──皇帝陛下におかれましては後宮へのおいでもますます遠のいて、楽士と笛のお稽古ばかり。
──鎮めの楽士などというが、陛下を誑かす狐狸の類やもしれぬ。
──今ひとたび、本性を暴いてやらねばなるまいて!

こうなることは予感していた。
それなのに行動できなかったのは私の落ち度だ。
皇帝陛下に──飛龍に求められて浮かれていた。

膳を運んでくれた顔見知りの女官が耳打ちしてくれた内容が頭の中で渦を巻く。言葉の毒がどろどろとたゆたいながらもみっしりと脳髄の形に凝るようで、恐ろしくてかぶりを振った。
鎮めの楽士は皇帝陛下の助けとなり世に平安を齎すためのもの。その役割を損なうようでは、私はそれを名乗る資格は無い。

「楽士を辞すること、お許しくださいませ」

お呼び出しの際、笛は置いていった。
冷たく硬い板張りの床に額を擦り付けて暇乞いをした。
控えていた側近の呼吸がわずかに乱れるのが聞き取れる。しかし、皇帝陛下の息遣いは感じ取れなかった。
側近にひと言耳打ちすると彼らは部屋を後にした。
初めて、本当の意味でふたりきりとなった。

「訳を尋ねよう」

声音が高く感じる。そうか。普段は飛龍と過ごしているから皇帝陛下ご自身のお声を賜ることはなかったのだ。
笛がない以上、ここで飛龍を目覚めさせることはない。
つまり陛下ご自身には、儀式を終えた楽士を留めておく必要も、別れを惜しむ道理もないのだから、訴えは聞き入れられるはずだ。

「はっ。恐れながら陛下の笛の音におかれましては冴え渡る響きにますます輝きを増して、暴れ龍も千歳の眠りに就こうかと。我が指南など最早児戯にも等しく、慰みにも満たないものです」
「はは、笛ばかりでなくおだてるのも上手いと見える。そうして弟君を育てたのかな」
「──? いえ、私には姉がおります。幼くして儚くなった母の思い出は薄いものですが、寂しさを感じる暇もなく姉が何彼となく世話を焼いてくれました。また父も男手ひとつで厳しくも優しく導いてくださいました。鎮めの楽士となれたのも、家族の支えがあってこそ。これからは故郷で二人を支える暮らしを送りたく存じます」

自分で自分を褒めるのもむず痒いが、春蕾がこう思ってくれていると願いつつ言葉を重ねる。我ながらよくもまあ口が回るものだと、どこか覚めた自分が俯瞰している心持ちだ。

「ほう? 姉がいるとは知らなんだ。過日の話では弟を褒めそやしていただろう? “暁蕾”」

耳に心地よい声音が殊更ゆっくりと呼んだのは──わたしの、なまえ。
反射的に顔を上げると、私を見下ろす陛下の瞳はまぎれもない墨色だった。

「ふぇい、ろん……?」

そんな馬鹿な。飛龍にしか喋っていない身の上話が何故陛下の知るところになっている?

「はは、皇帝の名を口にするとは勇気があるな。ああそうだ。私は飛龍。私の中にいるあれも飛龍。我らは一心同体なのだ」