「だから、正直、今の俺の立場って複雑で。死んだ母からの贈り物だと思うべきか、一種の呪いだと思うべきか、当時はわりと悩んでたはずなんだけどね。答えが見つからないうちに、なんかどうでもよくなっちゃった」
「……両極端、ですね。贈り物と呪いなんて」
ユイ先輩にとっては、他人から評価されることも、さして重要ではないのだろう。
それは私がこの一年半の間、時間が許す限り、先輩の隣で絵を描き続けて感じたことだった。先輩は、第三者の目なんて意にも介していないのだ。
コンクールで金賞を受賞することにこだわってきた私とは、根本的に違う。
「……でも、やっぱり、ユイ先輩はすごいです。本当に、いつだって絵に対して真摯で。だからこそ、先輩の絵はあんなにも綺麗で確立されているんでしょうね」
おそらくユイ先輩は、金賞自体になんの価値も見出していない。先生から促されて出していただけで、そこで結果を残そうとは、はなから望んでいなかった。
それゆえに、私は、いつまでもユイ先輩に追いつけない。
そしてきっと一生、同じ世界を見ることは叶わない。
どれだけ恋焦がれようとも、欲にまみれた私は、彼の隣には並べない。
「君も絵を描く人だから、わかると思うけど。俺たちは結局、どんな境地に立たされても、そのとき見えているものしか描けないでしょ」
「……視覚的なことじゃなくて、内的なことですよね?」
「そう。心で見えているものの話」
視覚で捉えたものを写実的に描き起こす画家も、もちろん少なくない。同じ色、同じ形を辿り、それを写真のように残す。無論それも幾多ある描き方のひとつだ。
けれど、たとえ同じ対象を描いていても、まったく表現が異なる場合がある。水彩画や鉛筆画、という区分の問題ではなく、そもそも描かれているものが違う場合だ。
それは決して、捏造や妄想という言葉で片付けられるものではない。
本当にそう見えているのだ。心の目で写し取ったものを描いているだけの話。そこに差異が生まれるのは当然で、むしろだからこそ『画家』という。
「だから俺は、鉛筆画を描いてる。見えてるものを、ただ描いてるだけなんだ」
「っ……もしかして本当は、色彩画を描きたいんですか?」
「どうだろう。わからない。でも、見えているものは描きたいと思うよ」
後半は少し意味深につぶやいてから、ユイ先輩はこちらを振り返った。