戻ってきて椅子に座り、爪を気にしているところを見るに、ボウリングは美優には合わなかったのかもしれない。

「美優ちゃん、ネイルしてるの?」

 楪先輩が美優の手元に気付くと、美優は両手を背中に隠した。

 私でも、今日ネイルをするのは間違いだとわかる。

 だから、電車でそれに触れたのだけど、美優は聞き入れようとしなかった。

 今、また楪先輩にも説教みたいなことを言われるのかもしれないと察したのか、美優は居心地悪そうにする。

「気合い入れて、それが台無しになると、つまらないよね」

 楪先輩の同情に、美優は呆気にとられている。

 私もそんな言葉が出てくるなんて思わなくて、美優と同じく驚いてしまう。

「そうだ、あとで私が思いっきり可愛いネイルをしてあげる。それに、これに勝てたら美味しいケーキが待ってるんだよ。だから、ちょっとだけ、頑張ってみない?」

 美優は小さく頷いた。

 私は拗ねてしまった美優の機嫌を戻すのは難しいと思っていたのに、楪先輩はあっさりとやってのけた。

 佐伯先輩のときもそうだったけど、きっと楪先輩は、誰かが楽しくないと感じてしまう空気に敏感なのかもしれない。

 また尊敬する場所が増え、楪先輩が素敵な人だと知る。

 私には勝ち目がないとまで、思ってしまう。

 なんの勝負なのか、わからないけど。

 それから私たちは楪先輩、私、美優の順で。男子チームは遥哉先輩、夏川先輩、佐伯先輩の順で投げていった。

 結果は、比べるまでもないものとなってしまった。

 原因は明らかだ。

 楪先輩は上手だったけど、ほぼ初心者の私と美優が足を引っ張った。

「いやぁ、負けちゃったけど、楽しかったね」

 ボールを片付けていると、楪先輩が悔しそうに、だけどちゃんと楽しそうに言った。

 美優が頷いて応える。

「花奈さんのおかげで楽しかった」

 美優はすっかり、楪先輩に懐いた。

 さっきの励ましと、楪先輩のオシャレ知識が、がっつりと美優の心を掴んだらしい。

 私も、楪先輩とお互いに声を出しあって、ときどき失敗して、それを笑いあって。その時間がとても楽しかった。

 それぞれスコア表を受け取って、ボーリング場を出る。

「さて、私たちは負けたわけだけど、勝者チームはなにがお望みかな?」

 楪先輩は後ろを歩く男性陣に声をかける。

「なにも」

 遥哉先輩はクールに言った。

 夏川先輩も、佐伯先輩もなにも望んでいなさそうだ。

 男性陣のおかげで、ただ楽しい時間になった。

「じゃあ、次はどうしよっか?」
「オシャレなお店に食べに行きたい」

 美優が率先して提案した。

 美優は完全に、夏川先輩たちのことを忘れているらしい。

「お昼を食べに行くの、いいね。遥哉くんたちはどうする?」

 楪先輩が夏川先輩たちに呼びかけ、私は振り向く。

 夏川兄弟がスコア表を折りたたんでいるのに対し、佐伯先輩が悔しそうにそれを見ている。

 私も少し悔しい結果になったから、気持ちはわかる。

「なんでもいい」

 遥哉先輩が返すと、楪先輩はため息をついた。

「言うと思った。じゃあ美優ちゃん、オススメのお店、行こうか」

 美優は楪先輩の腕に引っ付き、二人は歩き始めた。

 ここまで誰かに懐く美優を見るのは久しぶりで、私は微笑ましくなる。

 そんな二人を追うように進もうとすると、横からシャッターの音がした。

「夏川先輩……勝手に写真を撮るのはやめてください」
「……ごめん」

 落ち込んだ先輩を見ると、私のほうが悪いことをしているような気分にさせられる。

 私は居心地が悪くなって、夏川先輩から逃げるように歩き出す。

「あの、もし嫌なら消してもらっていいんだけど」

 夏川先輩は遠慮気味に言いながら、スマホを見せてくれる。

 さすがに、人のスマホを操作するのは抵抗があって、受け取れなかった。

「好きに見ていいよ」

 夏川先輩が言うから、先輩のスマホを受け取り、スライドしていく。

 さっきの美優たちを見つめている横顔に始まり、ボウリング場での写真が次々と表示される。

 ストライクを取って喜ぶ楪先輩。上手く投げられなくて拗ねる美優。夏川先輩たちに煽られて悔しそうにする佐伯先輩。

 私が憧れた世界が、そこには詰まっていた。

 笑顔だけじゃなくて、いろんな表情が溢れる、楽しそうな世界。

 たまに私の写真があって、私もその一人なのだと知る。

 夏川先輩の世界に入れてもらえたのに、それを自ら消すなんてことは、できなかった。

 一通り今日の写真を見てから夏川先輩にスマホを返すと、先輩は少し驚いたように私を見る。

「消さなくていいの?」

 “消したくないんです”

 そう答えればいいだけなのに、私は照れくさくて頷いて応えた。

 海のときもそうだったけど、夏川先輩が撮ってくれる私が残るのは、嫌いじゃない。

 かといって、ほんの数分で言うことを変えるのはどうかと思って、私は許可するようなことを言えなかった。

「夏川先輩って、みんなが気付いていないうちに写真を撮っているんですね」

 話題に迷って言ったけど、よく考えると、盗撮だと責めたような物言いになってしまった。

 そのせいで、夏川先輩は困ったような笑顔を作った。

「僕はみんなの自然な表情を残したくて、写真を撮ってる。だから、どうしても盗撮みたいな写真が増えるんだけど……今思えば、古賀みたいに嫌だって思ってる人も、いたかもね」

 私は言葉に困った。

 夏川先輩にこんな表情をさせたかったわけじゃないのに。

「私は、映人くんに撮られてイヤな気持ちになった人、少ないと思うよ」

 助け舟を出してくれたのは、楪先輩だ。

 だけど、夏川先輩はそれを受け入れられないみたいだった。

「イヤだったら、映人くんの周りが笑顔で溢れるわけないもん」

 その光景が想像できなくて、楪先輩がウソを言っているのではないかと思った。

 だけど、佐伯先輩が頷いているから、ウソではないらしい。

「まあ、笑ってるとき以外に撮られるのは、あまりいい気分しないけど」
「ごめんって」

 楪先輩が意地悪そうに言うと、夏川先輩はすかさず謝った。

 楪先輩は笑い流して、前を向いて歩く。

「俺は許さないけどな」

 後ろから恐ろしい声が聞こえる。

「だから、あれは僕がお願いして飾ってもらったんじゃないんだって」

 夏川先輩が言うと、遥哉先輩も楪先輩と同じように穏やかに笑う。

 夏川先輩は二人のイタズラに困ったように笑うけど、私はますます話が見えなくて、聞きたくなる。

 でも私が触れてもいい話題なのかわからなくて、ただ夏川先輩たちのやり取りを見ることしかできなかった。

 すると、夏川先輩は私の視線に気付いてしまった。

 目が合ってからすぐに逸らしたものの、きっと意味がない。

「去年の文化祭の、花奈さんの写真、覚えてる?」

 あんなにも強烈に一目惚れをしたのだから、忘れるはずがない。

 ただ、どうしてそんな確認をしてくるのかわからなくて、ぎこちなく頷いた。

「あれ、ハル兄が後輩に告白されてるところを見つけた花奈さんなんだ」

 一気に腑に落ちた。

 どうして一枚目が不安そうな横顔だったのか。さっきの楪先輩のセリフもそう。

 恋人が告白されていて、不安にならないほうが無理な話だろう。

 そして、その瞬間を写真に取られるのも、いい気がしないはず。

「あの写真は、ハル兄に見せて終わりだったはずなんだけど、矢崎先生……写真部の顧問に見られちゃって。いい写真だから飾ろうって言われて、断れなかったんだ」

 掲示しようと提案してくれた矢崎先生には感謝したくなるところだけど、この流れからしてきっと、飾らないほうがよかった写真なのだろう。

「それで花奈さんに許可を取ったらいいって言われて、掲示することになった。あれが、人前に初めて出した花奈さんの写真なんだ」
「初めて?」

 夏川先輩なら、何枚も楪先輩の写真を撮っていそうだったから、それは意外だった。

 夏川先輩は後ろと前に視線を動かしたあと、若干私との距離を縮めてきた。

 その距離感に、変に緊張する。

「花奈さんのはハル兄、ハル兄のは花奈さんにだけ見せていたから」

 夏川先輩は右手の人差し指を自分の唇に当てる。

「だから、“許さない”なんですね」

 夏川先輩につられて、私も小声で返す。

「そういうこと。ダメって言われるのがわかってたから、ハル兄には言わなかったんだよね」

 夏川先輩の横顔は後悔しているように見える。

 夏川先輩が抱えている過去がこれだけではないと言っているように思えたけど、触れるのは怖くてできなかった。

 そのせいで無言の時間ができてしまい、私は歩きながら、駅での会話を思い返した。

『私ね、映人くんの写真が好きなの。だから、また見れるのが嬉しくて』

「あれ……もしかして、楪先輩が好きって言った写真って……」
「僕が撮る、ハル兄の写真だと思うよ。ほら、ハル兄ってびっくりするくらいクールでしょ? でも僕は、そんなハル兄の自然な表情をよく撮ってたから」

 どうして夏川先輩に“先輩の写真が好きだ”と伝えないのかとモヤモヤしたけど、それは確かに、個人的な欲で、言えなかったのだろう。

「お礼を言ったのも、ハル兄の写真が見れるからだろうね。カメラを一切触らなかった時期、当然、ハル兄の写真も撮ってなかったから」

 少し前の夏川先輩と同一人物とは思えないほど、夏川先輩はなんとも思っていない様子で、写真を撮らなかったことを言った。

 なにが夏川先輩を変えたのかとか、どうして写真を撮らなかったのかとか、気になることはいくつかあった。

 だけど、やっぱり私は聞けなかった。