「くそっ、やっと怪我も熱も落ち着き始めたのに。親父の野郎」


 悪態をつく兄さまの頭には包帯。

 それを見たおれは浅く呼吸を繰り返しながら、空いた手を兄さまに手を伸ばし、その頭を撫でる。いい子いい子と撫でる。兄さまが大好きなスキンシップのひとつだ。
 その一方で兄さまの手に爪を立て続けてしまう。痛いほど握ってしまう。引っ掻き傷をつけてしまう。鎮痛剤はまだ効かない。

「苦しいな、つらいな、しんどいな。水は飲めるか。カラダが熱い」

 兄さまが水差しに手を伸ばす。
 それを横目に見つつ、おれは握っている手に視線を投げる。

(兄さまの手、傷だらけ……おれがつけた傷……)

 そういえば兄さまはおれを噛んで、痕をつけて、傷をつけて喜んでいたっけ。どこにも行かなくなるし、行けなくなると喜んでいたっけ。
 じゃあ、おれが傷をつけたら、兄さまはどこにも行かなくなるし、行けなるのかな。兄さまを独りにしない約束が守れるのかな。兄さまの一番のままでいられるのかな。兄さまをしあわせにしてあげられるかな。

「……ほしぃ」

 かすれ声のおねだりを拾った兄さまが水差しを口元に運んでくる。
 ううん、おれは小さく首を横に振った。

「少しだけでもいい。飲んどけ」

 ううん、おれはいらないと首を横に振り続ける。
 おれがほしいのは水じゃない。おれがほしいのは兄さまだよ。おれは「兄さま」をしあわせにしたい。だから「兄さま」がほしい。ぜんぶほしい。

 そしたら、おれはもっと、もっと、「兄さま」のためにがんばるから。

「ほしぃ」
「ジュースがいいのか?」
「にいさま」
「ん?」
「にいさまがほしぃ」

 子どものように駄々をこねて、おれは兄さまがほしいと小さく、短く、つよく伝えた。
 思わぬ言葉だったのか、兄さまはしばらく驚いたように目を丸くしていた。
 けれど、息を吹き返したように瞬きを始めると、一変して嬉しそうに笑みを零す。それはそれは本当にしあわせそうに笑ってくれた。

「いいよ。お前がそれを望むなら、那智に俺の全部をくれてやる」

「ほんと?」
「ああ」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶ」
「何してもいい?」
「お前のものなんだ、遠慮するな。那智は何がしたい。何をしてほしい」

「傷……つけたい。そしたら、にいさまはどこにもいけない」
「そりゃあ、また可愛いお願いだな」

 嬉々とする兄さまにおれは弱々しく笑い、すぐに痛みに顔を歪め、兄さまの握る手に爪を立て続けた。それこそさっきよりも強く、つよく、つよく。

 おれにできる精一杯の傷を、兄さまにあげたい。
 この傷を見て、少しでも兄さまがおれのものだと感じてくれたら。独りじゃないと感じてくれたら。弟はいつまでも兄の傍にいると思ってくれたら、おれはすごく嬉しい。

 もちろん、これが普通じゃないことは分かっている。でも兄さまが笑ってくれるなら、普通じゃなくてもいいんだ。おれにとって兄さまが一番なんだからさ。