「映人、ハピバ」

 誕生日の朝、自分の席でホームルームが始まるのを待ちながら、スマホでゴールデンウィークの写真を振り返っていると、それを邪魔するように、佐伯がプレゼントを差し出してきた。

 それは意外と大きくて、スマホの画面は簡単に見えなくなった。

「……ありがとう」

 プレゼントは嬉しいけど、差し出し方が気に入らなくて、迷惑そうな言い方になってしまった。

「開けてみて」

 僕が受け取ると、佐伯はまったく気にせず、それどころかニヤニヤとしながら言う。

 なにか企んでいるのは一目瞭然だ。

 警戒しながら、包装を解いていく。

 出てきたのは、マット素材の青色表紙でできたアルバム。

 佐伯にしてはオシャレなものだけど、表情の割に普通のものが出てきて、薄い反応になってしまった。

 だけど、佐伯はまだ嫌な笑みを浮かべている。

 まだなにか仕込んでいるのかと思って、アルバムを開いてみる。

 一枚だけ、写真が入っている。

 海での、僕と古賀の写真だ。

 佐伯と氷野にからかわれた瞬間の写真。

 楽しかった記憶はあるけど、こうして写真に残されていると、恥ずかしくなる。

「なんでこれ?」
「映人が写真を再開した、記念の写真だろ?」
「それはそうだけど……」

 だからといって、誕生日プレゼントにされるのは照れる。

 僕のそんな反応すら、佐伯は楽しんでいる。

「これから、いろんな写真が増えるといいな」

 そう言われると、このプレゼントの価値が一気に上がった気がした。

「お。夏川、楪先輩は諦めて、あの後輩に乗り換えたのか?」

 背後から聞こえ、背筋が凍った。

 振り向くと、クラスの中心人物である高宮君が、アルバムを覗き込んでいる。

『いい加減、認めろって。楪先輩が好きなんだろ?』

 決めつけてかかる声を、思い出す。

 あのときと同じような空気が教室に流れ、喉が閉まった気がする。

「あの素直そうな子なら、狙えそうだもんな」

 高宮は僕の手からアルバムを取り上げた。

 僕と古賀のことをからかってくる人は何人かいたけど、これほど悪質な予感がしてならない。

「……やめてくれ」

 僕が立ち上がって取り返すと、教室内が静まり返った。

 前の僕は、この空気に負けて言葉を飲んだ。

 でも、今は負けたくない。

「その言葉は、花奈さんにも古賀にも失礼だ。二度と、そんなふうに言うな」

 僕にしては珍しい強い言葉に、高宮は戸惑いを見せる。

「……冗談じゃん」
「冗談ならなにを言っても許されるわけじゃないからな」

 佐伯も同じように、高宮に敵意を向ける。

 高宮は舌打ちをして、僕たちから離れていく。

「まだあんなふうに言う奴がいるんだな」

 佐伯が呆れた声で言うのを聞きながら、席に着く。

「仕方ないよ。噂、かなり広まってたし」

 僕よりも佐伯のほうが怒っているように見えて、改めていい友達を持ったと思った。

「そんなことより、映人。今日の放課後、暇?」
「特別予定はないけど」

 佐伯のにやけ面を見ると、前言撤回したくなる。

 またよからぬことを企んでいそうだと思いながら、ホームルームの始まりを告げるチャイムを聞いた。



 放課後、僕は佐伯に連れられて、写真部の部室の前にいた。

 予想外のようで予想通りの場所に、少しだけ足がすくむ。

 カメラから離れてしまったことで、訪れなくなった場所。

 どんな顔をして入ればいいのか、わからない。

「こんにちは」

 佐伯は戸惑う僕など無視して、容赦なくドアを開けた。

 立ち止まっておくこともできず、恐る恐る中に入った。

 どうせ部室で活動しないだろうという理由で小さな部屋が与えられた写真部の部室だけど、ここにはたくさんの思い出が詰まっている。

 先輩たちが撮ってきた写真のアルバムや、コンクール雑誌が並ぶ本棚。向かいの壁には、棚にカメラ道具が丁寧に並ぶ。

 その横の壁に、毎年撮影する写真部の記念写真がコラージュのように貼られている。

 数ヶ月ぶりに訪れたけど、ここはなにも変わっていなくて、安心する。

 ほかの部員は写真を撮りに行っているのか、部室には矢崎先生しかいなかった。

「お久しぶりです、矢崎先生」

 部屋の奥でノートパソコンで作業をする先生に声をかけると、先生は顔を上げた。

 僕がいることに気付いて驚き、穏やかに微笑んだ。

「久しぶりですね、夏川君」

 相変わらず暖かい声だ。

『夏川君がまた写真を撮りたいと思うまで、お休みしましょう。いつでも、戻ってきてもいいですからね』

 去年、写真部に所属しながら写真が撮れなくなったとき、矢崎先生がそんなふうに言ってくれた。

 今と変わらない、優しい声と表情で。

「顔を出すのが、遅くなってすみません」

 先生の言葉を忘れたわけではない。

 それでも、カメラを再び持つようになっておきながら、部室に来なかったことに対して、罪悪感のようなものがあった。

 視線を落としていると、先生が目の前まで近付いてきていることに気付いた。

 顔を上げると、先生は怒る様子などなく、ただ優しい雰囲気のまま、そこにいる。

「しっかりとお休みできましたか?」

 矢崎先生の声は僕の罪悪感を優しく包み込んでくれて、視界が滲む。

 声を出せば震えそうで、ただ頷いた。

「それはよかったです。そうだ、夏川君。ここに来てくれたということは、納得のいく写真を撮れるようになったと思って問題ありませんか?」
「いや……まあ……そう、かもしれません」

 急に話題が変わったことに戸惑い、そして言い切るには自信がなく、曖昧な答えになってしまった。

 先生は僕の曖昧な物言いに笑みをこぼしながら、席に戻る。

 そして、一枚の紙を持って戻ってきた。

「こんなお話が来ているのですが、夏川君もやりませんか?」

 それを受け取り、目を通す。

『クラスマッチ 撮影係について』

「お断りします」

 確認してすぐ、僕は紙を突き返した。

 矢崎先生の眉尻が下がる。

「生徒たちを撮るなら、夏川君が適任だと思ったのですが……」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど……多分、みんなが僕に撮られるのを、嫌がると思うんです」

 あの噂のせいで、僕が写真を撮るのは、花奈さんを撮りたい欲望を隠すためだ、なんて言われてきた。

 それすらも否定してこなかったから、僕がカメラを向けて笑ってくれる人は、今やほとんどいない。

「そうですか……」

 矢崎先生は納得できない表情をしながら言い、席に戻っていく。

 その背中からも落ち込んでいるのがわかる。

 そして矢崎先生は椅子に腰を下ろすと、身体を僕たちのほうに向ける。

 残念そうな顔がはっきりと見え、前言撤回をしたくなってしまう。

「また夏川君の写真が見れるのを楽しみにしていたのですが……そう、一年生にもいるんですよ。夏川君の写真を待ち望んでいる子」

 矢崎先生の表情は少しだけ明るくなる。

 その視線で、“知っていますか?”と言われている気がした。

「……古賀依澄、ですか?」

 僕が名前を答えると、矢崎先生は小さな声で笑った。

「やっぱり古賀さんは、夏川君に直撃したんですね」

 やっぱりということは、あの勢いでここを訪れたのだろうか。

 それを想像するのは容易く、そして“直撃”という言葉があまりにも相応しくて、思わず苦笑する。

 一方で、古賀が僕の写真を楽しみにしているというのは、殺し文句に近かった。

 やってみたいと思うけど、どうしても、みんなの僕に向ける視線が頭をよぎって、頷けなかった。

「なあ映人、やりたくないわけじゃないんだよな?」

 すると、横で聞いていた佐伯に確認され、僕は曖昧に頷く。

「じゃあ、噂を撤回していこうぜ。みんなの誤解が解けたら、元通りじゃん。ほら、カメラ持って」

 佐伯は無茶苦茶な理論を並べて、僕にカメラを持たせると、僕の腕を引っ張った。

 視界の端に見えた矢崎先生に小さく手を振られ、僕は抵抗するのを諦め、大人しく佐伯について行くことにした。

 ある程度進むと、佐伯は僕が逃げないと判断したようで、手を離した。

 廊下を歩いていると、あちこちから部活に勤しむみんなの声や音が聞こえてくる。

 もう、あのときみたいに疎外感を抱く必要はないのだろうか。

 そう思うと、一度だけ立ち止まってその音に浸りたくなるけど、佐伯が先に進むせいで、できなかった。

 若干置いていかれてしまい、小走りでその差を縮める。

「噂を撤回って、どこに行くつもりなんだよ」

 僕が聞くと、得意げな笑みが返ってきた。

「他所の部活に決まってるだろ。前みたいに、写真を撮らせてもらうんだ」

 それはつまり、荒療治というものだろう。

 僕は不安しか芽生えないのに、佐伯は一切感じていなさそうだ。

 他人事と思っていそうで、ため息しか出ない。

 なにを言っても聞き入れてくれなさそうだったから、諦めてただ佐伯の行く先について行く。

 そして辿り着いたのは、三年生の教室だった。

 そこでは、吹奏楽部のフルート奏者が練習をしている。

 ワンフレーズを繰り返し練習している音が聴こえてくる。

 僕も佐伯も、どのタイミングで入ればいいのかわからなくて、先に教室に入るのを押し付け合う。

 僕が佐伯の背中を押すと、佐伯は僕の後ろに回って、僕の背中を押す。そして僕が佐伯の後ろに移動して、というのをバカみたいに繰り返した。