小さな丸いレコーダーにトリがディスクを差し込むと、目の前に見知らぬ男が現れた。
 彼が『マレーク・ロード』なのだろう。まるで一緒にテーブルについているような感じだ。
 歳は30代後半くらい。髪は茶色で伸びきっていて後ろにひとつにまとめて結んでいた。
 鼻筋の通った理知的な顔だちで、細身だが引き締まった体つきに見える。
 彼は恥ずかしそうに額をこすった。

 『苦手なんだ。こういう姿も一緒に残るやつって。なんだか照れくさい。
 ……だけど、ここにはこのタイプしかないって言うから……。
 まあ、これをケイナが見る頃には笑い話になるよな』

 3人は男の顔を無言で見つめた。

 『ぼくはずいぶん長い間、環境調査研究団に所属していた。
 毎日、毎日、野暮ったい酸素マスクをつけてドームの外の荒れ果てた岩場の土を集めて回るんだ。それをきちんと分析して、レポートにして、地質改善のあらゆる方法論を添付して提出する。
 それがぼくの仕事だった。ぼくはその仕事に誇りを持っていたよ。
 地球は美しい星だ。今はちょっとだけ病気にかかっているだけだ。
 ぼくのやっていることは、きっと未来に役立つと…… そう信じていた』

 『エストランド教授が調査団を辞めてもうどれくらいになるだろう。
 彼は辞めるときにぼくに言った。
 政府は地球の環境改善には興味を持っていないよ、と。
環境汚染は倍々に加速している。彼らは気が遠くなるような時間を要する環境改善に多額のお金を使うくらいなら、別の環境を整えたほうが効率がいいと思っている。
 手始めが植民衛星コロニー2の開発だ。 今はもうすでにコリュボスという新しい衛星に着手している。次が衛星フォリスだ。
 バックアップをしているのはリィ・カンパニーという巨大企業だ。
 あの企業の政府との癒着は誰もが知っているところだが、企業組織力があまりにも強大過ぎて反発することもできない。
 かつては細かく区切られていた地球上の国が、同じ経済基盤を元に存続していく道を選んでから相当の年月がたった。
 人の生命力の衰退の影に気をとられて、東洋のあの小さな企業は密かに野心を燃やしていた。
 気づくのが遅かったんだ。
 先端技術を持っているという理由であまりにも優遇し過ぎた。
 それでも昔は小さな企業だったはずだ。名前も違っていた。
 それがいつの間にかこの経済をリィ一族が牛耳るようになっている。
 ぼくもとうの昔にそのことは分かっていたんだと思う。
 ぼくのやっていることは、名目上のことでしかないんだと……
 ぼくは察していながらそれを認めたくはなかったんだと思う。
 認められっこないよ……。
 ぼくには本当にこの仕事しかなかったんだ……』

 『エストランド教授は「ノマドに行く」と言っていた。
 ほんとうに行ったのかどうか、ぼくには分からない。
 だけど、小さくはあるけれど確実に木々を増やしつつある彼らの仕事を考えると、やる気のない政府の依頼にこのまま一生をフイにするよりは、ノマドに行って彼らと共に木々を植えたほうがいいというのはぼくにも分かる。
 だけど、ぼくにはとてもそんな勇気はなかった。
 彼らの宗教観や、この近代社会の中で小さな森の中にテントを張って、手で湯を沸かして風呂に入って、木々を燃やして料理を作り、病気になれば野草を摘んでそれを煎じたり、変なまじないで治療して…… ぼくが聞いた話はそんなものばかりで、ぼくはそういうのは厭だったんだ……』

 『あの日…… ぼくはいつものように外に土の採取に出かけていた。
 ぼくはね…… その…… あんまり人づきあいがよくなかったんだ。
 不器用だったんだよ。ひとりのほうが気楽なんだ。
 だから助手なんかいない。
 いつもひとりで出かけた』

 『けっこうイライラしていたな。その日は……。
 何が理由ってわけじゃないけど、なんだか無性に空しさを感じていた。
 目の前に広がる岩場は見渡す限り草も木も一本もなくて、荒れた土地だった。
 ぼくはわずか1平方メートルに草が生えているのを生きている間に見ることはないだろう。
 でも、ノマドたちはそれをやってのけていて……。
 ノマドとの技術提携ができれば、地球はあっという間に緑に戻るのにな、と思った……。
 ノマドのコミュニティのひとつが7キロ離れたノース・ドームの外れの森に拠点を構えているらしい、という話を聞いたことがあって、だからそんなことを考えたのかもしれない。
 7キロっていえば、バイクで行ってだめでもすぐ戻れる距離だよな、と……
 人間って不思議だよ。
 ぼくはあれだけ厭だって思っていたのに、ちょっと行ってみるか、なんて考えたんだ。
 ぼくはくそ重い土の入ったサンプルバックを持ち上げて、自分のバイクの停めてある場所まで戻った。
 そのとき、気づいたんだ。
 バイクのそばに変な黒い筒が置いてあったことに』

 『変なものだったな。
 直径が40センチ、長さが60センチほどもある大きな筒なんだ』

 マレークは両腕を広げて大きさをジェスチュアで伝えるような素振りをした。
 彼の目には今でもその筒が写っているのだろう。

 『放射能のメーターを見たら感知していなかったから持ち上げてみた。
 なんだか不思議な重さなんだ。ずっしりっていうわけでもないけど、中に何かが入っているという感触だったな。
 表面はすべすべした金属で、側面にうっすらと継ぎ目のような部分があったけど、どうやって開くのか分からなかった。
 不法投棄物にしちゃなんだか異様だし、こんなところに人が来るはずもないし、気味が悪かったけれど、一応環境調査に携わっていて、こんなもの置いて帰れないじゃないか。
 ぼくはしかたなくそれを持ち帰ることにしたんだ。
 筒をバイクの後部に乗せていたバックを納める箱に入れた。
 バックは肩で担いでいくしかないと思った。
 バランスを取るのが難しくなるだろうが、しかたがなかった。
 そしてバイクのエンジンをかけた。
 その途端に背後でかん高い音が響いたから仰天したんだ。
 振り向くと、さっき入れた筒が音をたてて開こうとしていた。
 びっくりしたよ……。
 その次の瞬間にはバイクを飛びおりて一目散に逃げていた』

 マレークはくすりと笑った。

 『何か音や振動に反応して開くようになっていたんじゃないかというのは察しがついた。
 爆弾みたいなものだったらとんでもないなと思った。
 こんな赤い岩しかないようなところで木っ端微塵になって死ぬのは嫌だしな。
 走れるだけ走って遠ざかって、岩のひとつに身をひそめてじっと様子をうかがった。
 ……だけど、何分待っても何にもおこらない。
 ぼくはおそるおそるバイクに戻った。
 戻ったとたんにどかん、てのはかんべんしてほしいと心から願ったね』

 『口がからからに乾いていた。そしてこわごわ筒を覗き込んで、ぼくはあっけにとられたよ。
 筒は宝石箱が開くようにぱっくりと開いていて、中には透明な筒がもうひとつ入れてあったんだ。
 その中身なんて、絶対誰にも想像できないようなものだったよ。
 どんなに想像力の逞しいやつだってこればっかりは無理だっただろう。
 筒の中には…… 赤ん坊が…… 赤ん坊が眠ってた』

 『急に筒から声がした。
 聞いたこともない女性の声だった。
 彼女は言ったんだ。
 「あなたにこんなことをお願いする失礼をお許しください。
 そして、私が名を名乗ることもできないことをお許しください。
 私たちはあなたのことを調べさせていただきました。
 あなたがひとりで地質調査にでかけることも調べました。
 この子を助けるためにはあなたに託すしかありません。
 どうか私たちの願いを聞き入れてください。
 この子をノマドに渡してください。
 この子はこのままこちらにいると危険なのです。
 彼らならきっと助けてくれます。
 どうか、この子をノマドに渡してください。
 お願いします……」』

 『冗談じゃないと思ったよ。
 ふざけるにもほどがある。こんなばかげた話をどうやって信じろと?
 見も知らぬ人間に勝手に調べられて? いきなり願いを叶えろと?
 ノマドにどうやって渡すんだよと思った。
 無理に決まってるじゃないか。ぼくは何の『願い』も叶えられない。そんな力はない。
 でも、連れて帰るにしたって、ぼくは…… ぼくは子供の育てかたなんか知らない。
 だけど…… だけど……』

 マレークは片手をあげて手のひらを上に向け、じっと見つめた。

 『こんな小さい赤ん坊だった……。
 頭が、ぼくの手のひらにすっぽりおさまってしまいそうなんだよ……。
 きれいな子だった。金色の髪が小さな頭で光っていた。
 眠っていたから目の色は分からなかったけど、口も鼻も小さくて…… 小さくてとても品のある子だった。
 ぼくの親指のさきっぽくらいしかない小さなこぶしを…… 顔の前に握りしめていた。
 その子は…… 生きていたんだ……』

 マレークは手をおろして目を臥せると小さく首を振った。

 『ぼくは人付き合いは悪かったけど、家に猫が一匹いた。
 もう5年以上も一緒に暮らしているやつだ。
 黒と白のブチで、こいつも相当無愛想なやつだったけど、いい相棒だったよ。
 名前はチェシャといった。
 ケイナはきっと知らないな。
 おそろしいほど昔の物語に出て来るネコの名前なんだよ。
 鳴いた顔がな、いかにも人をバカにしてるみたいな笑った感じでな。
 それ見るとくだらないことにいちいち愚痴こぼすなよ、と言われてるみたいだった。
 あいつはぼくが帰らなくなってもひとりで生きていくかな、と思った。
 分からない。
 ぼくは家の鍵は全部締めて出る。
 もしかしたら死ぬかもしれない。
 だけど、気持ちは固まっていたんだと思うよ。
 ぼくは赤ん坊に話しかけていた。
 おまえの命はぼくの大事な友人の命とひきかえだな…… と。
 そしてバイクにまたがったんだ。
 いつものくせでバックを持ち上げて、ばかばかしくなって思わず笑ったよ。
 もう、戻ってくることはないだろうとなんとなく予感していた。
 マレーク・ロードは今日で失踪することになるんだ…… 』