「凛々」

あたしの名前。

お母さんがつけてくれたみたいだけれど、



生まれてこなければ、その名前を呼ばれることもなかったんだ。



あたしがなぜ「凛々」と名づけられたのか、小学生の頃、作文にするよう宿題で出されたことがある。


うろ覚えだけど、確か「女の子らしく、凛々しく、思いやりのある優しい子に育ってほしい」だったかな。


当時のあたしは、たくさんの願いを込めてつけてくれたのだと素直に喜んでいた。


また、「りり」という名前の響きも友達からは「可愛い名前で羨ましい」と言われてちょっと誇らしかった。

でも、そんなある日。





あたしはいかにお母さんが自分の思い通りにあたしを育て上げようとしていた、と感じるようになって。

急に自分の名前が気持ち悪く思えてきた。



この名前が相応しい人間に育ったかといえば、全然そうではないし、寧ろその願いに反することであたしは自分で自分を確立させようとしていたのかもしれない。




あたしは、あたし。

ちなみに、今このお腹にいる“あたし”に、

あたしは母親として、何て名前をつけるのだろう。



もしかしたら、実は男の子! なんてこと、ないよね?




一瞬疑ったけれど、あたしは一人っ子だ。



もし、あたしが男の子だったら。

きっと今のこの体に対して、男子には知り得ない未知の領域に踏み込んでしまった、何となく罪悪感に苛まれるような不思議な感覚に陥るのだろう。


でも、その可能性は限りなく低い。



それは、すでに新品のピンクの花柄ロンパースがベビーベッドの上に用意されているから。


見覚えのある柄だから、間違いない。

花柄のロンパース。


もう今では残っていないけれど、これを選ぶときのお母さんは、どんな気持ちだったのかな。



お腹の子が女の子だってわからないと、選べないよね。

こんなに可愛い模様。


あたしがお母さんなら、何色を選ぶかな。




やっぱり、自分の好きな色?

それとも、その赤ちゃんに似合うと思った色?

もしくは、直感?




選ぶ基準も様々だけど、

もし、あたしが赤ちゃんなら。

自分のことを思って選んでくれた事自体が嬉しいと思うような気がする。






あれ?


あたし、いつの間にか「お母さんだったら……」っていうのを基準に考えてる?

あたしはいつも、「あたしだったら」ばかりで。

()を通すことしか考えていなかった。


あたしの人生なんだから、あたしが決めて当然。

あたしがどう生きるかなんて、お母さんには関係ない。