相当間抜けな顔をしている自覚はある。
今まで「飛龍」とは代々の皇帝陛下に宿る龍の固有名称だと理解してきた。
それが今、根底から覆った。
──皇帝陛下も、飛龍?
「皇帝には龍が棲む。または龍を宿すとも云う。つまり私が家主であり宿主。私を食い破っては龍は棲家を失ってしまう」
皇帝陛下がゆったりと立ち上がる。艶々と黒く光る沓が硬質な音を立てた。
「私も国を治めるためには龍の加護が必要。あれも生き続けるには私の体が必要。互いに利害は一致している──それどころか」
す、と膝を着いた陛下の手が私の手首を掴む。それは陛下の胸元に押し当てられた。
「心までもが、な」
「こころ」
舌足らずな鸚鵡返しにふ、と陛下は笑みを零した。その瞳は、黒い。
「あれはそなたに目覚めさせられた時、私が眠っていると表現していたろう。確かにあの時そなたと言葉を交わしていたのは龍だ。しかし私とて昏倒してはいない。器は私の体だ。私が望まぬことはさせぬ。いわば手網を握っているのは私よ」
──龍とそなたとの話は、すべて私の知るところだ。
そうにこやかに結ばれて、瞬きしか出来ない自分が情けない。
なら、今まで飛龍にだけ見せていた表情も何もかも、皇帝陛下はご存知で……
「ふ、笛の指南は」
「ああ。あれがそなたを手放さぬようにと喚くのでな。私も己の耳でそなたの音を聞いてみたくなった。龍に棲家を提供している身とはいえ、あの笛の音を聞いた時は流石にくらりときたな……ああ待て、それより少し前に似た感じがあった。母上と散策している時、急に……」
その場面には覚えがあった。
母様を懐かしんで思い出の子守唄を口ずさんだ時、確かに皇帝陛下はよろめいていらしたのだ。
その時はお疲れなのだと思っていたけれど、あの歌が、まさか──?
口を噤んで記憶を巡らせている私に陛下は悪戯っぽく微笑んだ。
「どうやらそれにもそなたが一枚噛んでいるようだな。まあ良い、時間はある。おいおい聞くことにしよう」
ようやく手首を離されたかと思いきや、ひょいと横抱きにされて視界が乱高下する。目眩を覚えて固く目をつぶっていると、しばし歩くような振動の後、長椅子に座る陛下の膝に乗せられた。
「うん。やはり己のまなこで見つめるのはやはり違う」
先日は龍の意識を通してだったからな、と続けた陛下に顎を掬われくちびるを塞がれた。
「っ!?」
反射的に強ばらせた体を感じとったのか、すぐにくちびるは離された。しかしいつでもまた触れられる距離で墨色の瞳にちらりと黄金色の光が垣間見える。
これは──どちらの飛龍?
「何を拒むことがある? あの龍に許したことだろう。それに体は同じ私だぞ」
「ですが、そのやはり……心の整理がつかなくて」
「そう。そなたが心を許したのはあの龍という訳か。龍は御することができても、ひとの心はまこと難儀だ」
頷くと陛下は顔を離してくれた。とはいえ膝に座らされていることに変わりは無い。
「腰を据えてかかることにしよう。龍を統べることも国を治めることも──そなたの心を得ることも」
逃げることなど不可能な雰囲気が檻のように辺りを包む。間の悪いことに、ここまで追い込まれてから当初の目的を思い出した。
「あ、あの、私、楽士を辞したいと申し出に参ったのですが」
「この状況で私が許すとでも?」
「ですが、人の口に戸は立てられません。陛下も耳になさったはずです。私が陛下を拐かす狐狸の類だとか、傾国の前触れだとか」
流言蜚語の類であろうとも、治世の幕開けに泥を塗ることに変わりはない。
先帝から受け継いだ陛下の評判がこんなことで地に落ちて良いはずがないのだ。
大真面目にそう捲し立てたというのに、陛下は顔色を変えることがない。
「それこそそなたの本領発揮ではないか。人を集める場を設けよう。楽士の力のお披露目だ。知っての通り龍は派手好み。そなたの力が唯一無二であることと、今代の治世に加護を齎すことを喧伝できるだろうよ。遠慮はするな。実力を示し、口さがないものたちを黙らせてやれ」
さらりと挑発的な提案をされて背筋が伸びる。確かに民に向ける優しいお顔だけではこの国を統べるなど出来はしない。
先帝に名君の素質を見出された所以を肌で感じた。
しかし、陛下はともかく私は一介の平民だ。皇城で大立ち回りを演じられる程の度胸もない。
「そ、そんな! 私は喧嘩を売りに来たんじゃないんです。弟の代わりに──そう、今あの子は伏せっているのです。父様も私を案じているはず。早く帰って私が助けにならなくては」
「こちらに呼び寄せることに援助を惜しむつもりはない。確かに弟君の想い人は残念であったが──それほどまでに恋焦がれ二世を誓う仲であれば、来世でも巡り会えよう。それこそ龍の加護の出番だ。手心を加えてやることにあれも異論は無かろうよ」
次々と論破されてついに押し黙る。万策尽きたかと言わんばかりに陛下が私を見遣る。
きゅっと吊り上がった口の端に見える自信に負けを悟った。
今まで「飛龍」とは代々の皇帝陛下に宿る龍の固有名称だと理解してきた。
それが今、根底から覆った。
──皇帝陛下も、飛龍?
「皇帝には龍が棲む。または龍を宿すとも云う。つまり私が家主であり宿主。私を食い破っては龍は棲家を失ってしまう」
皇帝陛下がゆったりと立ち上がる。艶々と黒く光る沓が硬質な音を立てた。
「私も国を治めるためには龍の加護が必要。あれも生き続けるには私の体が必要。互いに利害は一致している──それどころか」
す、と膝を着いた陛下の手が私の手首を掴む。それは陛下の胸元に押し当てられた。
「心までもが、な」
「こころ」
舌足らずな鸚鵡返しにふ、と陛下は笑みを零した。その瞳は、黒い。
「あれはそなたに目覚めさせられた時、私が眠っていると表現していたろう。確かにあの時そなたと言葉を交わしていたのは龍だ。しかし私とて昏倒してはいない。器は私の体だ。私が望まぬことはさせぬ。いわば手網を握っているのは私よ」
──龍とそなたとの話は、すべて私の知るところだ。
そうにこやかに結ばれて、瞬きしか出来ない自分が情けない。
なら、今まで飛龍にだけ見せていた表情も何もかも、皇帝陛下はご存知で……
「ふ、笛の指南は」
「ああ。あれがそなたを手放さぬようにと喚くのでな。私も己の耳でそなたの音を聞いてみたくなった。龍に棲家を提供している身とはいえ、あの笛の音を聞いた時は流石にくらりときたな……ああ待て、それより少し前に似た感じがあった。母上と散策している時、急に……」
その場面には覚えがあった。
母様を懐かしんで思い出の子守唄を口ずさんだ時、確かに皇帝陛下はよろめいていらしたのだ。
その時はお疲れなのだと思っていたけれど、あの歌が、まさか──?
口を噤んで記憶を巡らせている私に陛下は悪戯っぽく微笑んだ。
「どうやらそれにもそなたが一枚噛んでいるようだな。まあ良い、時間はある。おいおい聞くことにしよう」
ようやく手首を離されたかと思いきや、ひょいと横抱きにされて視界が乱高下する。目眩を覚えて固く目をつぶっていると、しばし歩くような振動の後、長椅子に座る陛下の膝に乗せられた。
「うん。やはり己のまなこで見つめるのはやはり違う」
先日は龍の意識を通してだったからな、と続けた陛下に顎を掬われくちびるを塞がれた。
「っ!?」
反射的に強ばらせた体を感じとったのか、すぐにくちびるは離された。しかしいつでもまた触れられる距離で墨色の瞳にちらりと黄金色の光が垣間見える。
これは──どちらの飛龍?
「何を拒むことがある? あの龍に許したことだろう。それに体は同じ私だぞ」
「ですが、そのやはり……心の整理がつかなくて」
「そう。そなたが心を許したのはあの龍という訳か。龍は御することができても、ひとの心はまこと難儀だ」
頷くと陛下は顔を離してくれた。とはいえ膝に座らされていることに変わりは無い。
「腰を据えてかかることにしよう。龍を統べることも国を治めることも──そなたの心を得ることも」
逃げることなど不可能な雰囲気が檻のように辺りを包む。間の悪いことに、ここまで追い込まれてから当初の目的を思い出した。
「あ、あの、私、楽士を辞したいと申し出に参ったのですが」
「この状況で私が許すとでも?」
「ですが、人の口に戸は立てられません。陛下も耳になさったはずです。私が陛下を拐かす狐狸の類だとか、傾国の前触れだとか」
流言蜚語の類であろうとも、治世の幕開けに泥を塗ることに変わりはない。
先帝から受け継いだ陛下の評判がこんなことで地に落ちて良いはずがないのだ。
大真面目にそう捲し立てたというのに、陛下は顔色を変えることがない。
「それこそそなたの本領発揮ではないか。人を集める場を設けよう。楽士の力のお披露目だ。知っての通り龍は派手好み。そなたの力が唯一無二であることと、今代の治世に加護を齎すことを喧伝できるだろうよ。遠慮はするな。実力を示し、口さがないものたちを黙らせてやれ」
さらりと挑発的な提案をされて背筋が伸びる。確かに民に向ける優しいお顔だけではこの国を統べるなど出来はしない。
先帝に名君の素質を見出された所以を肌で感じた。
しかし、陛下はともかく私は一介の平民だ。皇城で大立ち回りを演じられる程の度胸もない。
「そ、そんな! 私は喧嘩を売りに来たんじゃないんです。弟の代わりに──そう、今あの子は伏せっているのです。父様も私を案じているはず。早く帰って私が助けにならなくては」
「こちらに呼び寄せることに援助を惜しむつもりはない。確かに弟君の想い人は残念であったが──それほどまでに恋焦がれ二世を誓う仲であれば、来世でも巡り会えよう。それこそ龍の加護の出番だ。手心を加えてやることにあれも異論は無かろうよ」
次々と論破されてついに押し黙る。万策尽きたかと言わんばかりに陛下が私を見遣る。
きゅっと吊り上がった口の端に見える自信に負けを悟った。