春燕が引っ立てられたのは、後宮の中央に位置する皇帝の正寝だった。
豪奢な紫檀の椅子に座る瑞薛の前で頭を垂れ、春燕はぼそぼそと過去を話す。女であることは伏せて、異能については全ていかさまで、生まれ育ったのはただの山奥の邑だったことにした。手札を全て晒すことはない、というせめてもの抵抗だ。
春燕の邑の末路を聞いて、瑞薛が唇を噛んだ。
「……反逆罪で焼かれたなら、その邑は俺のために犠牲になった。当時、皇子であった俺を践祚させようと協力してくれた者たちがいた。その中の一つだろう。お前の苦労の一端は俺に責任がある。謝罪はしない。もう一度時が戻っても、迷わず同じことをする。だが、彼らの献身を忘れたことはない」
春燕は床を見つめたまま目を瞬かせた。そうか、と思う。
瑞薛は、暴虐を極めた先帝である父を弑して玉座についた。それには多かれ少なかれ朱一族の暗躍があったのだろう。朱一族は今上帝への絶対忠誠を破り、そして滅ぼされた。
心臓がちくりと痛む。両親にとりたてて可愛がられた記憶はないが、血の繋がった家族なのは確かで、夢に出てきた両親の面影に泣いた夜もある。でもそれは遠い過去の話で、すでに春燕の手の及ばない事象だった。それよりも、春燕には大切なことがある。
だから、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ、雪に会わせていただき、命を助けていただければ、他には何も望みません」
「結構図太いな」
瑞薛が呆れたように鼻を鳴らす。春燕は内心だらだら冷や汗をかいていた。
(陛下は私に利用価値があると言った。だからすぐに首を刎ねられることはない、はず。最初に大きな望みを言って断られたあとに、本当の要求をした方が通りやすいのだけれど、言い過ぎかしら⁉︎)
瑞薛は何かを考えるように宙空に視線を彷徨わせる。そうして、ふむ、と頷いた。
「幼い頃に会ったきりの友人のためにそこまでするのか。さてはその女に惚れているな?」
「ほ……っ」
春燕は絶句した。女同士で何を、と反駁しかけ、今の自分が男だったことを思い出す。
「悪いですか? それに雪とは手紙のやり取りをしていました。後宮に忍び入ったのもそれと関係があります」
思わず顔を上げた春燕を咎めることもせず、瑞薛は椅子にもたれかかる。
「手紙になんの意味がある。文ばかり寄越して会えるわけでもない。涙を拭うことも、抱きしめてやることもできない。そんな奴は見限って、さっさと忘れても誰も咎めないと思うが」
「そんなことはありません!」
春燕の大声が四方の壁に響き渡った。瑞薛が驚いたように目を丸くする。自分の立場も忘れて、春燕は言い募った。
「実際に何をしてくれるかなんて関係ありません。私を心に留めてくれる人がいる。ただそれだけの事実がどれほど慰めになったか……」
春燕だって、会えるなら会いたかった。また一緒に話したかった。でもそれが叶わぬ望みだと知っている。雪の手紙にはいつだって春燕への労りが満ちていた。風邪を引いていないか、お腹を空かしていないか、寂しくないか。賭場の下働きで、孤児の春燕を気にかけてくれる人はいない。それでもあの美しい雪だけは自分を忘れないでいてくれるのだと思うと、なんだか救われたような気持ちになるのだった。
「あと、ときどき雪は食べ物も一緒に届けてくれたので助かりましたし」
「……なら、よかったが」
気圧されたように瑞薛が頷くので、春燕は荒らげた息を整えた。
瑞薛が「それで」と言葉を継ぐ。
「その手紙と後宮でいかさま占い師をやっているのはなんの関係があるんだ」
「……私の、十八歳の誕生日に、手紙をもらいました」
春燕はわくわくと料紙を広げた。雪の手紙はいつも男の従者が持ってきて、春燕が読んだあとに従者が回収していく。きっと春燕を厄介ごとに巻き込まないためなのだろう。雪と従者の関係は知らないが、手紙を読む間中、従者は春燕をやけに凝視してくるので少し苦手だった。常に披風を目深に被っていて得体も知れない。
「誕生日のお祝いの言葉とともに、これでもうやり取りはやめようと。二度と手紙も送らないし、会いに来なくていい。約束は反故にすると。そう書かれていました」
俯く春燕を、瑞薛がじっと見つめる。
「……会いに来るな、と言われたのだろう。大人しくしておけ」
「しかし、突然そんなことを言うなんて変です。雪の周りで何か困ったことが起きたんじゃないでしょうか。だから心配で、力になりたくて、ここまで来ました。王朝交代でごたついていて、監視の目が緩かったんです。高墻深院、門戸厳重の後宮に入れるのは今しかないと思ったら居ても立っても居られませんでした」
しばらく、正寝には沈黙が落ちた。漏窓の外で吐息のような葉擦れの音が響く。
雨粒が地を打つように、瑞薛が言葉を落とした。
「……十八、か」
春燕は目線を上げた。瑞薛はしみじみとした口調で、
「結婚だって考える歳だろう。雪という女は、お前を自分から解放したかったんじゃないか」
「本人の口からそう聞けたら帰ります。言う通りに、その辺のおと……女の子と結婚して前向きな人生を歩みます」
「へえ、あてがあるのか?」
瑞薛の闇色の瞳がひたと春燕に据えられる。胸底にざわつきを感じながら、春燕は頷いた。
「両手に余るくらいには」
燕は妃嬪や女官になかなか人気だ。結婚のあてがないという答えはふさわしくないだろう。春燕自体は今まで男性から口説かれたこともないが、それはそれだ。
「……なるほどな?」
それが妙に恐ろしげな響きで、春燕はぶるりと体を震わせる。急に室の温度が下がったような気さえする。瑞薛は肘をつき、眉間に深い皺を刻んでいた。
(な、なぜ不機嫌そうなの? 陛下ならよりどりみどりでは?)
瑞薛は黙り込み、話し出す様子もない。こほんと咳払いをして、春燕はいやに重い空気を打ち払った。
「それで、私の利用価値とはなんですか?」
瑞薛の顔つきが引き締まる。春燕もすらりと背筋を伸ばす。そもそもそのために正寝へ連行されたのだ。
「まずは、これを見ろ」
瑞薛がすっと右腕を伸ばした。左手で肘まで袖をまくりあげる。
その手首から肘に向かって、蛇がまとわりつくように、黒々とした紋様が浮かんでいた。禍々しく皮膚に刻まれているように見える。
「これは……」
春燕は呼吸を呑み込む。瑞薛が重々しく頷いた。
「呪いだ。王城の呪術師によれば、この呪紋が心臓に届いたときに俺は死ぬらしい」
その言葉の意味に、春燕の喉の奥でヒュッと息が鳴った。
——誰かが皇帝を呪殺しようとしている。
瑞薛は苦く笑いながら、
「呪術師でも解呪できないものだ。呪いをかけた張本人を探すしかない。外朝を探したが、下手人は発見できなかった。他に探していないのはここだけだ。今や俺のものだが、かつて先帝のために百花が集められた後宮。いくらでも容疑者はいると思わないか?」
瑞薛の視線を受け、春燕はかすかに顎を引く。息をひそめ上目に瑞薛を見やった。
彼の言うことは道理だろう。だが、自分が巻き込まれる意味がわからない。
瑞薛が口を開く。
「そこで、燕の名声を利用させてもらう。天眼を持つ占い師が皇帝のために働くとなれば、下手人にも動きがあるだろう。そこを叩く」
春燕はおずおずと訊ねた。
「具体的には?」
「俺のそばにいろ」
間髪いれず返ってきた答えに、春燕はびくりと身をすくませた。瑞薛の強い視線が春燕を射抜く。その声も瞳も凄みを帯びて、逃がすまいと縛りつけるようだった。春燕の額に汗が浮かぶ。指先一つ動かせない。
落ち着いて、と必死に自分に言い聞かせる。取り乱すのは燕には似合わない。大きく息を吸って、吐いて、こわばった目元を緩める。
なるべく軽やかに、春燕は言った。
「陛下が後宮に御渡りになるときに側仕えをすればよいですか?」
「いや、それ以外もずっとだ」
「……へ?」
「朝起きてから、夜眠るときまで。俺から離れることは許さんぞ。できるな? 大切な友人のためなら」
「な……」
愕然と言葉が途切れる。足から震えが立ち上り、思わずその場でよろめいた。女の身、後宮に侵入した罪、異能、いかさま、雪の横顔。色々なことが脳裏をぐるぐる回り、視界が眩む。
瑞薛がにやりと唇の端を吊り上げた。
「見事犯人を捕らえたら、雪とやらに会わせてやろう。それに、褒美として後宮に忍び込んだ罪も取り消す。どうだ?」
「やります‼︎」
拳を振り上げて即答しながら、春燕は頭の隅で冷静に考えていた。
(陛下は雪のことを知っている。もしかすると妃嬪にしようとしている?)
雪はとても綺麗だったし、やんごとない身分だろう。ありうる話だ。それなら瑞薛の提案を信じてもいいかもしれない。
(それにしても、私は女であることを隠し通せるかしら。まあ大丈夫か。陛下はどうやら巨乳好きっぽいし!)
そもそも春燕が男に扮して後宮にいるのは、女官になれなかったからなのだ。
後宮を探るなら女官になるのが手っ取り早い。そう考えて女官を管理している官府を訪ねたところ、そこにいた老婆はじろじろと春燕を見て、はん、と小馬鹿にしたように笑った。
——皇帝の命令でね、胸の豊かな娘しか後宮には入れんのさ。あんたじゃ無理だ。百年後に出直しな。
そのときの憎たらしい老婆の顔を思い出すと、今でも胸がむかついてくる。老婆いわく俎より貧相な胸が。
(こんな男に嫁いで……雪は大丈夫かしら。いえ、絶対に私が守る!)
春燕は密かに心に決め、けれどそんなことはおくびにも出さずに拱手した。
豪奢な紫檀の椅子に座る瑞薛の前で頭を垂れ、春燕はぼそぼそと過去を話す。女であることは伏せて、異能については全ていかさまで、生まれ育ったのはただの山奥の邑だったことにした。手札を全て晒すことはない、というせめてもの抵抗だ。
春燕の邑の末路を聞いて、瑞薛が唇を噛んだ。
「……反逆罪で焼かれたなら、その邑は俺のために犠牲になった。当時、皇子であった俺を践祚させようと協力してくれた者たちがいた。その中の一つだろう。お前の苦労の一端は俺に責任がある。謝罪はしない。もう一度時が戻っても、迷わず同じことをする。だが、彼らの献身を忘れたことはない」
春燕は床を見つめたまま目を瞬かせた。そうか、と思う。
瑞薛は、暴虐を極めた先帝である父を弑して玉座についた。それには多かれ少なかれ朱一族の暗躍があったのだろう。朱一族は今上帝への絶対忠誠を破り、そして滅ぼされた。
心臓がちくりと痛む。両親にとりたてて可愛がられた記憶はないが、血の繋がった家族なのは確かで、夢に出てきた両親の面影に泣いた夜もある。でもそれは遠い過去の話で、すでに春燕の手の及ばない事象だった。それよりも、春燕には大切なことがある。
だから、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ、雪に会わせていただき、命を助けていただければ、他には何も望みません」
「結構図太いな」
瑞薛が呆れたように鼻を鳴らす。春燕は内心だらだら冷や汗をかいていた。
(陛下は私に利用価値があると言った。だからすぐに首を刎ねられることはない、はず。最初に大きな望みを言って断られたあとに、本当の要求をした方が通りやすいのだけれど、言い過ぎかしら⁉︎)
瑞薛は何かを考えるように宙空に視線を彷徨わせる。そうして、ふむ、と頷いた。
「幼い頃に会ったきりの友人のためにそこまでするのか。さてはその女に惚れているな?」
「ほ……っ」
春燕は絶句した。女同士で何を、と反駁しかけ、今の自分が男だったことを思い出す。
「悪いですか? それに雪とは手紙のやり取りをしていました。後宮に忍び入ったのもそれと関係があります」
思わず顔を上げた春燕を咎めることもせず、瑞薛は椅子にもたれかかる。
「手紙になんの意味がある。文ばかり寄越して会えるわけでもない。涙を拭うことも、抱きしめてやることもできない。そんな奴は見限って、さっさと忘れても誰も咎めないと思うが」
「そんなことはありません!」
春燕の大声が四方の壁に響き渡った。瑞薛が驚いたように目を丸くする。自分の立場も忘れて、春燕は言い募った。
「実際に何をしてくれるかなんて関係ありません。私を心に留めてくれる人がいる。ただそれだけの事実がどれほど慰めになったか……」
春燕だって、会えるなら会いたかった。また一緒に話したかった。でもそれが叶わぬ望みだと知っている。雪の手紙にはいつだって春燕への労りが満ちていた。風邪を引いていないか、お腹を空かしていないか、寂しくないか。賭場の下働きで、孤児の春燕を気にかけてくれる人はいない。それでもあの美しい雪だけは自分を忘れないでいてくれるのだと思うと、なんだか救われたような気持ちになるのだった。
「あと、ときどき雪は食べ物も一緒に届けてくれたので助かりましたし」
「……なら、よかったが」
気圧されたように瑞薛が頷くので、春燕は荒らげた息を整えた。
瑞薛が「それで」と言葉を継ぐ。
「その手紙と後宮でいかさま占い師をやっているのはなんの関係があるんだ」
「……私の、十八歳の誕生日に、手紙をもらいました」
春燕はわくわくと料紙を広げた。雪の手紙はいつも男の従者が持ってきて、春燕が読んだあとに従者が回収していく。きっと春燕を厄介ごとに巻き込まないためなのだろう。雪と従者の関係は知らないが、手紙を読む間中、従者は春燕をやけに凝視してくるので少し苦手だった。常に披風を目深に被っていて得体も知れない。
「誕生日のお祝いの言葉とともに、これでもうやり取りはやめようと。二度と手紙も送らないし、会いに来なくていい。約束は反故にすると。そう書かれていました」
俯く春燕を、瑞薛がじっと見つめる。
「……会いに来るな、と言われたのだろう。大人しくしておけ」
「しかし、突然そんなことを言うなんて変です。雪の周りで何か困ったことが起きたんじゃないでしょうか。だから心配で、力になりたくて、ここまで来ました。王朝交代でごたついていて、監視の目が緩かったんです。高墻深院、門戸厳重の後宮に入れるのは今しかないと思ったら居ても立っても居られませんでした」
しばらく、正寝には沈黙が落ちた。漏窓の外で吐息のような葉擦れの音が響く。
雨粒が地を打つように、瑞薛が言葉を落とした。
「……十八、か」
春燕は目線を上げた。瑞薛はしみじみとした口調で、
「結婚だって考える歳だろう。雪という女は、お前を自分から解放したかったんじゃないか」
「本人の口からそう聞けたら帰ります。言う通りに、その辺のおと……女の子と結婚して前向きな人生を歩みます」
「へえ、あてがあるのか?」
瑞薛の闇色の瞳がひたと春燕に据えられる。胸底にざわつきを感じながら、春燕は頷いた。
「両手に余るくらいには」
燕は妃嬪や女官になかなか人気だ。結婚のあてがないという答えはふさわしくないだろう。春燕自体は今まで男性から口説かれたこともないが、それはそれだ。
「……なるほどな?」
それが妙に恐ろしげな響きで、春燕はぶるりと体を震わせる。急に室の温度が下がったような気さえする。瑞薛は肘をつき、眉間に深い皺を刻んでいた。
(な、なぜ不機嫌そうなの? 陛下ならよりどりみどりでは?)
瑞薛は黙り込み、話し出す様子もない。こほんと咳払いをして、春燕はいやに重い空気を打ち払った。
「それで、私の利用価値とはなんですか?」
瑞薛の顔つきが引き締まる。春燕もすらりと背筋を伸ばす。そもそもそのために正寝へ連行されたのだ。
「まずは、これを見ろ」
瑞薛がすっと右腕を伸ばした。左手で肘まで袖をまくりあげる。
その手首から肘に向かって、蛇がまとわりつくように、黒々とした紋様が浮かんでいた。禍々しく皮膚に刻まれているように見える。
「これは……」
春燕は呼吸を呑み込む。瑞薛が重々しく頷いた。
「呪いだ。王城の呪術師によれば、この呪紋が心臓に届いたときに俺は死ぬらしい」
その言葉の意味に、春燕の喉の奥でヒュッと息が鳴った。
——誰かが皇帝を呪殺しようとしている。
瑞薛は苦く笑いながら、
「呪術師でも解呪できないものだ。呪いをかけた張本人を探すしかない。外朝を探したが、下手人は発見できなかった。他に探していないのはここだけだ。今や俺のものだが、かつて先帝のために百花が集められた後宮。いくらでも容疑者はいると思わないか?」
瑞薛の視線を受け、春燕はかすかに顎を引く。息をひそめ上目に瑞薛を見やった。
彼の言うことは道理だろう。だが、自分が巻き込まれる意味がわからない。
瑞薛が口を開く。
「そこで、燕の名声を利用させてもらう。天眼を持つ占い師が皇帝のために働くとなれば、下手人にも動きがあるだろう。そこを叩く」
春燕はおずおずと訊ねた。
「具体的には?」
「俺のそばにいろ」
間髪いれず返ってきた答えに、春燕はびくりと身をすくませた。瑞薛の強い視線が春燕を射抜く。その声も瞳も凄みを帯びて、逃がすまいと縛りつけるようだった。春燕の額に汗が浮かぶ。指先一つ動かせない。
落ち着いて、と必死に自分に言い聞かせる。取り乱すのは燕には似合わない。大きく息を吸って、吐いて、こわばった目元を緩める。
なるべく軽やかに、春燕は言った。
「陛下が後宮に御渡りになるときに側仕えをすればよいですか?」
「いや、それ以外もずっとだ」
「……へ?」
「朝起きてから、夜眠るときまで。俺から離れることは許さんぞ。できるな? 大切な友人のためなら」
「な……」
愕然と言葉が途切れる。足から震えが立ち上り、思わずその場でよろめいた。女の身、後宮に侵入した罪、異能、いかさま、雪の横顔。色々なことが脳裏をぐるぐる回り、視界が眩む。
瑞薛がにやりと唇の端を吊り上げた。
「見事犯人を捕らえたら、雪とやらに会わせてやろう。それに、褒美として後宮に忍び込んだ罪も取り消す。どうだ?」
「やります‼︎」
拳を振り上げて即答しながら、春燕は頭の隅で冷静に考えていた。
(陛下は雪のことを知っている。もしかすると妃嬪にしようとしている?)
雪はとても綺麗だったし、やんごとない身分だろう。ありうる話だ。それなら瑞薛の提案を信じてもいいかもしれない。
(それにしても、私は女であることを隠し通せるかしら。まあ大丈夫か。陛下はどうやら巨乳好きっぽいし!)
そもそも春燕が男に扮して後宮にいるのは、女官になれなかったからなのだ。
後宮を探るなら女官になるのが手っ取り早い。そう考えて女官を管理している官府を訪ねたところ、そこにいた老婆はじろじろと春燕を見て、はん、と小馬鹿にしたように笑った。
——皇帝の命令でね、胸の豊かな娘しか後宮には入れんのさ。あんたじゃ無理だ。百年後に出直しな。
そのときの憎たらしい老婆の顔を思い出すと、今でも胸がむかついてくる。老婆いわく俎より貧相な胸が。
(こんな男に嫁いで……雪は大丈夫かしら。いえ、絶対に私が守る!)
春燕は密かに心に決め、けれどそんなことはおくびにも出さずに拱手した。