僕の部屋の床には、衣類が散らかっている。

 恋人とのデート前、服に迷ったわけではない。

 クローゼットに服以外のものを詰め込んだ結果、こうなった。

 長時間過ごすには不向きなこの部屋は、僕だってキライだ。

 意識はクローゼットのほうに引っ張られるけど、必死に背を向けて、僕は部屋着に着替えていく。

 そして制服を壁にかけ、部屋の電気を切った。

 リビングに戻ると、母さんはもうキッチンに立っていた。

 僕が洗濯物を畳むのかと思ってソファに視線を移すと、綺麗に畳まれているどころか、分類までされている。

 そこまで着替えに時間をつもりはなかったけど、母さんが洗濯物を畳むほうが早かったらしい。

「なにしてるの?」
「唐揚げ、揚げようと思って」

 母さんの姿が見えなくなっていたけど、カチカチという音がすることから、コンロに火をつけているのだろう。

「僕、やるよ」

 唐揚げで凝ったものとはどういうことだろうと考えながら言うと、母さんの嬉しそうな顔が見えた。

 キッチンに入ると、母さんから箸を受け取る。

「優しい栄治に、ご褒美あげる」

 ご褒美で喜ぶ歳じゃないと言うより先に、口になにかを入れられた。

 ほんのりと甘さが口に広がる。

 それで僕は、口に入っているのはチョコだと理解した。

「今日はなに作ったの?」
「ザッハトルテ。簡単に言えば、チョコケーキかな」

 母さんの趣味は、お菓子作りだ。

 凝ったのは夕飯ではなく、デザートだったらしい。

 今、僕に食べさせたのは、余った材料だろう。

「また、父さんが文句言いそう」

 油の中できつね色に変わった唐揚げを、いくつかひっくり返す。

「栄治もそう思う? まったく、大輔さんったらいつまで経っても、甘いもの好きになってくれないのよね。私、ずっとお菓子作りが好きなのに」

 母さんは文句を言っているけれど、その声からは幸せそうな雰囲気を感じる。

「どうしたら食べてくれるかすごく悩んで、結局、ビターなお菓子をマスターしたのよね」

 母さんの声はどんどん弾んでいくけど、この話題は、僕には糖度が高すぎる。

 僕は「そうなんだね」なんて、適当にあしらうような言葉を使った。

遥哉(はるや)も甘いものは苦手みたいだし、結果オーライなのかもしれないけど」

 ハル兄の存在が口にされ、僕は一瞬固まってしまった。

 無意味に唐揚げをつつく。

「……そうだっけ」

 母さんならきっと気付くような、微妙な間。

 気付かないでと願いながら、会話を続ける。

「そうだよ。いつも、甘いお菓子を出したら不満そうな顔してたもの」

 その返しに胸を撫で下ろすと同時に、僕のほうが、違和感を覚えた。

 母さんは絶対、気付いている。気付いていながら、なにも知らないフリをしている。

 根拠もなくそんなことを思ったけど、確かめるのも怖くて、僕は目の前の油に集中することにした。