ただ思う。もしもおれ達がいなければ、と本当に思っているのなら。この存在が間違いだと思っていたのなら。

(おれと兄さまをここまで放っておいた、お父さんの判断が最初から間違いだったんだよ)

 それはおれ達のせいじゃないよ、お父さんの責任であり判断ミスだ。
 心の中でしっかりと、自分の言葉で反論したおれは、暴れ狂っているお父さんから目を離した。
 視界の端に見える。兄さまがこめかみから血を流し、床でぐったりと倒れている姿が……脳震盪を起こしているらしく、意識はおぼろげの様子。目の焦点が合っていないから、たぶん周りが見えていない。

 それでも。

「なち……益田、なちは無事か」

 俺の名前を呼んで、近くにいる益田警部に弟の安否を確認している。おれを守ろうと必死に気を保とうとしている。兄さまはいつもそうだ。いつも弟のために――。

(……おれ、もっと強くならなきゃ。兄さまの『弱点』になりたくない)

 おれは右手に握り締めたままのボールペンに目を落とす。
 益田警部は言った。見えることで強くなることもある。兄さまと同じものを持っていれば、たとえ何が遭っても乗り越えられる気がするだろう? って。
 じゃあ、いつも泣き虫毛虫のおれがお父さんに立ち向かえたのは、このボールペンのおかげかな。兄さまとお揃いのボールペンを持っているおかげ、なのかな。

「那智くんっ、だめよ! 動いちゃっ」

 傍にいるはずの柴木刑事の声にノイズが掛かっている。うまく聞き取れない。

 動けないほどの痛みに唸り、それでもおれは必死に腕の力だけで前進しようと躍起になった。少しでも兄さまの近くに行きたかった。兄さまが動けそうにないなら、おれがそっちに行く。行くから。

 だいじょうぶ。もう二度と兄さまをひとりにしないよ。おれ達はいつもいっしょだよ。やくそく。

「こんどは、おれの番。兄さまを、まもる番」

 おれがお父さんから兄さまを守る。
 お母さんのことはまだまだ怖いけれど、お父さん相手なら――たった今、お父さんに反抗できたんだ。これからはおれが兄さまのことを守る。いつもおれたちの存在を無視していたお父さんから、兄さまを、にいさまを。

 霞みぼやける視界の中、おれは腕の力で前進する。
 そして不安交じりに名前を呼ぶ兄さまの右手に自分の手を重ねると、静かにまぶたを閉じた。とっくに限界は超えていた。ああ、お腹がどうしようもなく痛いや。ほんとうに痛い。

 だけど握り返してくれる手のぬくもりは、なによりも心地よい。


「なんて地獄だよ。まったく……いい歳した大人の方がクソったれたガキじゃねえか」

 益田警部の苦々しい言葉は、お父さんの狂った喚き声に掻き消えてしまった。