今日の病棟はいつも以上に騒がしい。そして私の心もどこか騒がしい。
長年空いたままの私のいる病室のひとつが今日埋まる。新しい入院患者が来るのだ。それも私と同い年で同じ疾患を患った女の子。こんなことで喜ぶのは少し不謹慎なのかもしれないけれど、申し訳なさを通り越したなんとも言えない気持ちで朝から胸が騒がしい。長尾さんの足音がいつもより早く刻まれる。

今日のことは少年にも話した。少年はいまだに無口だが、こちらの声は聞こえているらしく意思の疎通は問題なくできている。最近は慣れてきたのか頻繁にメッセージカードも花と共に差し出すようになった。しかし最小限の文字数なのは変わらず、多くても十文字もいかないほどの文字を手作りのメッセージカードに書いて渡す。それに応えるように私も近くにあった紙に文字を書き、なるべく少ない文字数で表情と身振りでのコミュニケーションを楽しんだ。
今日入院してくる少女について話した時、少年は今まで見たことのないくらいの笑顔を浮かべ、小さな手を小刻みに叩きながら、

 「よかったね」

と書いたメモ紙を見せた。だがそれと同時にこの部屋に入っていいかを気にしたらしく後から少し、不安げな表情も見せた。そんも表情に対し別れ際

 「またきてね」

と書いた紙を見せると一気に表情が晴れ、大きく手を振って小走りで廊下へと駆け出していった。

 そんな少年から今日届いた花は
 『ヒメヤブラン』
 花言葉は
 『新しい出会い』

少年の明確な年齢はわからないが、きっと私とは十歳近く離れていると思う。それなのに毎日の日常をなぞるような言葉を花という形で私に届けてくれる。きっと富んだ感受性の持ち主なのだろう。

 「すいちゃーん 起きてる?」

長尾さんの声が病室に響く。いつもより張った声に違和感を感じる。

 「今日から一緒のお部屋に入院する笹原光ちゃんです!」

長尾さんの横に大きなボストンバッグを肩からかけた少女が立っていた。同い年のはずなのに自分より遥かに大人っぽく見え、少し複雑な気持ちになる。髪は腰まで伸びており毛先のあたりにふわふわと癖のある茶色がかった髪。そこから見える肌は白く、童話の主人公のような容姿の持ち主だった。マスク越しに見える表情は緊張で凝っていて、無理に笑おうとしているのがわかる。

 「初めまして、深瀬翠です。今日からよろしくね」

敬語とタメ語を交えつつ絶妙な距離感を図っていく。私も少女と同じく緊張している。

 「初めまして、笹原光です。迷惑かけちゃうこともあると思うんですけどよろしくお願いします」

なんとなくわかる、この感じはきっと仲良くなれる。なんとなく志帆ちゃんとの初対面を思い出した。病院での生活が始まると自然に人には慣れてくる。同世代なら尚更そうだ。だから無理に距離を詰めずに時間の経過を待とうと思った。

 「光ちゃんはこのベッドだから今日から少しずつ荷物整理して環境整えていってね」

長尾さんに促されるまま彼女はベッドを中心に生活スペースをつくっていく。

 「お花綺麗ですね、おすきなんですか?」

圧を掛けないように彼女から逸らしていた視線が不意に彼女に向いた。困惑のあまりなんの返答もできないまま彼女を見つめる。

 「その花瓶にさしてあるお花です。ヒメヤブラン……でしたっけ?可愛らしい紫色のお花ですよね」

いつの間にかマスクを外した彼女の表情はさっきとは結びつかないほど柔らかくなっていた。彼女は花がすきなのかもしれない。せっかくのチャンスを逃すまいと少し話を合わせることにした。

 「そうなんです!綺麗な花ですよね、光さんお花すきなんですか?」

 「そんなに詳しくはないんだけど、休日母がよくお花畑に連れて行ってくれていたから見ると嬉しくなるんだよね」

 「そうですね!もし光さんがよかったらなんだけど……花のこと教えてほしいな」

なんだそんなことかと言わんばかりの承諾の返事に場が和んだ。敬語だった口調は解け、すぐにでも仲良くなれそうな雰囲気を感じる。このことは明日少年にも話そう。どんな反応をしてくれるだろうか、最近は何かあるたびに少年に話すことを自然と想像するようになった。

ー*ー*ー*ー*ー

 ある朝、久しぶりにひとりで目覚める朝が来た。彼女は早朝から検査が入っていて、今は少年と久しぶりにふたりの時間を過ごしている。

 「ちゃんと話すのは久しぶりだね、元気だった?」

相変わらず何も言わずに頷く少年に懐かしさを覚える。そして無言で花を差し出した。

 『ヒメリュウキンカ』

花言葉は

 『あなたに会える幸せ』

この少年は将来きっと素敵な男性になると確信すると同時に、少年の純粋な感性に癒された。
この花言葉は全て少年からのメッセージだ。

 「私も、かいくんに会えて嬉しいよ。ありがとう」

誇らしげな顔をしながら大きく頷く少年の子どもらしい一面にまた癒されてしまった。
すると少年は何かを思い出したかのように光のベットを指さした。

 「光は今日、朝から検査なんだって」

『そうじゃない』と言うように激しく首を横に振る少年の意図を汲み取ろうと必死に目をみる。不思議にもなんとなくわかった気がした。

 「光とよく話すようになったよ。思ったよりも早く仲良くなれて毎日楽しいの」

そう答えると少年からあらかじめ用意されていたであろうメモ紙を差し出された。今日はどうしてもその話が気になったのだろう。

 『は な の こ と』

その文字を見てハッとした。以前、『光自身も花がすき』だということを少年にしたことがあった。そこからふたりでよく花の話をするようになったと少年に話したこともあった。

 「明日光が押し花で作った栞を見せてくれるんだ」

明日は光が数年前作った栞を見せてくれると約束してくれた日だった。本当は今日の予定だったのだが急遽検査がずれ込んでしまったため、ふたりとも明日を待ち遠しくしている。
その話を聞いた少年は、エクボをへこませ自分のことのようにガッツポーズをした。

 『た の し ん で ね』

少年からの言葉が響く。

一日検査が続く光が病室に帰ってきたのを確認して、今日は一緒に早く眠ることにした。

 「おやすみ翠、また明日ね」

 「光もおやすみ、今日はお疲れ様」

そう言って静かにカーテンを閉めた。