ーーーー何だ?真遥の気配がない?

俺は、何かとは形容しづらい居心地の悪い空気を感じ取っていた。康介も同様だろう、眉を寄せたまま、辺りを伺っている。

この屋敷に足を踏み入れてから、何か、ほんの少し、違和感のようなモノがある。……特に何かという訳ではない。ただ、この先にいる真遥の感覚が掴みにくい?あの真遥の?

「志築」

康介も同じことを思ったのだろう。まだ来ていないのか?それとも、来る気など、さらさらなかったのか?

「康介、行けばわかる」

俺は、再び歩みを進める。とにかく確かめるまでだ。最後の角曲がったときだった。
 
障子の手前に浅葱色の単の着物を見に纏った白髪の老婆が、三つ指をついて出迎えた。

「誰だ?お前」

老婆は、答えない。

「さっとさと開けろよ」

俺は、老婆を見下ろしながら、霊力を、飛ばす。老婆の頬が瞬時に切れて血が流れた。

「おやおや、せっかちですねぇ」

老婆は、にぃと品なく笑う。

「ババアと遊んでる暇ないんで」

障子の向こうは、やけに静かだ。靄に包まれたかのように中の様子は、霊力を研ぎ澄ませてもわからない。

「御津宮のご当主にお会いするのは初めてで御座いますが、お若いですねぇ。心も体もまだ未熟。何もかもが不確かで歪で、形をなさぬ心を持て余していらっしゃる……」

「ふざけんなよ!俺は、てめぇの話聞いてる暇ないんだよ、どけよ!」

俺は、そのまま右足で障子を勢いよく開け放った。と同時に真っ赤な蝶が、1匹ヒラヒラと舞い出してきた。

(ーーーー何だ?赤い、蝶?)

俺の頬を掠めるように羽を広げると、ふわりと消える。

すぐに、部屋の中を除くが、真遥の姿も気配もどこにもない。

「へぇ……俺だますなんていい度胸だな!三鈴のガキがっ」

行燈の灯りに照らされるのみの室内は、仄黒く、僅かな灯りに照らされて伸びた影は、一つのみだ。黒の着物をゆっくりと翻し、束ねられた銀の髪を靡かせて三鈴華乃(みすずかの)が振り返った。

「……ようこそ、我が屋敷へ」

「お前に用はない、アイツはどこだ?」 

(気配がない……やはり来てない)

俺は、奥歯を噛み締めた。

「お前らは待機、俺がやる」 

「志築様っ」

融を右手で制すると、康介が、俺の周りに結界を張った。俺は、右掌を突き出し霊刀銀河を取り出す。そのまま華乃の前までいくと、迷うことなく刀の先を、華乃の真っ白な首元に当てた。

「姫さま……」

「構わない。ばあやは、そのままで」

華乃はその紅の瞳を、こちらへと真っ直ぐと向ける。

「……俺が、女殺さないとでも思ってる?」

「貴方が、あの方の……?」

「は?」

華乃は、俺の顔を隅々まで確認すると、僅かに首を傾げた。

「似てますね。お顔ではなく……その殺したいと願う瞳が……」

「まず、お前から殺してやろうか?」

華乃は、にこりと微笑んだ。

「……真遥様からご伝言をお預かりしております。お話しても宜しいでしょうか……」 

「手短に話せよ、俺は、気が短いからな」

俺は、刀で、首の皮一枚切り裂く。華乃の白い首元から一筋、鮮血が流れ出た。

「貴様っ!」

老婆の手をついた先から、白銀の閃光が、波のようにうねり、俺へと、向かってくる。

(あの婆さん、結界術の使い手か)

「カ シャ タリーク キリカ 」

康介が、俺の背を守るように立ち、言霊と共に霊刀雪柳(ゆきやなぎ)を取り出す。その刀身は雪の如き美しく、その刀身の長さとしなやかさは柳のような様から名付けられた冬宮家の宝刀。

康介が、畳に雪柳を突き差し、霊力で閃光を受け止めた。

バチチィィィーーーッ!! 


「霊界に棲わし聖なる霊獣、いでよ、白虎!」 

融が、手と手を合わせ、開くと共に霊界より聖獣白虎が召喚される。白虎は、目をギンと見開くとそのまま老婆の背中に爪を立て、首元に噛み付いた。 

「ばあや!」

「……ぐっ……ふ」 

老婆の肩は震え、手をついた先に口元から鮮血が滴り落ちた。

白虎は、食らいついたまま、老婆の背中に爪を立て涎を垂らし主人の指示を待っている。