「よしよし、良い子だね。パパだよ。」

伯父が死んでから約20年。
大人になった俺も今や、晴れて一児の父だ。

難産になった時はどうなることかと絶望したが、無事に産まれてくれた玉のような息子は可愛くて可愛くて仕方がない。頑張って産んでくれた妻にも、心から感謝の気持ちで一杯だ。

俺の腕の中であどけない顔をする、生後間もない小さな命。
子どもなんて自然に成長するものだと思っていた。だがいざ自分の子を持つと、その危うさに何度肝を冷やしたことか。
本当に些細なきっかけで、子どもは命を落としかねないのだ。

…もし、仮に、万が一。
我が息子が何かの拍子に死んでしまったら、俺は伯父と同じ行動を取るだろうか。
…そうかもしれない。今なら伯父の気持ちが、少しだけ理解できる気がした。

伯父は殺人を犯したとはいえ、精神を病んでいた。
仮に自殺などせず警察に自首していたら、心神喪失者の伯父は責任能力無しと判断され、多少なりとも罪が軽くなったかもしれないのに。

身内の中で、俺が唯一心を開いていた伯父に、一目愛しい我が子の顔を見せたかった。
今更何を後悔してももう遅いとは、分かっているけれども。


「ほうら、パパだよ。パパって言ってごらん。」

息子は、自身の新芽のように小さな指をアムアム舐めるばかりで、俺の言葉に反応を示さない。
当たり前か。まだまだ赤ん坊。言葉の意思疎通が図れるわけがない。これから根気強く俺が教えて導いていかなければ。
根気強く。


「………意思疎通?」


ちょっと待て。
何かおかしくなかったか?

強烈な違和感が俺の脳を支配する。
その違和感の心当たりを辿ると、約20年前の幼少時代に帰結する。

毎年冬の新年会で、俺は伯父と二人きりで遊んでいた。翌年も、翌年も、何度も何度も言葉を交わしたのだ。


『澄はなぁ、ばあちゃんらとちっとも話してくれんのよ。
たまに返事をしたかと思えば、てんで的外れなことばかり言うだに。困っちまうなぁ。』


祖母の言葉がやけにはっきりと思い起こされる。
なぜ今まで、俺は気づかなかったのだろう。

俺と伯父が言葉を交わす中で、“意思疎通がとれない瞬間など一度も無かった。”

返事が返って来ないことはままあった。
しかし伯父は確かに俺の意思を理解し、それに沿った行動を取ってきた。
おかしくないか?
9年間精神病を患ってきた男が、幼い甥の前でのみ正気に戻ったようじゃないか。

俺の脳裏を恐ろしい仮説が過り、背筋がぞくりとした。


つまり、伯父は、

変人たる自分に“息子のように”懐いてくる俺に、「自分は安全だ」と信用させたかった。そして、二人きりになる機会を伺っていた。

何のために?
「残酷なこの世から解放してやるため」だ。
伯父は、最初から全くの()()だったのだ。

9歳の頃、マフラーを巻いてこようとした伯父の見たこともない表情。あれが、伯父の遺書にあった「おれではない誰か」なのか。それとも「本当の伯父の姿」だったのか。

…この世を去った今となっては、真実を確かめる術は無い。


「………。」

眠そうに目をしばたたかせる、小さな小さな我が息子。
目の中に入れても痛くないほどの、愛おしい家族。
…それがもし何者かの手によって奪われたら?
俺の中にも、伯父と同じおぞましい怪物が生まれる可能性があるのだろうか。

息子の寝顔に目を落としながら、俺は無意識に、聞き覚えのある台詞を口にした。



「………おまえは、元気でいるんだよ。」



〈了〉