翌日、清涼殿に千早は居た。伊織が千早に作戦会議を持ちかけるために呼んだのだ。女御たちの夢が切り刻まれる事件はあの後もなくなることはなく、連日、女御たちの夢を紡いでいたので疲れていたが、千早は背筋をしゃんと伸ばして伊織の前にぬかづいた。

「俺の寝所の結界を破った形跡を、陰陽師が突き止めた。お前が尻尾を掴んでくれたおかげだ。礼を言う。だがこれは、容易には罪に問えないな……。相手が悪い」

「どなただったのですか?」

千早が問うと、伊織は声を潜めて、左大臣だ、と言った。

「麗景殿の女御の部屋に、呪詛払いのお守りが置かれていたが、そこを仲介して、内裏の外から結界を破ったようだ。呪詛払いは父親の左大臣が持たせたものらしいから、女御の関与は兎も角、左大臣は俺の寝所の結界を破る意図があったという事だ。後宮の女御たちが夢を見れなくなったのは、おそらく目くらましの為だろう。俺が夢を見れなくなったことを目立たなくするための」

険しい顔でひたいに手を当てる伊織の心痛は如何ほどだろうか。しかし千早が実のあることを言えるわけもなく。

「左大臣さまは、伊織さまの未来視のことを御存じだったのでしょうか」

「俺が帝位に就くときに、左大臣の指示で陰陽師が占ったことは調べがついている。先帝の時に自由に権力を振舞っていたらしいから、俺が帝位に就くと決まった時に、俺がどういう人物かを調査した、というところだろう」

はあ、と伊織は大きなため息を吐いた。

「未来視が見れない間にまつりごとが悪い方へいかないよう、気を配らなければならないが、全てうまくいくわけではない。左大臣などは娘を中宮に立てろとうるさいが、この件、やつが裏で糸を引いているのであれば、女御も後宮には居られなくなるだろう。そもそも俺は帝位に就いて間がない。まつりごとで忙しいのだ。それどころではない」

忙しいのは事実かもしれない。でも、それどころではないと言ったって、いずれは皇后を立てなければならないのではないだろうか。

「伊織さまは後宮の女御さまをお取立てになるおつもりはないのですか?」

「後宮にかまけてる暇はない。今、俺が神経をとがらせているのは、俺の夢を見させないよう、妨害しているやつのがいることだ。俺に対する謀反と言っていい。俺を騙したまま(・・・・・・・)、事を成しえると思っているやつをあぶりだして、縛り上げたい」

伊織の言葉に、千早はさっと顔を青ざめさせた。伊織を今、一番近くで騙しているのは、千早だ。

どくんどくんと心臓が乱れて走る。手に汗を握っていると、伊織が千早を見た。

「どうした、千早。顔色が悪いぞ。清涼殿(ここ)で休んでいくか? なに、遠慮はいらない。お前には大役を任せたから、俺が気遣うのは道理だ」

にこにこと朗らかに言う伊織は、千早がいいえと拒絶する前にその体を抱き上げた。

「い、伊織さま!」

「お前、着物の上からでも華奢なことが分かるぞ。ちゃんと食っているのか?」

体型のことを指摘されて、ギクッとした。もしここで女だとバレたら、伊織に味方が居なくなってしまう。千早は咄嗟に言い訳をした。

「そ、それがしは子供の頃にろくに食い物ももらえませんでしたので、きっと育ちが悪いのでございます!」

耳元で叫ぶと、伊織がきょとんとした顔をして、それから爆笑した。

「ははっ。育ちか! それならば今からでも育つが良い。唐菓子でも食べるか? この一件が落ち着いたら、酒宴を催そうではないか」

「は、はい。ご厚情、痛み入ります」

なんとか話題が食べ物へ移ったので安心する。しかし、伊織は千早を放そうとはせず、至近距離の伊織に、千早の心臓は走りっぱなしだ。

「しかしお前の肌は卯の花のように白いな。紅をさしたらどんなにか美人になるだろうな」

熱いまなざしを向けられて、千早の心臓は走りっぱなしだ。

「伊織さま、からかわないでください! それがしは立派な……」

「そうだな、男だ。しかし、かわいいものはかわいいのだ。感情は己で制御できるものではないだろう?」

た、確かにそうだけど!

反論が出来なくて唸っていると、伊織は面白そうに笑った。

「ほら、頬を赤らめるのも、また初心な女(め)の子のようだ」

伊織の例えに胸が跳ねた。伊織が目を細めて千早の頬に手を添える。美しい顔が目の前にあって気が動転した。

「この肌のきめ細やかさ、滑らかさ、赤みを帯びたさまが、美しく花開く牡丹のようではないか」

待って待って待って! 伊織さま、本当に男色の気があるのかな!? 私、ちゃんと男に見てるよね!?

「伊織さま、しっかりしてください! それがしは男です! 男を女(め)の子と言ったり牡丹に例えたり……、ちょっとおかしいですよ!?」

「はは、おかしいと思うか。実は、俺も不思議だと思っている。しかし自分の気持ちは覆せんからな」

「いやいや!? そこは覆しましょう!?」

千早の叫びに、ははは、と伊織が楽しそうに笑うが、からかわれている千早はたまったものではなかった。

「い、伊織さま。話を戻しましょう? 左大臣さまですよね!?」

千早の叫びに、伊織は漸く体を放した。

「ああ、そうだな。俺は陰陽師に左大臣家を探らせる。お前は影の主(ぬし)を探れるか?」

「は、はい。伊織さま、良い夢を食うはずはないのですが、悪い夢を食うといえば、獏です。それがしは一度夢の中で獏に会いましたが、気質のおとなしい、かわいらしい動物でした。いたずらにしては度が過ぎますが、あの無残な夢の欠片を『夢を食った』とするならば、今回の件は獏の仕業ではないかと思うのです」

千早の言葉に伊織も、成程、と頷いた。

「気質のおとなしい獏が、何故女御たちの夢を食い散らかしたのか……。そのあたりも調べる必要がありそうだな」

「はい。ですから、それがしが夢に入って探ってまいります」

「うむ。くれぐれも注意していくんだぞ」

じっと見つめてくる瞳が心配そうに揺れている。あれ、私そんなに頼りないかな。

「伊織さま、それがしは子供ではないので、そのようなお気遣いは無用です」

こほん、と咳払いをしてそう言うと、伊織はまたもじっと千早を見つめてきた。

「そうは言っても、この華奢な体で無理をしたら、きっとお前の腕など容易く折れるぞ。そうなったら、俺は責任を取らなければならないからな」

するりと手を取られて、顔にぶわっと熱が集まった。

せ、責任って! 傷ものになっても、千早は男! 凰鱗帝ともあろうお方が臣下でもない、いち平民の腕が折れたくらいで責任取るって大袈裟な!

「大袈裟ですよ! それに夢の中の出来事が実体に影響を及ぼしたことはございません! 心配ご無用です!」

「しかし、夜の間働いて、昼間に眠いのは、夢の中で働いたからその疲れが取れない所為なのだろう?」

言いくるめられてくれなかった! 焦る千早に伊織は言った。

「いいか、千早。俺はお前という臣下をこの件を通して守る必要がある。くれぐれも、無茶はしてくれるな。約束できるな?」

真っ直ぐなまなざしに晒され、千早は言葉に詰まりながら、素直に頷いた。こんなにも自分のことを心配してくれる人なんて、今まで居なかったのだから。