き返してしまった遥に、辰男がくすりと笑みを漏らす。
「以前ご相談に伺ったときに、雅さんからお名前だけご紹介いただいたんです。劇団拝ミ座を支えてくれている頼もしいお二人ですと」
「恐縮です」
「あ……そ、そうでしたかっ」
人づてに告げられた思わぬお褒めの言葉に、和泉は淡々と礼を告げ、遥はかあっと頬に熱を集めた。
和泉はともかく、遥はまだ拝ミ座にとって新米も新米だ。
屋敷内の雑務はまだ良いが、依頼関連では右も左もわからず、あうんの呼吸で動ける二人とは大きな隔たりがある。
それでも、雅の口から語られたその言葉が、遥は何より嬉しかった。
「さて。辰男さんにもお越しいただいたことですし、さっそくお教えいただきましょうか。今回起こっている屋敷内での不可思議な現象について」
のんびりした調子で、雅が音頭を取るように告げる。
しかしその横顔は凜としていて、遥も自然に背筋が伸びた。
今回向き合うことになる少女。彼女は一体どんな未練を抱えているのだろうか。
年は七,八歳ほどの少女だったという。
黒い髪を頭を上にまとめ、花柄があしらわれた和装をまとっていたらしい。
「こうして改めて拝見すると、本当にご立派なお屋敷ですね」
「ありがとうございます。先祖がこの周辺の土地を持っていたらしく、その名残でしょうね」
家主の秀昭の案内で、拝ミ座三人は邸宅内を見て回っていた。
外から見るよりも遥に拾い造りで、続く廊下の脇には各々こだわりが感じられる和室が並んでいる。
「以前は両親や兄弟三人とも暮らしておりましたが、今や独り身の老人がひとりきり。家もきっと寂しい思いをしているでしょうね」
「また伯父さんはそんなことを。事業で成功して早々にセミリタイアしても、他に移らずここに残り続けたのは伯父さんだけだ。家もきっと感謝しているはずだよ」
眉を下げる秀昭に、辰男がすかさず言いつのる。
「そうだといいんだが。ああ、まずこちらの部屋ですね。業者の方が妙な人影を見たという部屋です」
秀昭がふすまを開いた先は上品な客間だった。
若草色の畳からはほのかにい草の香りが立ち、外に通じるふすまにはは陽の光がじわりとしみている。
床の間に飾られた花も美しく、毎日手入れされていることがわかった。
「素敵な部屋ですね」
「東向きのこの部屋は朝陽がよく差し込むんですよ。今でも朝が弱い辰男が遊びに来たときに、よく寝室に使う部屋なんです」
「ちょっと伯父さん、余計なことまで話さないでよ」
気恥ずかしそうにする辰男に、遥が小さく笑みをこぼす。
「ですがこうして見ると、少女の影が見たなんて思いもつかない部屋ですね」
「ええ。聞いたときは、私も本当に驚きました」
世間話の延長のような雅の言葉に、秀昭もしんみりと頷いた。
「二週間ほど前の午後三時頃と記憶しています。不動産業者の方が初めていらっしゃった日で、今の皆さんのように屋敷内を見て回っていました」
そして今のように部屋のふすまを開けた瞬間、担当者の顔が真っ青になったのだという。
和装姿の少女が見えた気がする、と。
「私はあとに入ったので目にすることはなかったのですが、見間違いにしてはあまりに驚愕していた様子でした」
相づちを打ったあと、遥は静かに雅たちに視線を向けた。
霊を視る目を持つ雅と和泉。
どこか研ぎ澄まされた空気をまとった二人の眼差しが、無言で交わる。
ああ、どうやら「見間違い」ではないらしい。
「どうでしょうか、拝ミ座さん」
「はい。確かにこの部屋に、人ならざるものの気配がかすかに残っていますね。端的にいえば幽霊ですね。とはいえ、今はすでにこの部屋に姿はありませんが」
「ああ、そ、そうですか……」
ある程度の覚悟をしていた様子の辰男だったが、いざ明言されるとやはり動揺するようだ。
伯父の秀昭もまた、辰男ほどではないものの小さく表情を曇らせた。
「歴史の長いお屋敷ですから、彼らに魅入られることもさほど不思議ではありません。幸いこの部屋に悪い怨の念も感じませんので、あまりご心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「確かに、とても素敵な客間ですもんね。お花もとても綺麗に生けられていますから」
床の間に静かに咲いた生け花は、白百合を中心に長い緑の草が周囲を包みこむように飾られている。
まるでこの部屋の主のように堂々とした佇まいに、遥は思わず声を弾ませた。
そして少しの間を置いてはっと口元を手で塞ぐ。
いけない。
自分の能天気な発言は、今の場にそぐわなかっただろうか。
「あ、の、申し訳ありませんでした。あんまりそちらの生け花が素晴らしかったもので、つい」
「はは。いいんですよ。お陰さまで幾分気持ちが晴れました」
慌てて頭を下げた遥に、秀昭が朗らかな笑みで答えた。
隣の辰男も、どこか表情の強ばりが解けたようだ。
その背後には呆れた目でこちらを見遣る和泉と、小さく笑みを漏らす雅がいた。