◆
「逃げるな、古賀依澄!」
翌朝、学校に行きたくなくて、ベッドの上で丸まっていたら、朝からうちに来ていた美優に怒鳴られた。
私は驚いて、思わず顔を出す。
ベッドの傍に座った美優は、真剣な表情をしている。
「依澄は、嫌なことから逃げるような子じゃない。自分の力で立ち向かえる、強い子だよ」
その言葉は、思っている以上に心に響いた。
美優の力強い声も相まって、目頭が熱くなる。
「一人が怖いなら、私がいる。私はどんなことがあっても、絶対に依澄の味方だから」
私はゆっくりと体を起こす。
これほど応援してくれる美優のためにも、頑張りたい気持ちは確かにある。
だけど、少しだけ自信が伴わない。
「美優……今日も、可愛くしてくれる?」
自分に自信を持つ方法を、それしか知らなかった。
美優は任せなさいと言わんばかりに笑う。
「夏川映人を一瞬で落とすレベルで可愛くしてあげる」
そして美優にされるがままに、私は身支度を整えた。
昨日よりも大きく、はっきりと見える瞳。ほんのりと赤い頬。ふっくらとした綺麗な唇。
そのどれもが、私ではないようだった。
髪型は、クラスマッチのときに美優がしてくれたもの。
今日こそ、お揃いの髪型になった。
完成した私を見て、美優は満足そうに笑う。
「依澄、どう?」
「最高だよ。さすが美優」
暗い気持ちなんて気付けば消えていて、私は自然と笑顔を返すことができた。
美優は私に抱きつき、スマホで写真を撮る。
その出来栄えに、美優から笑顔が消えない。
「ありがとう、美優」
「何度でも可愛くしてあげるから、いつでも言って?」
それは、今日言えなくても気にするなと言っているようだった。
無理をしなくていい。
そう思うと、心が軽くなる。
「ありがとう」
この言葉は、何度言っても足りない気がした。
でも、さすがに言いすぎたようで、美優は照れている。
「全部、私がしてあげたくてしてることだから、気にしないで」
そして私たちは一緒に家を出た。
昨日みたいな場面に出くわしてしまわないように、いつもより早い電車に乗り、学校に向かう。
おかげで、まだ人が少ない時間に到着した。
私は安心して、教室に入る。
かなり暇を持て余してしまいそうだと思いながら、カバンから教科書やノートを取り出す。
それらを机の中に入れようとすると、なにかに引っかかった。
いつも空にして帰るから、妙だと思いつつ、手探りで入っているものを取り出す。
『古賀依澄へ』
青色の、可愛い表紙にそう書かれたリングノートが入っていた。
ノートに見覚えがなくて、恐る恐る表紙をめくる。
「これ……」
一ページ目に、私の写真が貼られていた。
学校内で撮られたであろう、全力笑顔。
このたった一枚で、誰が机に入れたのかわかってしまった。
「盗撮写真?」
いきなり横から美優の声がして、私は体をビクつかせる。
なんとなく、美優には見られたくなくて、ノートを閉じた。
だけど、美優は文句を言わず、ニヤニヤと笑っている。
「……なに」
「別に?」
美優は珍しくご機嫌で、私の前の席に座った。
「続き、見ないの?」
促されて見るのは気が引けたけど、ノートの中身が気になって、私だけに見えるように開く。
一枚目と同じような、背景が学校の写真が次々と出てくる。
笑っていたり、真剣だったり。制服だったり、体操服だったり。
バスケ部に参加している写真まである。
めくればめくるほど、この中にいるのが私ではないような気がしてきた。
でもやっぱり、夏川先輩が撮る私のことは、好きだ。
というか、本当にいつの間に、こんなに撮っていたのだろう。
美優が言っていたことが否定できなくなると思うと、苦笑してしまう。
学校での写真が終わると、海での写真が貼られていた。
夏川先輩も写っている写真。
夏川先輩が撮った写真のアルバムだと思っていたから、急に夏川先輩が出てきて、驚いてしまった。
そういえば、夏川先輩が海で持っていたのは、私のカメラだった。
あの中にも、夏川先輩の写真が残っているんだった。
しばらく触っていないから、存在を忘れていた。
そんなことを思い出しながら、次のページを見ていく。
ボーリングをしていたり、ご飯を食べていたり。
学校の写真よりも枚数は少ないけど、自然な表情が多くなる。
『僕の世界には、君が必要だ』
もっと見たいと思ってめくったら、手書きでメッセージがあった。
ずっと写真だけでなにかを伝えようとしているのかと思っていたけど、違ったらしい。
夏川先輩の世界に、私が必要。
私が夏川先輩に対して思っていることと、似ている気がする。
私が夏川先輩に言いたくて言えないこと。
それを文字で伝えるなんて、夏川先輩らしい。
先輩らしいけど、なんか違う。
「依澄?」
私が立ち上がると、美優はスマホから視線を上げた。
「夏川先輩に会ってくる」
声を出して、自分が不機嫌であることを知る。
そのせいか、美優は悪い顔をする。
「お? 文句言いに行っちゃう感じだ?」
「だって、直接聞きたいから」
美優は一瞬固まって、それから優しく笑った。
「行ってらっしゃい」
美優に見送られ、私はノートを持って教室を飛び出した。
ほんの数週間通らなかっただけなのに、先輩のクラスへの道は懐かしく感じた。
人が少ない廊下を走り、二年三組にたどり着く。
ドアは開いていて、教室内が見える。
何人かが勉強している中で、夏川先輩はうつ伏せになって寝ている。
その姿を見て、入るのに躊躇った。
でも、起こすのは悪いと思うけど、人が少ない今、話をしておきたかった。
教室に入って、夏川先輩の前に立つ。
夏川先輩が起きる気配はなかった。
「夏川先輩」
私が呼ぶと、先輩は目を擦りながら体を起こす。
まだ眠そうな瞳で、私を見つける。
「おはよう、古賀。今日はなんだか、いつもと雰囲気が違うね。可愛い」
寝ぼけていることもあるのか、普段の夏川先輩からは想像できないことを、とてつもなく柔らかい表情で言われた。
数ヶ月前の拒絶するような視線は、もう思い出せない。
「アルバム、ありがとうございます」
ノートを見せると、夏川先輩は照れながら笑った。
「でも、これ」
私は最後のメッセージのページを開き、見せつける。
「これは、先輩の口から聞きたいです」
すると、先輩は私の腕を引いて、教室を出た。
渡り廊下まで来ると、登校してくる生徒たちの声がよく聞こえてくる。
楽しそうな雰囲気に対して、私たちの空気感は緊張している。
いや、緊張しているのは私だけかもしれない。
夏川先輩は手すりに肘を置き、空を眺めている。
「あの、夏川先輩」
勝手にその空気に耐えられなくなって、声をかける。
先輩はゆっくりと振り向いた。
「……僕が写真を撮るのは、僕の周りの人たちの生きてきた証を残すためって、話したよね。自然な表情を撮るために、水のように、みんなの世界に溶け込む。だから、みんなの世界の名もなき登場人物になっても、構わないと思ってる」
そう語る先輩の眼に、吸い込まれそうだ。
「でも、古賀を撮るときだけは、違うんだ。どんなときでも古賀の傍にいて、いろんな古賀を見て、そのすべてを残したい。古賀の世界に、溶け込みたくない。僕は、古賀の物語の、登場人物になりたい」
夏川先輩がまっすぐ伝えてくれるから、私のほうが照れてしまう。
「古賀が好きだよ。だから、僕の彼女になってくれませんか」
嬉しい。
それだけの感情をたった一言で表しきれないと思って、私は夏川先輩に抱きついた。
耳元で、先輩の小さな笑い声が聞こえる。
「久しぶりに、古賀に突撃された」
「それ、褒めてます?」
少し離れると、夏川先輩は見たことないくらい、優しい表情をしていた。
だけど、私はこの表情を知っている気がした。
「それで、古賀……返事を聞かせてもらっても?」
私は夏川先輩と離れ、笑顔を見せる。
「私も、夏川先輩が好きです。先輩の、彼女にしてください」
すると、夏川先輩は大きく息を吐き出しながら、その場に座り込んだ。
「古賀の気持ちは知ってたけど、やっぱり緊張するものだね」
夏川先輩の困った笑顔に見惚れて、聞き流すところだった。
「知ってたって、え? どういうことですか、先輩」
「内緒」
「ちょっと、先輩?」
先輩が笑って逃げていくから、私はそれを追いかける。
気持ちを伝えあったからだろうか、私の心は軽かった。
「逃げるな、古賀依澄!」
翌朝、学校に行きたくなくて、ベッドの上で丸まっていたら、朝からうちに来ていた美優に怒鳴られた。
私は驚いて、思わず顔を出す。
ベッドの傍に座った美優は、真剣な表情をしている。
「依澄は、嫌なことから逃げるような子じゃない。自分の力で立ち向かえる、強い子だよ」
その言葉は、思っている以上に心に響いた。
美優の力強い声も相まって、目頭が熱くなる。
「一人が怖いなら、私がいる。私はどんなことがあっても、絶対に依澄の味方だから」
私はゆっくりと体を起こす。
これほど応援してくれる美優のためにも、頑張りたい気持ちは確かにある。
だけど、少しだけ自信が伴わない。
「美優……今日も、可愛くしてくれる?」
自分に自信を持つ方法を、それしか知らなかった。
美優は任せなさいと言わんばかりに笑う。
「夏川映人を一瞬で落とすレベルで可愛くしてあげる」
そして美優にされるがままに、私は身支度を整えた。
昨日よりも大きく、はっきりと見える瞳。ほんのりと赤い頬。ふっくらとした綺麗な唇。
そのどれもが、私ではないようだった。
髪型は、クラスマッチのときに美優がしてくれたもの。
今日こそ、お揃いの髪型になった。
完成した私を見て、美優は満足そうに笑う。
「依澄、どう?」
「最高だよ。さすが美優」
暗い気持ちなんて気付けば消えていて、私は自然と笑顔を返すことができた。
美優は私に抱きつき、スマホで写真を撮る。
その出来栄えに、美優から笑顔が消えない。
「ありがとう、美優」
「何度でも可愛くしてあげるから、いつでも言って?」
それは、今日言えなくても気にするなと言っているようだった。
無理をしなくていい。
そう思うと、心が軽くなる。
「ありがとう」
この言葉は、何度言っても足りない気がした。
でも、さすがに言いすぎたようで、美優は照れている。
「全部、私がしてあげたくてしてることだから、気にしないで」
そして私たちは一緒に家を出た。
昨日みたいな場面に出くわしてしまわないように、いつもより早い電車に乗り、学校に向かう。
おかげで、まだ人が少ない時間に到着した。
私は安心して、教室に入る。
かなり暇を持て余してしまいそうだと思いながら、カバンから教科書やノートを取り出す。
それらを机の中に入れようとすると、なにかに引っかかった。
いつも空にして帰るから、妙だと思いつつ、手探りで入っているものを取り出す。
『古賀依澄へ』
青色の、可愛い表紙にそう書かれたリングノートが入っていた。
ノートに見覚えがなくて、恐る恐る表紙をめくる。
「これ……」
一ページ目に、私の写真が貼られていた。
学校内で撮られたであろう、全力笑顔。
このたった一枚で、誰が机に入れたのかわかってしまった。
「盗撮写真?」
いきなり横から美優の声がして、私は体をビクつかせる。
なんとなく、美優には見られたくなくて、ノートを閉じた。
だけど、美優は文句を言わず、ニヤニヤと笑っている。
「……なに」
「別に?」
美優は珍しくご機嫌で、私の前の席に座った。
「続き、見ないの?」
促されて見るのは気が引けたけど、ノートの中身が気になって、私だけに見えるように開く。
一枚目と同じような、背景が学校の写真が次々と出てくる。
笑っていたり、真剣だったり。制服だったり、体操服だったり。
バスケ部に参加している写真まである。
めくればめくるほど、この中にいるのが私ではないような気がしてきた。
でもやっぱり、夏川先輩が撮る私のことは、好きだ。
というか、本当にいつの間に、こんなに撮っていたのだろう。
美優が言っていたことが否定できなくなると思うと、苦笑してしまう。
学校での写真が終わると、海での写真が貼られていた。
夏川先輩も写っている写真。
夏川先輩が撮った写真のアルバムだと思っていたから、急に夏川先輩が出てきて、驚いてしまった。
そういえば、夏川先輩が海で持っていたのは、私のカメラだった。
あの中にも、夏川先輩の写真が残っているんだった。
しばらく触っていないから、存在を忘れていた。
そんなことを思い出しながら、次のページを見ていく。
ボーリングをしていたり、ご飯を食べていたり。
学校の写真よりも枚数は少ないけど、自然な表情が多くなる。
『僕の世界には、君が必要だ』
もっと見たいと思ってめくったら、手書きでメッセージがあった。
ずっと写真だけでなにかを伝えようとしているのかと思っていたけど、違ったらしい。
夏川先輩の世界に、私が必要。
私が夏川先輩に対して思っていることと、似ている気がする。
私が夏川先輩に言いたくて言えないこと。
それを文字で伝えるなんて、夏川先輩らしい。
先輩らしいけど、なんか違う。
「依澄?」
私が立ち上がると、美優はスマホから視線を上げた。
「夏川先輩に会ってくる」
声を出して、自分が不機嫌であることを知る。
そのせいか、美優は悪い顔をする。
「お? 文句言いに行っちゃう感じだ?」
「だって、直接聞きたいから」
美優は一瞬固まって、それから優しく笑った。
「行ってらっしゃい」
美優に見送られ、私はノートを持って教室を飛び出した。
ほんの数週間通らなかっただけなのに、先輩のクラスへの道は懐かしく感じた。
人が少ない廊下を走り、二年三組にたどり着く。
ドアは開いていて、教室内が見える。
何人かが勉強している中で、夏川先輩はうつ伏せになって寝ている。
その姿を見て、入るのに躊躇った。
でも、起こすのは悪いと思うけど、人が少ない今、話をしておきたかった。
教室に入って、夏川先輩の前に立つ。
夏川先輩が起きる気配はなかった。
「夏川先輩」
私が呼ぶと、先輩は目を擦りながら体を起こす。
まだ眠そうな瞳で、私を見つける。
「おはよう、古賀。今日はなんだか、いつもと雰囲気が違うね。可愛い」
寝ぼけていることもあるのか、普段の夏川先輩からは想像できないことを、とてつもなく柔らかい表情で言われた。
数ヶ月前の拒絶するような視線は、もう思い出せない。
「アルバム、ありがとうございます」
ノートを見せると、夏川先輩は照れながら笑った。
「でも、これ」
私は最後のメッセージのページを開き、見せつける。
「これは、先輩の口から聞きたいです」
すると、先輩は私の腕を引いて、教室を出た。
渡り廊下まで来ると、登校してくる生徒たちの声がよく聞こえてくる。
楽しそうな雰囲気に対して、私たちの空気感は緊張している。
いや、緊張しているのは私だけかもしれない。
夏川先輩は手すりに肘を置き、空を眺めている。
「あの、夏川先輩」
勝手にその空気に耐えられなくなって、声をかける。
先輩はゆっくりと振り向いた。
「……僕が写真を撮るのは、僕の周りの人たちの生きてきた証を残すためって、話したよね。自然な表情を撮るために、水のように、みんなの世界に溶け込む。だから、みんなの世界の名もなき登場人物になっても、構わないと思ってる」
そう語る先輩の眼に、吸い込まれそうだ。
「でも、古賀を撮るときだけは、違うんだ。どんなときでも古賀の傍にいて、いろんな古賀を見て、そのすべてを残したい。古賀の世界に、溶け込みたくない。僕は、古賀の物語の、登場人物になりたい」
夏川先輩がまっすぐ伝えてくれるから、私のほうが照れてしまう。
「古賀が好きだよ。だから、僕の彼女になってくれませんか」
嬉しい。
それだけの感情をたった一言で表しきれないと思って、私は夏川先輩に抱きついた。
耳元で、先輩の小さな笑い声が聞こえる。
「久しぶりに、古賀に突撃された」
「それ、褒めてます?」
少し離れると、夏川先輩は見たことないくらい、優しい表情をしていた。
だけど、私はこの表情を知っている気がした。
「それで、古賀……返事を聞かせてもらっても?」
私は夏川先輩と離れ、笑顔を見せる。
「私も、夏川先輩が好きです。先輩の、彼女にしてください」
すると、夏川先輩は大きく息を吐き出しながら、その場に座り込んだ。
「古賀の気持ちは知ってたけど、やっぱり緊張するものだね」
夏川先輩の困った笑顔に見惚れて、聞き流すところだった。
「知ってたって、え? どういうことですか、先輩」
「内緒」
「ちょっと、先輩?」
先輩が笑って逃げていくから、私はそれを追いかける。
気持ちを伝えあったからだろうか、私の心は軽かった。



