「皇帝陛下より、鎮めの楽士様には皇城にお留まり頂き笛の指南をお頼み申すとのことです」
「ご実家には人を遣っております。こころ安く励んでくださいませ」

龍は──飛龍は義理堅い人柄(龍柄?)のようだった。
あの光が止んだ後、私以外のすべては演奏を始める前とまったく同じ位置、同じ姿勢でそこにいた。
飛龍を目覚めさせた後の時間だけが切り離されたようだ。
すべて恙無く終わったことになっている。
紗の向こうから労いの言葉をかけてくださった皇帝陛下は確かに黒髪を結い上げていらした。
あの陛下と私の間に関わりなど何一つ無い。
それなのに。

「春蕾、待ち侘びたぞ。さあ指南を頼む」
「はっ。過ぎたるお役目、光栄の極みに存じ奉ります」

皇帝陛下が私の笛をいたくお気に召されたらしい。これも飛龍の差し金だろうか。
女官に案内された部屋に招かれれば、陛下がゆったりと腰掛けていらした。側近もふたり控えている。
流石に芸事の指南に人払いができないことはわかるが、ここでまたあのような派手な目覚めをされては今度こそ問題になるのではないだろうか。

「さて、まずは手本を聞かせてくれ」
「……かしこまりました」

微笑みを浮かべた皇帝陛下に促され、一礼して立ち上がる。
笛を構えて、くちびるを寄せる。
さあ、目覚めの調べだ。

ほう、と女官が息をつく気配。
側近のどちらかが頷いた。
皇帝陛下は、陛下の反応は──

「待ち侘びたぞ、暁蕾」
「!」

指を止めて顔を上げれば、黄金色の瞳が私を見据えていた。側近たちは倒れることなく生き人形のように固まっている。

「また光で跳ね飛ばすと思うたか? あれも派手で我らしいが、前と同じでは芸がないだろう」
「皇帝陛下は」
「ん? 我の中で眠っておる。まあ日がな一日なにかれとなく忙しく働いているようだからこれも休息と思えば良い」

なんという自分本位なこじつけを……と思ったが口に出す度胸はないし、陛下が寝る間を惜しんで民のために政務を執ってらっしゃるのは確かなことだ。
となるとこの眠りは強制的ということを除けば陛下のためなのでは? と思い始めてきた。まずい。飛龍に毒されている。

「暁蕾」

腰掛けたまま、飛龍が腕を伸ばす。
考え事をしていたせいで後ずさるのが一瞬遅れて、肘のあたりを掴まれた。ぐいと引き寄せられたが、椅子に乗り上げる寸前でなんとか踏みとどまる。

「な、にを」
「お主、何故男のなりをしている。そういう趣味か?」
「まさか! そもそも貴方が──」
「我がどうしたというのだ。男のなりをしろと命じた覚えは無いぞ」

こうなればヤケだ、と捨て鉢になって経緯を詳らかにすることにした。
類いまれな春蕾の才と月鈴の悲劇。
苦肉の策として春蕾のふりをして皇城に上がったこと。
そうしたら飛龍を目覚めさせてしまったこと。
この数日間で急激に変化した自分の境遇に我ながら敬意を表する。よくたいしたボロを出さずにここまでこられたものだ。
……その分特大級のやらかしが待っていた、とも言えるかもしれないけれど。
口を挟むこともなく話を聞いてくれた飛龍は「そうか」とひと言でまとめた。
これだけの話をして、感想がそれだけ……。
やはり伝説の暴れ龍とは生きている時間が違うのだ。人間の数日なんて瞬きにも満たないだろう。
話して損した……とまではいかないけれど、若干落ち込んだ気分で離れようとする。しかし、ぽんと頭を上から押すように撫でられて面食らって動けなくなった。

「え」
「人の子には大義であったろう」
「え、あ……と、恐れ多い、ことでございます」
「何を惚けておる。我が労っておるのだ。礼なら受けつけているが?」

くっくっと笑う目元が悪戯っぽい光を見せる。深くお辞儀をしようとすると、止められてまたくちびるを塞がれた。

「っ……」

突き放そうとすると、ゆったりと髪を梳かれて後頭部を撫でられる。

「たいした女人よ。この小柄な体躯にどれだけの才と胆力が宿っておるのやら」
「や、ちがいます……わたしは、そんな、っん」
「違わぬ。お主の奏でる調べだからこそ、我も目覚めることができたのであろう。なあ? 暁蕾」

くちづけの合間に囁かれる睦言に、頭の奥が甘く痺れてくる。
ぐいと腰を抱き上げられ、飛龍の膝の上でしばらくの間酔いしれていた。