遠くで鐘の音が聞こえる。禍を告げる忌々しき鐘の。

「敵襲! 敵襲!」

 兵のその言葉がここへ届くまで、笹音(ささね)は動くことができずにいた。
 桜の花びらと、すぐに溶けてしまう淡雪が舞う初春。花冷えの夜、朱が散った。
 ……不意打ちだった。

「は、母上」

 城の内部は阿鼻叫喚の地獄絵図。深く濃い赤の群生。櫨染の着物にも。赤い。真朱の血。
 腹を裂かれ臓腑を撒き散らされた母上の遺体を呆然と見下ろし、笹音は彼女を死へ追いやった人間の顔を見つめる。隣国、加賀出(かがいで)の男だ、まだ若い。
 その光景を見て、こみ上げてきたのは嘔吐ではなく、母を失った哀しみと苦しみの、残滓。

「姫、覚悟!」

 男の振り下ろした一太刀は、少女の身体を狙わなかった。
 少女の長い髪に、刃が触れる。ばさり、切り落とされる。

 ……狂おしいほど悲しかった。そして、そこで途切れる過去の栄華。

 そのときの記憶が紐解かれることはなかった。姫として育てられていた少女にとって、自らの髪を切り落とした、冴えた一太刀を思い出すことは、絶望を思い知ることでしかなかったから。