ーーーー康介の足音が遠ざかるのを待ってから、俺はソファーに足を投げ出すようにして転がった。

黒い革張りのソファーがぎしりと軋む。片手でシャツのボタンを一つ外しネクタイを雑に緩める。

誰に殴られたのは、生まれて初めてだった。

他人の前で感情の制御が出来なくなるのも。 

真剣に怒られるのも。

康介のあんな顔も。

 
「……痛ってぇ」

口の中は、まだ鉄臭い血液の味がする。
確かアイツは左利きだ。
思いっきり殴りやがって。

指先で触れると唇の端は、腫れていて鈍い痛みが走る。目線の先の丸い木目調の天井器具を眺めながら、康介の言葉を反芻(はんすう)する。


(俺らを使え……か。) 

言ってることはわかる。わかってるつもりだ。本来御津宮の当主としてなら当然のこと。
利用できるモノは利用して、切り捨てていく、

御津宮家の為に。

影を狩り続ける為に。


ーーーーでも俺は?

俺自身はどうなんだ。俺は、もう誰も何も失いたくない。

大切にするのと、自分で背負うのは同じじゃないのか?

今夜、真遥に会ったら、俺はどうなるんだろうか。康介の言う通り人を殺せば俺は変わってしまうのだろうか。


ーーーー自分の中の染み付いたものが疼いていく。

どろりとした感情が湧き上がって心の縁にこびりついていく。あの時の情景が見え隠れしながら心を蝕んでいく。

「礼衣……どうしたらいい?」

お前だったら何て言うんだろう。


『志築……笑って』

俺は、前髪をくしゃっと握った。ちゃんと笑ったのはいつだろうか?

「会いたい……」

決して届くことのない思いは、吐き出したと共に、天井に吸い込まれていった。