「目が覚めたら、兄ちゃんはおめぇのことを心配するだろうさ。自分の怪我なんてそっちのけで。それに拍車を掛けるように坊主が寝込んでいたら、兄ちゃんはまた無理するぞ。そんなの嫌だろう?」

 本当に兄ちゃんが大好きなら、まずは自分を労わるべきだ。益田警部は優しく頬を崩した。

「坊主が元気になれば、兄ちゃんも元気を取り戻す。だからこそ、おめぇさんは自分を労われ。少しでも早く元気になることが、おめぇの、そして兄ちゃんのためだぜ。なあにずっと離れ離れになるわけじゃないんだ。明日おめぇさんの体調が良ければ、兄ちゃんの下に連れてってやるよ」

 益田警部は赤の他人だ。
 兄さまは言っていた、他人を簡単に信じちゃいけない。すぐに他人は裏切る。信じたところでばかをみるだけだって。おれは警部さんの言うことなんて足蹴にして、いますぐ兄さまの下へ行くべきだ。

 分かっている、それは分かっているけど……弱いおれは益田警部の言うことを聞くことにした。

 だってぜんぶ益田警部の言う通りなんだ。

 兄さまはおれのために無理をする。
 自分の怪我より、おれの怪我を優先する。

 お母さんに虐められていた時だって、いつも、いつもおれのことばかり庇って。ちっとも自分を庇わなくて。ちっとも自分を大切にしなくて。いつも、そう。兄さまはいつも。いつも。

 そんな兄さまが怪我をしたのに、おれは何もできなくて。
 おれが傍にいても、兄さまにできることは少なくて。
 むしろ無理をさせてしまうことばかりで。

 約束だって守りたいのに、ちっとも守れなくて。

 自然と潤む視界を拭うために、おれは手の甲で何度も目をこすった。

 ばか。ここで泣き虫毛虫になってどうするんだよ。
 こういうところがあるから、お母さんはいつもおれに苛々していたんだろ。泣くな。他人が目の前にいるんだから、ちょっとしたことで泣くな。泣くなよばか。おれのばか。

「泣くだけ泣いておけ。坊主、それはお前さんが強くなるための感情だ」
 
 涙をそのままに益田警部に視線を投げると、「悔しいんだろう?」と言って、おれの無様に泣く姿にひと笑いした。

「もし、坊主が兄ちゃんに対して何もできないことに悔しいと思っているなら、今は素直に泣いておけ。その分、自分の頭で考えるんだ。いまの坊主に何ができて、何ができないのか」

 できることを見つけたのなら、それを存分に伸ばせばいい。
 できないことを見つけたのなら、できるまで努力する。もしくはできないことを弱みにしないよう考えればいい。それくらいならガキの坊主にもできる。泣くだけで終わるならそこまでだ、と益田警部は助言した。
 
 それはまぎれもなく、おれのための励ましだった。

 おれは涙を拭きながら、スケッチブックにボールペンを走らせた。


『警部さんは変わった大人ですね』


 会って間もない人間に励ましを送るなんて、とても変わった大人だと思う。

 おれが出逢った大人は暴言を吐くか、感情的に叩くか、無関心を決める人達ばかりだった。両親はもちろん、近所の人や学校の先生だって励ますことをしない大人だったのに。益田警部は変わっている。

 それを伝えると、益田警部は困ったような顔で苦笑した。