(4)

 ぽかんとした暁が顔を上げると、口を真一文字に締めた甥がこちらを睨んでいる。何度か覚えのある甥の表情に、胸がぎくりとするのを感じた。

「え、と。千晶?」
「……女の人は、男に簡単に肌を見せちゃ駄目って、小さい頃に教わらなかった?」

 自分から言い出したんじゃ、と言い出せる空気ではなかった。

 ここ最近、甥のこの手の説教が増えてきたように思う。
 四月にこの家に転がり込んで早四ヶ月。初期こそ叔母が甥を諫めることが大半だった七々扇家も、今や甥が叔母をたしなめる場面がよくある光景になりつつあった。

 そして引き金になる原因の大体に、「女の人」というワードが入っている。

「前にも言ったよね。人前で服を脱いだりしたら駄目だって。女の人なんだからその辺ちゃんと自覚してよ」
「いやでも、千晶の前なら別にいいんじゃ」
「俺とか家族とか関係ないの! 俺もそうだけど烏丸も男だからね? わかってる? っていうかこのやりとりも何度目っ?」
「すみませんでした」

 とはいえ、暁も素直に納得したわけではない。
 赤の他人の前で着替えようなんて思わないが、気を許した仲だからこそ許せるものなのではないか、と。

「もし烏丸の前で同じことしたらぶん殴るからね。烏丸を」
「そりゃまた気の毒だね」
「そう思うなら今の忠告をちゃんと刻んでおいて。わかった?」
「はい、わかりました」

 はっきり頷くと、千晶はようやく肩の力を抜いた。どうやらお許しが出たようだ。

「それじゃ話を戻すけど。河童の住み処探しの参加許可を願います」
「だから言ったでしょ。君には夏期講習というイベントが」
「そのイベントなら、本日をもって無事終了したから」
「え、そうだったの?」

 夏休み前に受け取ったプリントを確認すると、確かに今日の日をもって夏期講習は終わりとの記載があった。
 甥っ子の顔に不穏な笑みがのぼる。

「ここ最近のアキちゃん、烏丸とタッグを組んでばっかで俺になかなか構ってくれなかったでしょ」
「いやだって、烏丸はここ最近避暑のために大体家の中にいるし」
「御託はいいの。要は、仲間はずれは寂しいってこと」

 訴える甥は意外にも真剣だった。
 相変わらず綺麗な瞳だな、と暁は思った。



「うーん。どうやらここじゃなさそうだね」
「すみません、お手を煩わせてしまって……」
「いいのいいの。それじゃ、次の候補地に移動しようか」

 翌日。
 相変わらず刺すような日差しの中、七々扇よろず屋本舗の軽トラが走り出した。

 運転席に暁、隣の席に千晶、後部座席に烏丸と河童の琉々が乗っている。
 烏丸に威圧されているのか、先ほどから琉々がやや居心地が悪そうだ。

 本日地図にバツをつけるのは、三つ目だ。
 残る候補地は七つ。まだ昼だから、これならギリギリ一日で回れるだろう。

「それにしても。俺も何回か河童にお目見えしたことはあるけれど、あんたみたいな河童は初めてかも。大半の河童は緑色で、甲羅を背負ってるもんでしょ」
「ちょっと千晶」
「ええ、ええ。その通りでございます。どうしてこのような珍妙な外見なのか、私自身よくわかりませんで……」

 初対面の時は腰元にわらの巻物をしていた琉々も、今日は現場の人目もあるためフード付きパーカーとショートパンツを貸し与えている。

 皿の周りにはもともと赤茶色っぽい髪が生えていることもあり、フードを深く被ればほとんど人間の子どもで通せた。
 改めて見てみると、河童というよりも人間に近い気もしてくる。

「琉々くんは、川で浮かんで目を覚ましたとき以前の記憶がないんだよね? それとも、断片的に何か覚えていたりするのかな」
「本当にかすかになら、覚えがございます。若い男性の真剣な顔と、無邪気とも思える笑顔。ポニーテールの小さな女の子の笑顔、そして涙」
「若い男性と、小さな女の子?」
「左様でございます。なんとかかつての住み処を思い出そうとすると、そのような光景が決まって脳裏に過るのです。何度も何度も」

 つまり、その二人が暮らす近くの川べりが、琉々の住み処だったということだろうか。

「むー。それにしても暑いねえ。溶けそうだねえ」
「……おい暁。飲み物寄越せ」
「本当に申し訳ございません。わたくし事で皆さまにご迷惑を……」
「あーあー。それじゃあコンビニ寄ろうか! 水分補給!」

 各々思考を巡らせながら、次の目的地へ車は走っていく。



 琉々の瞳がキラキラと輝く。計六つ目の目的地でのことだった。

「こ、ここここ、ここはっ」
「ここここ? もしかしてあんた、河童じゃなくてニワトリだった?」
「違うでしょ千晶。琉々はここに見覚えがあるんだよ」

 近くの空き地に車を留め、早速川べりに向かっていく。

 川の両岸には緑の雑草が暁の腰元ほどまで無造作に伸びている。視線を上げると近くには川をまたぐ橋が架かっており、たまに人がのんびり歩いている姿が見えた。
 都内ではあるがこの辺りは随分と自然も多く、近くに雑木林もあるようだ。

「アキちゃん、足元見えないから気をつけて」
「ありがと。それにしてもここ、空気もすごく澄んでるね」
「──また、人間か?」