半妖死神であると同時に、エイトは漫画家だ。しかし、企業秘密だとかで、残念ながら一度も仕事部屋に入れてもらったことはない。エイトの仕事部屋は関係者以外立ち入り禁止で、入ってはいけないと言われている。先日はネームを見せてくれたが、ほんの一部だけだし、あれは特別らしい。まだ出来上がっていない原稿などは関係者以外に見られるとまずいということだ。それくらいは理解はしているが、本当はどんな話なのか1番に見たい、そう思っていた。

 でも、エイトは仕事となると鬼のように厳しくて、頑固者だ。立ち入り禁止の部屋は聖域のようにも思う。ナナが入ることができない場所だ。

「エイト、漬物の素ってないの?」

 エイトが仕事場から出てきたタイミングで聞いてみた。ナナは常日頃、忙しくしているようにしていた。それは、悲しみを忘れてしまえるように、自分なりの作戦だ。そうでもしないと、母を亡くしたさびしさで涙が止まらなくなる。

「漬物の素は買わない主義だからな。中途半端に使って冷蔵庫に入れていると忘れて賞味期限が切れるっていうのがあるあるなんだよな」

「じゃあ買ってくるよ」

「待ってろよ。塩と砂糖があれば、漬物って1晩あれば浸かるんだぞ」

「そうなの?」

「塩を2、砂糖を1の割合でここにあるキュウリをビニール袋に入れてつけて冷蔵庫に入れておくとあっという間に出来上がりだ。ちなみに砂糖には保存する力があるんだぞ。わざわざ、漬物の素なんぞ買う必要ねーよ」

 そう言うと、エイトはキュウリを切って、ビニールに入れる。エイトの魔法を使うかのような漬物技術に見入ってしまった。彼の漬物の揉み方は実に鮮やかだった。普段から料理をしている男の手つきだ。

「塩って最強なんだよ。緑の野菜をゆでるときに1さじ入れるときれいな緑色になるし、トウモロコシを蒸すときも、塩をすりこんで蒸すと甘さが引き立つんだよな」

「本当にエイトって雑学王、家事男子だよね」

「おう、俺のことはこれから雑学王とでもカジダンとでも呼んでくれ」

 得意げに腰に両手を当てながら話すエイトのことがおかしくもほほえましくて、つい笑ってしまった。もしかしたら彼なりに気を遣ってくれているのかもしれない。

「塩にはさ、清める力もあるだろ。葬式の後に塩をまいたりするけどさ。俺がおまえを清めるから安心しろ。俺は塩男《シオダン》だ。おいしい漬物をつける主力戦隊長だ」

「なによそれ?」

 意味不明な言動だが、どこか優しくて、エイトという塩を頼りに生きているのだと痛感した。未成年のナナには塩対応に見えて実は砂糖のごとく優しい雑学王が必要なのかもしれない。中学を卒業したらちゃんと独立しよう。それまでの1年程度の家族だけれど、頼れる存在だ。

「塩について使えること、自主勉強で調べてみようかな」

「塩はマジで使えるぞ。俺も使える男だがな」

「何を威張ってるのよ」

 いつも偉そうにドヤ顔のエイトのことを笑いながらからかってみる。このまま漫画家から家事料理研究家にでもなろうと思っているのかな? 家事漫画でも料理漫画でも書いたら大ヒットしそうな勢いだ。それくらい彼の漫画は売れていたし、飛ぶ鳥を落とすくらいの勢いがあった。

 エイトは本当に不思議な人だ。見た目はカップラーメンばかり食べていそうだし、金持ちならば、生活の知恵とかいらないだろうし。買えば済むのに、あるもので済ますという主婦の知恵のような男がとっても意外性にあふれているように思えた。いい意味で物を大切にする節約主婦みたいな人。こんなに豪華な建物に住んでいて、収入もあるのにアンバランスで、不思議な人だ。

「エイトってサイコさんとか恋愛対象には思っていないの?」

「ないなぁ。あいつは彼氏次々と変わるタイプだし」
 サイコさんってエイトのこと結構好きだと思うんだけどな。気づいていないのかな?

「愛沢さんは?」

「だって、仲間だろ」

「仲間だったら恋愛感情が芽生えないってこと? じゃあ編集だったお母さんは仲間じゃなかったの?」

「好きになるというのは、急になるもんだろ。仲間だから恋愛感情を持たないかどうかは俺の感情次第なんだよな。俺にも予測不能っていうのかな、おまえはそういった経験ないのか?」

 核心に迫る。
「私は、好きな人もいないけど。いつ、お母さんを好きになったの?」

 少し間をおいて、エイトは丁寧に説明を始めた。それは、保護者として当たり前の仕事だというかのように。

「体調が悪い中、俺が締め切り前でテンパっていたとき、おいしいおじやを作ってくれたんだよな。それで、結婚しようと思った」

「はぁ? 何それ? それで結婚したいなんて普通思わないでしょ」

「普通なんてくそくらえだ。俺はその瞬間好きだと思ったから結婚したいと思ったんだ」

「エイトの思考回路、おかしいんじゃない?」

「でもさ、惚れたっていう瞬間だったんだよ。まぁ俺の場合おふくろを高校の時に亡くしていて、その亡くなった母が作ってくれた味だったんだよな。美佐子さんの味に運命感じたみたいな」

「なにそれ?」
 目の前の成人した男が運命を語る姿が少しおかしくもあった。

「俺は、単純で計算なしで生きているからさ。単細胞だから、即結婚ってなったのかもしれないな」
 母はこの人の胃袋をつかんだのかもしれない。直感で結婚するって本当に後先考えていない人なのかもしれない。母もチャレンジャーだなぁ。

「その時から、美佐子さんに対して特別な感情を抱いていたから、それからすぐ、二人だけの時に、この部屋でプロポーズした」

「お母さんはなんて?」

「私、子供いるし、未亡人だよって彼女は言ったんだ。俺は、だから何? そんなの関係ないって言ってやった」
 そんな素敵な思い切りのあるプロポーズをされた母は女性として幸せだったのではないだろうか。

「少し考えさせてって言われたから、きっと断られると思ったんだよ。俺の誕生日がそのあとにあったんだけど、誕生日に彼女は婚姻届けを持ってきたんだ」
 まさかの婚姻届け。サプライズの誕生日プレゼントだったらしい。

「お母さんが?」

「婚姻届けにサインとハンコも押してあって、いつでも出していいよって」
 意外な一面を見た。正直意外だ。母はもっと慎重なタイプだったと思っていたのだが。

「でも、私に相談なかったよ」

「もちろん、おまえに会ってから入籍しようと思って、俺はこの紙を持っていたけど、結局会う前に美佐子さんが事故に遭って……」

 今に至るのか。なんだか、不思議な話だ。まるで、この人と同居するかのようにうまく《《運命に誘導されてしまったような》》感じがする。

「お母さんとデートしたりしたの?」

「俺、仕事がめちゃくちゃ忙しくて、ちゃんとしたデートもしていない」

 デートもなしに、結婚? 本当に急な話だ。それくらいエイトのことを母も好きになったのかもしれない。