自分の牀榻に潜りこんだ春燕はまんじりともせず息をひそめていた。目は冴えていて、全く眠気はやってこない。今夜の何もかもが頭の中を渦巻き、耳元で風の唸るような拍動が聞こえる。
 こんな風に眠れない夜を、かつて何度も雪と乗り越えた。
 そうしているうちに隣の房に人が戻ってくる気配がした。春燕は一瞬迷い、すぐに牀榻を抜け出す。
「陛下、お戻りですか」
 寝房に現れた春燕に瑞薛は片眉を上げた。沐浴をしてきたのか、清潔な寝衣に着替え、髪が少し湿っている。
 瑞薛は眉をひそめ、
「休めと言ったはずだが」
「はい。しかし陛下も休むべきです。眠れぬ夜があると仰いましたよね。そんな夜の過ごし方を一つ伝授いたします」
「ほう? 占いでもしてくれるか」
「いえ。——共寝いたしましょう」
 春燕の揺るぎない言葉に、瑞薛の目が大きく瞠られた。「……は?」と彼にしては間の抜けた声が唇からこぼれる。
 春燕は胸元に手を当て堂々と告げた。
「眠れないときは誰かと一緒に寝るのが良いです。温かいですし、誰かの心音を聞くと落ち着くものですよ」
 瑞薛からの返事はない。春燕の背中に冷たい汗が伝った。まるで見当違いなことを言ったかもしれない。
 けれど邑で眠れないとき、春燕は雪の寝床に潜り込んだ。温かな雪の体を身近に感じると安心して、とろとろと微睡んでしまうのだ。逆に雪が黙って春燕を抱きかかえる夜もあって、そんなとき春燕は自分が仔猫にでもなったつもりで雪の胸元に頭をすりつけた。
 瑞薛がゆらりと一歩踏み出す。え、と思う間もなく横抱きにされて、瑞薛の牀榻に放り投げられた。
「うわあっ⁉︎」
「なんだ、色気のない声だな」
「あってたまるものですか! こんな荷物みたいに扱わなくても……」
「皇后相手にするようにした方が良かったか?」
「いえ、何の文句もございません!」
 敷布に転がる春燕の横に、瑞薛が身を横たえた。すぐ近くに瑞薛の整った顔があって春燕はどきりとする。雪とはだいぶ勝手が違うかもしれない。長身の体も、寝衣の襟から覗く鎖骨の陰影も、しなやかな筋肉に覆われた腕も、雪とは何もかもが異なる。
 寝房の灯りが落とされた。月と星の光が、紗の幕のように牀榻を覆う。
 春燕は落ち着きなく何度か寝返りを打つ。隣で瑞薛がくつくつ笑う声がした。
「まったく、眠れないのは燕の方ではないのか」
「……だとしても、私が『眠れないので一緒に寝てください』なんて頼んで、共寝してくださいましたか?」
 笑い声がぴたりと止まる。それきりしばらく沈黙が続いた。もう寝てしまったのかな、と思い始めた頃、ぼそりと答えが返ってきた。
「……いや、寝かせてやれる自信は正直ないな」
「それならこれで良かったじゃないですか」
 言い回しの奇妙さが頭の隅に引っかかりながらも、春燕は悶々と考えていた。
(解呪のために、私にできることはないかしら……陛下のために、後宮のいかさま占い師にしかできないことが、何か……)
 やがて波にさらわれるように、春燕の意識は遠ざかった。