夜。千早は清涼殿に入り、二間でこれから休む凰鱗帝の傍に侍った。そして帝が寝入ったのを見計らって帝の無意識下に入った。真っ黒な闇の中に降り立った千早は、そこに先の女御たちのような、夢の欠片のひとつもないことに驚いた。

「なにこれ……。まったく夢を見てない人の中みたいだ……」

それでも何か手がかりを掴めないかと、真っ暗な空間を歩いていると、足元に女御の夢の断片よりももっと細かく千切られた夢の断片を見つけた。粉々になってしまっている夢の断片は、数も少なく、また大きさも、繋げて絵巻物を作るには頼りないほどに小さい。

「ひどい……。これでは接ぐことも出来ない……」

誰が、どんな目的で、どうやってこんなことをしているのか。千早には分かりかねたが、兎に角主上に報告だけはしなければと思って、無意識下から出た。丁度同じころに帝も目を覚まし、二間に居た千早を見つけて、どうだったか、と尋ねた。

「酷い有様でした……。女御さまたちの夢の状態の比ではなく、夢の断片というより、小さな貝の欠片かと思う程にちぎられておりました……」

「そうか……。時に今、眠っていた間にお前の姿を見たが、あれは夢ではないな」

驚いた。無意識下に入った千早を見ることが出来る人がいるとは思わなかった。今まで誰にも指摘されたことのないことだった。

「はい。私が主上の無意識下に入っただけです。それにしても、今まで誰にもご自分の夢に私が居たことを指摘されたことはございませんでしたが、流石主上ですね」

感嘆の念で述べると、帝は不敵に笑った。

「俺を誰だと思っている。お前たち人間とはわけがちがうのだぞ。自分の身に自分でないものが紛れ込めば、簡単に分かる。それに、鳳凰(俺)が司る力は『破壊と創成』。つまり、悪やまやかしを跳ね除け、物事を正しく成していくことが、俺に求められていることだ。下手なごまかしは効かない」

帝はそこまで言うと、言葉を切って、笑みを弱くした。

「……しかし、夢を見れない今、まつりごとを……、世の中をどう導くべきなのか、判断に迷いが生じる。そもそもお前以外の誰が、夢の中に入ったのかという事さえ、分からないのだ。眠るときは未来を見るとき。結界を敷いてあったにもかかわらず、それは破られ、結果、夢を見られなくなった。誰が破ったのか。あるいは指示したのか。陰陽師にも探らせてはいるが、全てを明るみに出すには情報が足りなさすぎる。未来視の出来ない俺は、こんなにも無力だったのかと思い知らされる……」

出会ってから常に自信に満ちた目をしていた凰鱗帝が視線を項垂れ、覇気なく背中を丸めた。その、大きな子供のような様子に、千早の手が伸びる。

ぽんぽん。

「…………」

「……」

すう、と視線を上げた帝と間近で目が合い、慌てた千早が帝の頭を撫でた手を引っ込める前に手首を握られた。

「……っ!! も……っ、申し訳ございません!! つ、つい……!!」

ずさっと帝から距離を取ろうにも、右の手首を握られたままだ。何処にも逃げられない。いや、帝は千早を逃がそうとしないばかりか、千早の手首を握ったままじりじりと近寄り、部屋の柱まで千早を追い込むと、逃げられないように両手を千早の顔の両側についた。

(は?)

正面に皐月の風の如く爽やかなご尊顔。両腕は千早の体の自由を制限し、背後は太くて丸い柱が刺さっており、身動きできない。間近で美しい瞳に見つめられて、心臓が走り出してしまう。ぎゅっと目をつぶると、耳元で低い声が囁いた。

「千早。俺といるときは、まっすぐ前を見て、俺を正面に捕らえろ。決して逃げるな」

「な……、何故でございますか……」

怖くて目が開けられない。ごまかしを許さないその目で、千早の嘘を見抜こうというのか。

「俺に手を触れた。それが理由だ。目を開けろ、千早」

厳しい声で促されて、千早は恐る恐る目を開ける。するとそこには声とは打って変わって、やさしい目をした帝が居た。

「大丈夫だ、千早。お前の行いを、誰にも咎めさせない」

穏やかな声で千早の耳元でささやく声にどきりとする。顔がほてってくる。赤くなっているのだろうか。

「俺がお前を守る。俺たちは共同戦線を張る必要があるだろう? その相手を罪に問うことなどしない」

しかし続いた言葉に、千早は己を律することを決めた。

「……いいえ、主上。それがしが内裏に呼ばれたのは主上のお役に立つためです。主上に守られては意味がございません。それがしは主上の片棒をしっかり担ぎ、夢のなぞ解きを立派に勤めてみせます」

言われた通り、帝を正面に見据えて宣言した。だのに帝は面白そうに笑うばかりだ。

「はは、立派にか。それならば、まずはしっかり体を休めるがいい。顔が赤いぞ。熱でもあるのではないか?」

そう言ったと思ったら、こつん、と千早の額に帝の額が当たっていた。至近距離の帝の麗しい顔に仰天して、ますます顔に熱が集まってしまう。

「お、主上! 私は子供ではありません!」

「はは。子ども扱いしたつもりはないのだがな。そら、一人で眠るのが怖いのであれば、俺が添い寝をしてやろう」

帝はそう言って、千早を横抱きに抱き上げた。

「わっ! お、主上!」

「はは、暴れるな。思ったより軽いな。羽根のようじゃないか」

「お、女扱いしないでください! それがしは立派な……」

「ああ、分かっているとも。お前はまごうことなき男だ。それでもだな」

帝は千早を茵(しとね)の上に横たえて、自らも横になった。起き上がろうとする千早を制すると、穏やかな声で千早の名を呼び、手を握る。奥深い瞳に見つめられると、心臓が跳ねあがってしまう。

(ううう、心臓静まって……。こんな動悸がしれたら、主上に男色を疑われてしまう……!)

千早がそんな風に困惑しているのに、帝はやさしく千早の手を取った。

「この傷だらけの手だけで、お前がどんな過酷な状況下で生き抜いてきたかが分かる。俺は、傍に置く臣下をこれ以上酷な環境に置きたくないのだよ。その気持ちは分かってくれ」

……こんなに臣下を大切にする彼を悩ませる主(ぬし)を、にくく思う。

「夜も夢の中に入って仕事をし続けた。眠っていないのだろう、今は寝ろ」

「し、しかしここは主上の寝所……」

「男同士だ。何も気を使うことはない」

「ですが……っ」

(ひ~ん! 主上がこんなに近くに居て、平静でいられる人間なんて、知らないよぅ~!)

そんな千早の動揺もどこ吹く風。帝は穏やかに千早を見つめている。

「お前が寝ている間は、俺が守ってやる。安心しろ。それと」

ぽんぽん、とやさしく千早をあやしてくる。そんなことをされたのは、記憶もくたびれてしまった遠い過去のことで。

「俺のことは、伊織と呼ぶと良い」

「伊織、……さま……」

千早はやさしい律動に、懐かしい記憶に引きずられながら眠りについた。