翌日、朝議の間に集った官吏たちは、顔いっぱいに戸惑いの色を浮かべていた。
(まあ、無理もないわよね)
彼らの胡散臭げな視線を一身に浴びる春燕は、胸の内でため息をつく。
瑞薛は参内するなり「占い師の燕だ。天眼を持つらしい」とぶっきらぼうに言うと、そのまま玉座に腰を下ろして何事もなかったように朝儀を始めたのだ。
春燕は黙って微笑んだまま、瑞薛の斜め後ろあたりに立ち尽くすしかなかった。とりあえず、何もかも見通していますという雰囲気を作るのだけは忘れない。それが自分に課せられた使命だから。
(でも、今の私ならすごい占い師に見えるかもしれないわ。主に衣裳の力でね!)
春燕が身につけているのは、華やかな濃青の絹の長袍だ。腰から裾にかけて兎双鶴の刺繍が広がり、目にも鮮やかである。
瑞薛が用意したものだった。浩宇という冢宰は春燕を見て「なんでこんな男にこんなに良い品を用意するのか……」とぶつくさ言っていたが、そばに控える仔空に脇腹を肘でどつかれて黙った。仔空の方は瑞薛の侍従らしくにこやかに「とてもよくお似合いですよ」と褒めてくれた。
とうの瑞薛は満足そうに「高名な占い師に見えるぞ。男占い師にな」と言ったきりだ。その口調が意味深に思えて、春燕は「当然、私は男ですから」とむやみに前髪をかき上げるしかなかった。
「陛下、どうか私めをお信じください!」
野太い叫び声があがって、春燕はハッと意識を朝儀に戻す。
玉座の前では、たいそう恰幅の良い男が両手を振り回して何事かを訴えていた。顔中に汗が浮かび、口から泡を飛ばさんばかりだ。
対する瑞薛は冷静な口調で、
「すでに調べはついている、安尚書。貴様は工部尚書という立場を利用して、昨年の治水工事の予算を着服したな。あれは農閑期の民を雇い入れることに意味のある公共事業だ。だが貴様が自分の親類の工匠を使って、一銭も民に還元しなかったことは明らかだ」
「しかし……しかし!」
「どこにいくらの金子が流れたのか知りたい。裏帳簿か何かをつけていないか。どう思う、燕?」
くるりと振り向いて名を呼ばれ、春燕は笑顔をこわばらせた。瑞薛は面白そうに唇を頬に引き、指先でちょいちょいと差し招いてみせる。
それにつられるように一歩踏み出し、春燕は深呼吸した。
(天眼の占い師として派手にやれということね。……なんとか切り抜けなくちゃ。大丈夫、やれるわ。これも雪に会うためだもの!)
瑞薛に一礼して、春燕は尚書の前に進み出る。尚書は春燕よりも少し背が低く、見下ろす恰好となった。
さて、どうやって尚書に触れるか。いかさま占い師としてはなるべく自然に振る舞わなくてはならない。
わずかに唇を噛み、ぐるりと朝儀の間を見渡す。瑞薛のそばで厳めしい顔をしている浩宇が目にとまった。
「冢宰殿、料紙と筆をいただけますか?」
「私が? なぜ?」
「浩宇、燕に渡してやれ」
瑞薛の命に、渋々というように浩宇がまっさらな料紙と筆を渡してくれる。春燕はにこやかに礼を言い、尚書に向き直った。
「さて、こちらに氏名、生年月日、出生時刻、身長、体重、手の大きさを書いていただけますか?」
「え? は?」
「書け、尚書」
厳然とした瑞薛の声に、困惑していた尚書が縮み上がる。「は、はいっ」と甲高く返事をして、あたふたと料紙に筆を滑らせ始めた。
「て、手の大きさ、とは……?」
「ああ、それは私が測りましょう。占うためには正確な数字が必要ですから」
春燕はそっと尚書に歩み寄り、その手を取った。指先が直接肌に触れる。脳裏に尚書の記憶がまざまざとよぎった。
頭に殴られたような衝撃が走る。ひどいものだった。先帝に媚を売り、財宝や美女を賜る。自分の懐を肥やすことしか考えず、着服に耐えかねた部下が訴え出ようとすると、先帝に頼んで馘首した。そうして肥やした私腹で豪奢な工芸品を作らせ、先帝に貢ぐ。
吐き気がする。視界が赤く染まる。いつか邑を焼いた炎の色だ、と思った。こんなふうに自己中心的な人間のせいで、国中の人々が苦しんだのだ。
懐から尺を取り出し、手の付け根から指先までを測る。
「六寸一分ですね。料紙に書いてください」
「は、はい……」
激情に震えそうな声を抑えて間近で柔らかく頷いてみせると、尚書はおとなしく数値を書き記す。横顔に視線を感じた。目を上げると、玉座から瑞薛がじっとこちらを見据えていた。
(な、なに?)
怪訝に思いながらも、料紙を手にする。ふむふむと文字を読んで「なるほど」と頷いた。
春燕にはもう、尚書に手加減してやろうという気持ちは微塵も残っていなかった。
「裏帳簿はここですね!」
高らかに叫ぶと、尚書の腰帯を引っつかみ、思いきり引っ張る。「何をする!」と尚書が声を荒らげたが構わなかった。そのまま腰帯を床に放り投げ、袍を鷲掴んで裸に剥く。
あっ、と朝儀の間に驚きの声が広がった。
半裸になった尚書の腹に、絹紐で何冊もの帳面がくくりつけられていた。瑞薛が腰を上げて大股に歩いてくる。春燕と尚書の間に割って入ると、絹紐を引きちぎって帳面を手に取った。ぱらぱらと目を通し、顎を上げて衛兵を呼んだ。
「裏帳簿だ。この反逆者を捕らえろ」
あまりに冷え冷えとした声音だった。見下ろす瞳には一欠片の慈悲もなく、冴え凍った美貌が無感情に尚書に向けられる。春燕は凍りついたようにその場に立ち尽くし、彼の二つ名を思い出していた。それは〈冷徹帝〉にふさわしい苛烈さだった。
尚書の喉からヒィ、と情けない声が漏れる。ガタガタ震えながら床に額を擦りつけた。
「申し訳ございません! 何とぞ命だけは‼︎」
「命乞いは不要だ。貴様は官吏でありながら民を裏切った。これは何をもっても償いきれない罪だ。貴様が手に入れた財は取り上げ、しかるべき場所へ配分する。身柄については追って沙汰を伝える。早く連れていけ」
衛兵が尚書を引きずり出す。悲鳴が尾を引いて広間に響き渡った。
朝儀の場には重苦しい沈黙が広がる。青ざめた官吏たちが顔を見合わせる中、瑞薛が冕服の袖を閃かせて玉座についた。
「さて、次の議題はなんだ?」
(まあ、無理もないわよね)
彼らの胡散臭げな視線を一身に浴びる春燕は、胸の内でため息をつく。
瑞薛は参内するなり「占い師の燕だ。天眼を持つらしい」とぶっきらぼうに言うと、そのまま玉座に腰を下ろして何事もなかったように朝儀を始めたのだ。
春燕は黙って微笑んだまま、瑞薛の斜め後ろあたりに立ち尽くすしかなかった。とりあえず、何もかも見通していますという雰囲気を作るのだけは忘れない。それが自分に課せられた使命だから。
(でも、今の私ならすごい占い師に見えるかもしれないわ。主に衣裳の力でね!)
春燕が身につけているのは、華やかな濃青の絹の長袍だ。腰から裾にかけて兎双鶴の刺繍が広がり、目にも鮮やかである。
瑞薛が用意したものだった。浩宇という冢宰は春燕を見て「なんでこんな男にこんなに良い品を用意するのか……」とぶつくさ言っていたが、そばに控える仔空に脇腹を肘でどつかれて黙った。仔空の方は瑞薛の侍従らしくにこやかに「とてもよくお似合いですよ」と褒めてくれた。
とうの瑞薛は満足そうに「高名な占い師に見えるぞ。男占い師にな」と言ったきりだ。その口調が意味深に思えて、春燕は「当然、私は男ですから」とむやみに前髪をかき上げるしかなかった。
「陛下、どうか私めをお信じください!」
野太い叫び声があがって、春燕はハッと意識を朝儀に戻す。
玉座の前では、たいそう恰幅の良い男が両手を振り回して何事かを訴えていた。顔中に汗が浮かび、口から泡を飛ばさんばかりだ。
対する瑞薛は冷静な口調で、
「すでに調べはついている、安尚書。貴様は工部尚書という立場を利用して、昨年の治水工事の予算を着服したな。あれは農閑期の民を雇い入れることに意味のある公共事業だ。だが貴様が自分の親類の工匠を使って、一銭も民に還元しなかったことは明らかだ」
「しかし……しかし!」
「どこにいくらの金子が流れたのか知りたい。裏帳簿か何かをつけていないか。どう思う、燕?」
くるりと振り向いて名を呼ばれ、春燕は笑顔をこわばらせた。瑞薛は面白そうに唇を頬に引き、指先でちょいちょいと差し招いてみせる。
それにつられるように一歩踏み出し、春燕は深呼吸した。
(天眼の占い師として派手にやれということね。……なんとか切り抜けなくちゃ。大丈夫、やれるわ。これも雪に会うためだもの!)
瑞薛に一礼して、春燕は尚書の前に進み出る。尚書は春燕よりも少し背が低く、見下ろす恰好となった。
さて、どうやって尚書に触れるか。いかさま占い師としてはなるべく自然に振る舞わなくてはならない。
わずかに唇を噛み、ぐるりと朝儀の間を見渡す。瑞薛のそばで厳めしい顔をしている浩宇が目にとまった。
「冢宰殿、料紙と筆をいただけますか?」
「私が? なぜ?」
「浩宇、燕に渡してやれ」
瑞薛の命に、渋々というように浩宇がまっさらな料紙と筆を渡してくれる。春燕はにこやかに礼を言い、尚書に向き直った。
「さて、こちらに氏名、生年月日、出生時刻、身長、体重、手の大きさを書いていただけますか?」
「え? は?」
「書け、尚書」
厳然とした瑞薛の声に、困惑していた尚書が縮み上がる。「は、はいっ」と甲高く返事をして、あたふたと料紙に筆を滑らせ始めた。
「て、手の大きさ、とは……?」
「ああ、それは私が測りましょう。占うためには正確な数字が必要ですから」
春燕はそっと尚書に歩み寄り、その手を取った。指先が直接肌に触れる。脳裏に尚書の記憶がまざまざとよぎった。
頭に殴られたような衝撃が走る。ひどいものだった。先帝に媚を売り、財宝や美女を賜る。自分の懐を肥やすことしか考えず、着服に耐えかねた部下が訴え出ようとすると、先帝に頼んで馘首した。そうして肥やした私腹で豪奢な工芸品を作らせ、先帝に貢ぐ。
吐き気がする。視界が赤く染まる。いつか邑を焼いた炎の色だ、と思った。こんなふうに自己中心的な人間のせいで、国中の人々が苦しんだのだ。
懐から尺を取り出し、手の付け根から指先までを測る。
「六寸一分ですね。料紙に書いてください」
「は、はい……」
激情に震えそうな声を抑えて間近で柔らかく頷いてみせると、尚書はおとなしく数値を書き記す。横顔に視線を感じた。目を上げると、玉座から瑞薛がじっとこちらを見据えていた。
(な、なに?)
怪訝に思いながらも、料紙を手にする。ふむふむと文字を読んで「なるほど」と頷いた。
春燕にはもう、尚書に手加減してやろうという気持ちは微塵も残っていなかった。
「裏帳簿はここですね!」
高らかに叫ぶと、尚書の腰帯を引っつかみ、思いきり引っ張る。「何をする!」と尚書が声を荒らげたが構わなかった。そのまま腰帯を床に放り投げ、袍を鷲掴んで裸に剥く。
あっ、と朝儀の間に驚きの声が広がった。
半裸になった尚書の腹に、絹紐で何冊もの帳面がくくりつけられていた。瑞薛が腰を上げて大股に歩いてくる。春燕と尚書の間に割って入ると、絹紐を引きちぎって帳面を手に取った。ぱらぱらと目を通し、顎を上げて衛兵を呼んだ。
「裏帳簿だ。この反逆者を捕らえろ」
あまりに冷え冷えとした声音だった。見下ろす瞳には一欠片の慈悲もなく、冴え凍った美貌が無感情に尚書に向けられる。春燕は凍りついたようにその場に立ち尽くし、彼の二つ名を思い出していた。それは〈冷徹帝〉にふさわしい苛烈さだった。
尚書の喉からヒィ、と情けない声が漏れる。ガタガタ震えながら床に額を擦りつけた。
「申し訳ございません! 何とぞ命だけは‼︎」
「命乞いは不要だ。貴様は官吏でありながら民を裏切った。これは何をもっても償いきれない罪だ。貴様が手に入れた財は取り上げ、しかるべき場所へ配分する。身柄については追って沙汰を伝える。早く連れていけ」
衛兵が尚書を引きずり出す。悲鳴が尾を引いて広間に響き渡った。
朝儀の場には重苦しい沈黙が広がる。青ざめた官吏たちが顔を見合わせる中、瑞薛が冕服の袖を閃かせて玉座についた。
「さて、次の議題はなんだ?」