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夜になると、凰鱗帝が自ら千早を後宮に案内してくれた。帝直々、千早を麗景殿の女御に御簾越しに引き合わせ、夢が見られたら報告するようにと女御に言いつけると、後を千早に任せて帰って行ってしまった。麗景殿を去っていく帝の後姿をぽかーんと見つめていると、御簾越しに気を遣った女御から声が掛かった。
「主上が冷たいことには慣れております。主上はご即位されてまだ間もないですから、まつりごとにお忙しくて、後宮にわたくしたちをお召しになったのも、きっとしぶしぶなのですよ」
「しぶしぶ……、と言いますと」
「つまり、政局の調和を取る為に、後宮を利用していらっしゃるだけなのですわ。現に、凰鱗帝陛下の御世になってから入内したわたくしたち女御へのお渡りは、今まで一度だってなかったのですから。それを思うと夢占(ゆめうら)の為とはいえ、この部屋に主上がお渡りになってくださったことは、ありがたいことです」
なんと、即位から一度も後宮に足を踏み入れたことがなかったとは知らなかった。
「……女御さまは、それでお幸せなのですか……?」
千早の問いに、麗景殿の女御は、おかしなことをおっしゃるのね、と笑った。
「まつりごとの駒とはいえ、わたくしたちも女。主上に愛されたいと思うことに、何の不思議がありましょうか。父からも主上のご寵愛を得るよういわれておりますし、後宮はそういう女性ばかりですよ」
頼りなく笑う女御の言葉に、千早は平伏した。
「もっ、申し訳ございません。出過ぎた口をききました」
「いいのよ。千早さんは主上のお傍に居られて、よろしいわね。羨ましいわ」
女御はそれだけを言ってしまうと、休みますと言って几帳の向こうで横になった。
暫くすると女御は寝入ったようで、すうすうと寝息が聞こえるようになった。千早が廊下に座ったまま意識を女御の夢の中に滑り込ませると、そこには真っ暗な空間が広がっていた。
夢を見ている人の無意識下に入れば、自分ならその夢を俯瞰するような形で共有することが出来るのだが、今、千早の目の前に広がっているのは、どこまでも真っ黒い空間だ。それは、確かに夢を見ている人のものではなく、女御が夢を見られなくなった、という凰鱗帝の言葉が正しいことを示している。
ふと遠方を見ると、何かが点々と散らばっているのが分かって、千早は空間に浮いていた体を地面に降ろして、落ちているものを手に取って確かめた。紙のようなそれには、後宮の風景や、女御同士の歌合せの様子などが描かれており、これが麗景殿の女御が見る筈だった夢なのだと千早は理解した。
「しかし、この状態は酷い……。破れたというより、裂かれたように見える……」
今まで夢を見て忘れてしまった人の夢の断片を見てきたが、こんな無残な断片は見たことがない。これではまるで、獣に食い荒らされてしまったかのようだ。
(兎に角、この断片だけでも紡ぎ直さねば……)
千早は懐から針を取り出し、沢山集めた断片の端と端を丁寧に接ぎ直すと、穴あきではあるが、一枚の絵に仕立てることが出来た。それは麗景殿の女御が、昨日見る筈だった夢だった。紡ぎあがった夢を女御の無意識下に置いて、千早は麗景殿の女御の無意識下から出た。意識が千早の体に戻り、辺りを確認すると、几帳の向こう側で麗景殿の女御が安らかな寝息を立てて眠っている。今日はいい夢が見れると良いなと思いながら、千早は麗景殿を後にした。