◆
「夏川君が来るようになったのに、古賀さん、来ませんね」
部活に参加するようになってから数日が経ち、部室でカメラの準備をしていると、矢崎先生がふと思い出したように言った。
それは僕も気にしていたことだから、あまり触れてほしくなかった。
写真部どころか、古賀が放課後に僕のところに来る機会すら、減っていたから。
「夏川に興味がなくなったんじゃない?」
香田部長は、容赦なかった。
古賀は自分の言葉にトゲがあって、他人を傷つけてしまうと悩んでいたみたいだけど、僕からしてみれば、氷野や香田部長のほうが、トゲがあると思う。
香田先輩は純粋に言っているから、余計にタチが悪い。
「古賀ちゃんが映人の写真に興味なくなるとか、絶対ありえないですよ」
確証もないのに、佐伯は言い切った。
「そうなの?」
「あんなにもまっすぐに、好きだって伝えて来た人が、そう簡単に心変わりはしないと思うんで」
佐伯が反論して、僕は古賀の話を思い出した。
古賀にとって、僕の写真はそう簡単に、どうでもよくなるものではないだろう。
ただ、古賀が僕に興味あるかどうかは、きっと別の話だ。
僕の過去を聞いて、嫌気がさした可能性だってある。
思っていることをはっきり言えない姿がかっこ悪いとか。現実と向き合えないような臆病者だとか。
そんなふうに、思われたのかもしれない。
自分で考えて、僕は勝手に落ち込む。
つい、ため息をついてしまった。
「ご、ごめん、夏川。そんな落ち込むとは思わなくて」
「いえ、気にしないでください」
作り笑いを浮かべ、その場の空気に耐えられなくなってきたので、カメラを持って部室を出る。
「映人、大丈夫か?」
あとからついてきた佐伯が、心配そうに聞いてくる。
「あー……どうだろう。古賀に飽きられたかも、とか嫌われたかも、とか考えたら、なんか苦しくなって」
正直に言って、僕は余計なことを言ってしまったかもしれないと思った。
これは、古賀のことが好きだって言っているようなものじゃないか。
「映人の考えすぎだって。あの古賀ちゃんが、映人に飽きるわけがないだろ」
「でも僕、去年のこと、話したんだ。古賀ははっきりと言わない僕を、よく思ってない。だから……」
吹奏楽部に行ったとき、古賀は逃げた僕を責めた。
言いたいことは言わなければ伝わらないと、苦しそうに訴えた。
古賀は、僕の写真は好きでも、僕のことはそうでもないのだろう。
そんなことを考えてしまうと、胸が苦しくて仕方ない。
そうやってぐだぐだ悩んでいると、佐伯は遠慮なくデコピンをしてきた。
「ちょっと、力加減してよ」
「悩みを吹っ飛ばすにはちょうどいいだろ」
佐伯は明らかに不満そうにしている。
どうして佐伯が不機嫌なのか、僕にはわからなかった。
「もっと、古賀ちゃんのこと信じてやれよ。映人のバカ。アホ。弱虫」
小学生レベルの悪口が並べられた中で、“弱虫”が一番効いた。
そして佐伯は不満そうにしたまま、僕と反対方向に行ってしまった。
僕は一人で、目的もなく歩き始める。
佐伯は古賀のことを信じろと言ったけど、正直、なにを信じればいいのか、わからない。
古賀が最近、僕のところに来ない。
これは紛れもない事実で、その理由を考えてしまうのは、当然のことだ。
それが偶然、悪い方向に向いてしまっただけ。
でも、今までの古賀の行動パターンから、古賀が僕の過去を知ったくらいで、僕のところに来なくなるわけがないと思い始めた。
古賀なら、迷いながらも僕に文句を言ってきそうだ。
僕は自分の頬を叩き、深呼吸して、気持ちをリセットする。
「夏川センパイ」
今日はどこで写真を撮ろうかと思いながら外廊下に出た矢先、背後から呼びかけられた。
古賀かもしれないなんて変な期待を抱きながら振り返ると、知らない女子生徒が立っている。
一瞬、氷野のような髪型をしているから、勘違いをしてしまいそうだったけど、間違いなく知らない子だ。
その子は小さく口角を上げ、僕の元に駆け寄ってくる。
そして、両手で僕の右手を握った。
「夏川映人センパイ。夢莉の専属カメラマンになってくれませんか?」
僕を見上げる彼女の瞳は、輝いている。
古賀が初対面で僕に向けてくれたみたいな、希望に満ちた眼。
こんなときでも、僕は古賀のことを思い出すのか。
頭をリセットしたはずなのに、軽く思い出したせいで、古賀への気持ちでまた頭がいっぱいになる。
でも、目の前の彼女からの視線で、現実逃避をする程ではなかった。
不思議と、彼女の距離感はニガテだと感じてしまい、僕はそっと彼女の手から逃げる。
「君は?」
「藍田夢莉です。一年です」
藍田さんの距離感は、近いままだ。
仕方なく、僕は一歩、後ろに下がる。
「カメラマンだっけ。どうして僕に?」
「夏川センパイの写真が、一番盛れてたからです」
藍田さんは喋りながら、スマホを操作する。
そして、僕に画面を向けてきた。
僕には興味のない、だけど周りの女子たちが楽しそうに話しているキラキラとした写真が、たくさん映っている。
「これ、夢莉のアカウントなんですけど。氷野美優よりフォロワーが少ないんです」
藍田さんのフォロワー数は216。
それよりも多いなんて、氷野はインフルエンサーにでもなるつもりなのか。
「で、どうしたら差が付けれるかなあって思ったとき、夏川センパイが撮った夢莉を見つけたんです」
藍田さんの声のトーンはころころと変わり、楽しそうに話すけど、僕にはわからない話ばかりで、正直ついていけない。
ゆえに、適当に相槌を打つことしかできなかったのだけど、藍田さんは僕が話を聞いているかどうかは、どうでもいいみたいだった。
「夢莉、よく自撮りして加工しまくって可愛く見せてるんですけど、夏川センパイが撮った夢莉なら、そんなことしなくても最高に可愛いじゃんって、思ったんですよ」
古賀の話を聞いたからだろうか。
これは、あまり嬉しい感想ではないと思ってしまった。
藍田さんには僕が見えていないのか、どんどん話が進められる。
「夏川センパイの撮る夢莉を投稿していったら、絶対に氷野美優を越えられる。だから、センパイ。夢莉の専属カメラマンになってください」
前の僕なら、相手を傷付けないように、空気を読んで、“正解”の言葉を選んだだろう。
なんなら、僕の気持ちを押し殺して、引き受けた。
でも、今は違う。
正直に伝えることの大切さを知っているし、なにより、古賀を撮りたいという思いが強いから、引き受けようと思わなかった。
「ごめんね。僕、そういうことはしていないんだ」
必死に言葉を選んで断ると、さっきまで笑っていた藍田さんが、急に無表情になった。
「夏川センパイ、氷野美優と知り合いですよね。氷野美優には協力しておきながら、夢莉には協力しないって、不平等じゃないですか」
勝手にそんな責め方をする、君のほうが理不尽だと思う。
そんなことを思ったけど、心を落ち着かせて、言葉を飲み込む。
「SNSのことで氷野に協力をしたことは、一度もないよ」
藍田さんは疑いの目を向けてくる。
でも、これ以上の説明もできそうにない。
「アンタがそんなだから、フォロワーが増えないんじゃないの」
困ったところで、厳しい声が聞こえてきた。
声がしたほうを見ると、中庭に氷野がいる。
氷野は泥だらけのバスケボールを真上に投げて遊んでいる。
泥だらけになるだろうに、氷野がそんなことをしているのは、意外だった。
「氷野美優……聞いてたの」
藍田さんは敵意丸出しで、氷野を睨む。
「聞いてたんじゃなくて、アンタの甘ったるい声が聞こえてきたの」
だけど、氷野は一切気にしていないようだ。
藍田さんのほうを見ることなく、ボールを投げ続ける。
「アンタがお願いしてること、主張してることって、かなり自分勝手だよ。ただのわがまま。だから周りがついてこないし、フォロワーが減ってく」
やはり、氷野の言葉は胸に刺さる。
容赦のない言葉に、藍田さんは言い返せず、怒りを堪えている。
「夏川映人も言ってあげなよ。アンタの作り笑いなんかより、依澄の笑顔が撮りたいって」
氷野は僕を見て、悪い顔をしている。
このタイミングで、僕に振ってほしくなかった。
「いや、僕は……」
今にも喧嘩が起きてしまいそうな雰囲気で、僕は結局空気を読み、はっきりと言えなかった。
「……もういい」
藍田さんは、拗ねた表情を残して、去っていった。
「……氷野だって、自分勝手だろ」
ため息混じりに言うと、氷野はまた、ボールで遊び始めた。
「まあね」
氷野はまったく僕のほうを見ようとしない。
ボールを真剣に見る横顔には不思議な引力があって、僕はカメラを向ける。
シャッター音に、氷野が反応する。
ファインダー越しに、呆れた表情をする氷野と目が合った。
「私なんかより、依澄を撮ったら?」
相変わらず、氷野の言葉にはトゲがある。
さっきまで気にしていたことだからこそ、余計に刺さった。
僕はカメラを下ろす。
手持ち無沙汰なのか、氷野はまたボールを投げ始める。
「……最近、古賀に会ってないから」
「ああ、依澄、バスケ部に仮入部して忙しいんだよ」
耳を疑った。
「本当に?」
バスケ部にはいい思い出がないはずなのに、どうして。
そう思わずにはいられなかった。
「この前のクラスマッチで、またバスケがやりたくなったんだって」
辞めていたことが、やっぱり楽しいと知って再開する気持ちはわかる。
だけど、不安に思う気持ちは、消えなかった。
「あと、夏川映人が過去と向き合ったんだから、自分も向き合いたいってさ。依澄にとって、夏川映人は憧れの存在なんだろうね」
最後の一言のときだけ、声のトーンが変わった。
その表情からも、氷野がからかう気持ちで言ったのがわかる。
喜びと心配とちょっとした不満が混ざりあって、複雑な気持ちだ。
これ以上考えても、頭が混乱するだけだろうから、僕は考えるのをやめた。
「氷野は、ここでなにをしてたの?」
「依澄を待ってる。もう、依澄の小さな変化も見逃したくないから」
そこで一緒に入部するという選択をしないあたりが、氷野らしい。
「夏川映人は体育館に行ってみたら? クラスマッチのときとは違う、真剣な依澄が見れるよ」
その表情は、僕が古賀のことをどう思っているのか、知っているように見える。
「さっきも似たようなこと、言ってたよね? 僕、そんなにわかりやすい?」
「だって、依澄を見る目だけ違うもん」
さすがに、その指摘は恥ずかしい。
「あと、自分でも言ってたでしょ。依澄が好きだから、励ましたいって」
「そう……だったね」
古賀の過去を聞いたとき、そんな会話をしたことを思い出した。
「依澄に言わないの?」
「古賀がなにか頑張ろうとしているなら、今は多分、僕の気持ちは邪魔になる。だから言わないよ」
自分から振っておきながら、興味なさそうな返事が返ってくる。
「夏川君! 今日はどの部活に行く予定?」
会話のキャッチボールが上手くいかなくなって、どうしようかと悩んでいたら、頭上から叫び声が聞こえてきた。
見上げると、七瀬さんが窓から乗り出している。
「……バスケ部!」
迷ったけど、まんまと氷野の誘い文句に乗ってしまった。
「わかった!」
七瀬さんはすぐに見えなくなる。
そのやり取りを聞いていた氷野は、ニヤニヤと笑っている。
「……古賀には僕からちゃんと言うから、絶対言わないでよ」
「わかってますよ、夏川センパイ」
氷野の嫌な笑みに見送られながら、僕は体育館に向かった。
「夏川君が来るようになったのに、古賀さん、来ませんね」
部活に参加するようになってから数日が経ち、部室でカメラの準備をしていると、矢崎先生がふと思い出したように言った。
それは僕も気にしていたことだから、あまり触れてほしくなかった。
写真部どころか、古賀が放課後に僕のところに来る機会すら、減っていたから。
「夏川に興味がなくなったんじゃない?」
香田部長は、容赦なかった。
古賀は自分の言葉にトゲがあって、他人を傷つけてしまうと悩んでいたみたいだけど、僕からしてみれば、氷野や香田部長のほうが、トゲがあると思う。
香田先輩は純粋に言っているから、余計にタチが悪い。
「古賀ちゃんが映人の写真に興味なくなるとか、絶対ありえないですよ」
確証もないのに、佐伯は言い切った。
「そうなの?」
「あんなにもまっすぐに、好きだって伝えて来た人が、そう簡単に心変わりはしないと思うんで」
佐伯が反論して、僕は古賀の話を思い出した。
古賀にとって、僕の写真はそう簡単に、どうでもよくなるものではないだろう。
ただ、古賀が僕に興味あるかどうかは、きっと別の話だ。
僕の過去を聞いて、嫌気がさした可能性だってある。
思っていることをはっきり言えない姿がかっこ悪いとか。現実と向き合えないような臆病者だとか。
そんなふうに、思われたのかもしれない。
自分で考えて、僕は勝手に落ち込む。
つい、ため息をついてしまった。
「ご、ごめん、夏川。そんな落ち込むとは思わなくて」
「いえ、気にしないでください」
作り笑いを浮かべ、その場の空気に耐えられなくなってきたので、カメラを持って部室を出る。
「映人、大丈夫か?」
あとからついてきた佐伯が、心配そうに聞いてくる。
「あー……どうだろう。古賀に飽きられたかも、とか嫌われたかも、とか考えたら、なんか苦しくなって」
正直に言って、僕は余計なことを言ってしまったかもしれないと思った。
これは、古賀のことが好きだって言っているようなものじゃないか。
「映人の考えすぎだって。あの古賀ちゃんが、映人に飽きるわけがないだろ」
「でも僕、去年のこと、話したんだ。古賀ははっきりと言わない僕を、よく思ってない。だから……」
吹奏楽部に行ったとき、古賀は逃げた僕を責めた。
言いたいことは言わなければ伝わらないと、苦しそうに訴えた。
古賀は、僕の写真は好きでも、僕のことはそうでもないのだろう。
そんなことを考えてしまうと、胸が苦しくて仕方ない。
そうやってぐだぐだ悩んでいると、佐伯は遠慮なくデコピンをしてきた。
「ちょっと、力加減してよ」
「悩みを吹っ飛ばすにはちょうどいいだろ」
佐伯は明らかに不満そうにしている。
どうして佐伯が不機嫌なのか、僕にはわからなかった。
「もっと、古賀ちゃんのこと信じてやれよ。映人のバカ。アホ。弱虫」
小学生レベルの悪口が並べられた中で、“弱虫”が一番効いた。
そして佐伯は不満そうにしたまま、僕と反対方向に行ってしまった。
僕は一人で、目的もなく歩き始める。
佐伯は古賀のことを信じろと言ったけど、正直、なにを信じればいいのか、わからない。
古賀が最近、僕のところに来ない。
これは紛れもない事実で、その理由を考えてしまうのは、当然のことだ。
それが偶然、悪い方向に向いてしまっただけ。
でも、今までの古賀の行動パターンから、古賀が僕の過去を知ったくらいで、僕のところに来なくなるわけがないと思い始めた。
古賀なら、迷いながらも僕に文句を言ってきそうだ。
僕は自分の頬を叩き、深呼吸して、気持ちをリセットする。
「夏川センパイ」
今日はどこで写真を撮ろうかと思いながら外廊下に出た矢先、背後から呼びかけられた。
古賀かもしれないなんて変な期待を抱きながら振り返ると、知らない女子生徒が立っている。
一瞬、氷野のような髪型をしているから、勘違いをしてしまいそうだったけど、間違いなく知らない子だ。
その子は小さく口角を上げ、僕の元に駆け寄ってくる。
そして、両手で僕の右手を握った。
「夏川映人センパイ。夢莉の専属カメラマンになってくれませんか?」
僕を見上げる彼女の瞳は、輝いている。
古賀が初対面で僕に向けてくれたみたいな、希望に満ちた眼。
こんなときでも、僕は古賀のことを思い出すのか。
頭をリセットしたはずなのに、軽く思い出したせいで、古賀への気持ちでまた頭がいっぱいになる。
でも、目の前の彼女からの視線で、現実逃避をする程ではなかった。
不思議と、彼女の距離感はニガテだと感じてしまい、僕はそっと彼女の手から逃げる。
「君は?」
「藍田夢莉です。一年です」
藍田さんの距離感は、近いままだ。
仕方なく、僕は一歩、後ろに下がる。
「カメラマンだっけ。どうして僕に?」
「夏川センパイの写真が、一番盛れてたからです」
藍田さんは喋りながら、スマホを操作する。
そして、僕に画面を向けてきた。
僕には興味のない、だけど周りの女子たちが楽しそうに話しているキラキラとした写真が、たくさん映っている。
「これ、夢莉のアカウントなんですけど。氷野美優よりフォロワーが少ないんです」
藍田さんのフォロワー数は216。
それよりも多いなんて、氷野はインフルエンサーにでもなるつもりなのか。
「で、どうしたら差が付けれるかなあって思ったとき、夏川センパイが撮った夢莉を見つけたんです」
藍田さんの声のトーンはころころと変わり、楽しそうに話すけど、僕にはわからない話ばかりで、正直ついていけない。
ゆえに、適当に相槌を打つことしかできなかったのだけど、藍田さんは僕が話を聞いているかどうかは、どうでもいいみたいだった。
「夢莉、よく自撮りして加工しまくって可愛く見せてるんですけど、夏川センパイが撮った夢莉なら、そんなことしなくても最高に可愛いじゃんって、思ったんですよ」
古賀の話を聞いたからだろうか。
これは、あまり嬉しい感想ではないと思ってしまった。
藍田さんには僕が見えていないのか、どんどん話が進められる。
「夏川センパイの撮る夢莉を投稿していったら、絶対に氷野美優を越えられる。だから、センパイ。夢莉の専属カメラマンになってください」
前の僕なら、相手を傷付けないように、空気を読んで、“正解”の言葉を選んだだろう。
なんなら、僕の気持ちを押し殺して、引き受けた。
でも、今は違う。
正直に伝えることの大切さを知っているし、なにより、古賀を撮りたいという思いが強いから、引き受けようと思わなかった。
「ごめんね。僕、そういうことはしていないんだ」
必死に言葉を選んで断ると、さっきまで笑っていた藍田さんが、急に無表情になった。
「夏川センパイ、氷野美優と知り合いですよね。氷野美優には協力しておきながら、夢莉には協力しないって、不平等じゃないですか」
勝手にそんな責め方をする、君のほうが理不尽だと思う。
そんなことを思ったけど、心を落ち着かせて、言葉を飲み込む。
「SNSのことで氷野に協力をしたことは、一度もないよ」
藍田さんは疑いの目を向けてくる。
でも、これ以上の説明もできそうにない。
「アンタがそんなだから、フォロワーが増えないんじゃないの」
困ったところで、厳しい声が聞こえてきた。
声がしたほうを見ると、中庭に氷野がいる。
氷野は泥だらけのバスケボールを真上に投げて遊んでいる。
泥だらけになるだろうに、氷野がそんなことをしているのは、意外だった。
「氷野美優……聞いてたの」
藍田さんは敵意丸出しで、氷野を睨む。
「聞いてたんじゃなくて、アンタの甘ったるい声が聞こえてきたの」
だけど、氷野は一切気にしていないようだ。
藍田さんのほうを見ることなく、ボールを投げ続ける。
「アンタがお願いしてること、主張してることって、かなり自分勝手だよ。ただのわがまま。だから周りがついてこないし、フォロワーが減ってく」
やはり、氷野の言葉は胸に刺さる。
容赦のない言葉に、藍田さんは言い返せず、怒りを堪えている。
「夏川映人も言ってあげなよ。アンタの作り笑いなんかより、依澄の笑顔が撮りたいって」
氷野は僕を見て、悪い顔をしている。
このタイミングで、僕に振ってほしくなかった。
「いや、僕は……」
今にも喧嘩が起きてしまいそうな雰囲気で、僕は結局空気を読み、はっきりと言えなかった。
「……もういい」
藍田さんは、拗ねた表情を残して、去っていった。
「……氷野だって、自分勝手だろ」
ため息混じりに言うと、氷野はまた、ボールで遊び始めた。
「まあね」
氷野はまったく僕のほうを見ようとしない。
ボールを真剣に見る横顔には不思議な引力があって、僕はカメラを向ける。
シャッター音に、氷野が反応する。
ファインダー越しに、呆れた表情をする氷野と目が合った。
「私なんかより、依澄を撮ったら?」
相変わらず、氷野の言葉にはトゲがある。
さっきまで気にしていたことだからこそ、余計に刺さった。
僕はカメラを下ろす。
手持ち無沙汰なのか、氷野はまたボールを投げ始める。
「……最近、古賀に会ってないから」
「ああ、依澄、バスケ部に仮入部して忙しいんだよ」
耳を疑った。
「本当に?」
バスケ部にはいい思い出がないはずなのに、どうして。
そう思わずにはいられなかった。
「この前のクラスマッチで、またバスケがやりたくなったんだって」
辞めていたことが、やっぱり楽しいと知って再開する気持ちはわかる。
だけど、不安に思う気持ちは、消えなかった。
「あと、夏川映人が過去と向き合ったんだから、自分も向き合いたいってさ。依澄にとって、夏川映人は憧れの存在なんだろうね」
最後の一言のときだけ、声のトーンが変わった。
その表情からも、氷野がからかう気持ちで言ったのがわかる。
喜びと心配とちょっとした不満が混ざりあって、複雑な気持ちだ。
これ以上考えても、頭が混乱するだけだろうから、僕は考えるのをやめた。
「氷野は、ここでなにをしてたの?」
「依澄を待ってる。もう、依澄の小さな変化も見逃したくないから」
そこで一緒に入部するという選択をしないあたりが、氷野らしい。
「夏川映人は体育館に行ってみたら? クラスマッチのときとは違う、真剣な依澄が見れるよ」
その表情は、僕が古賀のことをどう思っているのか、知っているように見える。
「さっきも似たようなこと、言ってたよね? 僕、そんなにわかりやすい?」
「だって、依澄を見る目だけ違うもん」
さすがに、その指摘は恥ずかしい。
「あと、自分でも言ってたでしょ。依澄が好きだから、励ましたいって」
「そう……だったね」
古賀の過去を聞いたとき、そんな会話をしたことを思い出した。
「依澄に言わないの?」
「古賀がなにか頑張ろうとしているなら、今は多分、僕の気持ちは邪魔になる。だから言わないよ」
自分から振っておきながら、興味なさそうな返事が返ってくる。
「夏川君! 今日はどの部活に行く予定?」
会話のキャッチボールが上手くいかなくなって、どうしようかと悩んでいたら、頭上から叫び声が聞こえてきた。
見上げると、七瀬さんが窓から乗り出している。
「……バスケ部!」
迷ったけど、まんまと氷野の誘い文句に乗ってしまった。
「わかった!」
七瀬さんはすぐに見えなくなる。
そのやり取りを聞いていた氷野は、ニヤニヤと笑っている。
「……古賀には僕からちゃんと言うから、絶対言わないでよ」
「わかってますよ、夏川センパイ」
氷野の嫌な笑みに見送られながら、僕は体育館に向かった。



