「ハル兄も、雰囲気が変わったよね。なんか、遊んでそうというか……浮気とかしてない?」

 僕はそんなことを言いながら、空の本棚に背を預けるようにして、床に座る。

 不思議と、僕は流れるように本題に触れた。

「はあ?」

 僕の言葉に、ハル兄は当然、不機嫌そうに僕を睨む。

「あのな、俺は一途なんだよ。浮気とかありえないから」

 ハル兄こそ正直に、はっきりと言った。

 でも、すぐにバツが悪そうにした。

 堂々と本心を言えるのに、こんなふうに言葉に困ってしまうのは、僕のせいだ。

 それがわかっているから、僕もハル兄から視線を逸らしてしまう。

 僕は、ハル兄のこの表情を見たくなかった。

 だけど、このままでは堂々巡りで、結局また逃げることになる。

「……知ってるよ。ハル兄が一途だってことは、僕が誰よりも知っているつもりだ。だからこそ、僕が花奈(かな)さんを好きだなんて、ありえないんだ」

 真っ直ぐにハル兄を見るけど、ハル兄は、僕の言葉が信じられていないようだった。

 それもそうだろう。

『夏川栄治は夏川遥哉の彼女、柚木(ゆずき)花奈のことを奪おうとしている』

 こんな噂が流れても、僕は否定も肯定もしなかったのだから。

 この場合のしない否定は、肯定と同意だった。

 一気にその噂は広まり、僕の周りから人も笑顔も減っていった。

 僕のそばに残ってくれたのは、佐伯だけ。

 僕が作り上げてきた人間関係が、こんなにも脆かったのかとショックを受けたのは、今でも覚えている。

「栄治、無理してるとかなら、はっきりと言ってほしい」

 当時の苦しさを思い出していると、ハル兄がそう言った。

 あれだけ言葉に迷っていたのが嘘みたいに、ストレートに言ってきた。

「してないよ」

 今度こそハル兄に信じてもらえるように、少しだけ強気で言う。

 ハル兄は僕がそんなふうに言うとは思っていなかったようで、数回、瞬きをする。

 その反応を見て、つい笑いながら、去年の文化祭が終わってからのことを思い返す。

 今でも、あの噂の出処はわからない。

 ただ、聞けば、きっかけは花奈さんの写真ということだった。

『あんな花奈さんの表情を撮ったのは、好きだからに違いない』

 いつ思い返しても、くだらない。

 でも、そういった話題を好む人たちからしてみれば、そんなことはなくて、僕はあっという間に好奇心の的となってしまった。

『違うよ』

 初めは否定していたけど、信じてくれた人は少なくて、何度も噂の真偽を問われた。

 その場の空気は、僕が頷くことしか認めてくれそうになかった。

 あの異様な空気と、異物を見るような目は、二度と味わいたくない。

「……あのとき、僕の声は誰にも届かなかった。誰も聞いてくれなかった。だから僕は、ハル兄にも届かないんだろうって、勝手に諦めたんだ」