お父さんは倒れた兄さまにしか眼中がないようで、頭を押さえている兄さまの腹部を素早く蹴り飛ばす――前に、おれはボールペンを逆手に持ってベッドから飛び出した。無我夢中だった。恐怖はなかった。

 お父さんを兄さまから遠ざけないといけない衝動に駆られた。

「ばか。坊主、近づくな!」

 益田警部の制止は遠い。
 おれはボールペンをお父さんの右ももに刺した、同時に腹部を蹴られる。耐えられずに、向こうの床に倒れてしまった。息ができないほどの痛みが襲う。体が痙攣しているのが分かった。

「坊主!」
「うぅっ、なち! くそ何が起きてっ、見えねえ……ばか親父、弟に近づくんじゃねえっ」

 お父さんは床で動けなくなっている兄さまから、自分に危害を加えたおれに標的を移したようで、「お前達さえいなければっ!」と叫ぶと、駆け寄る勝呂刑事や柴木刑事よりも先に、倒れたおれの首を飛びかかるように掴んできた。

「お前達がいたせいでっ、すべてが壊れた! お前達さえっ、お前達さえいなければっ!」

 お父さんは本気で首を絞めてくる。
 それはとても怖いはずなのに、こみ上げてくるのは怒りだった。

 だってこの人は兄さまを、大好きな人を傷つけた。
 理不尽で頓珍漢な暴力で、おれ達に責任をなすりつけようとしている。
 訳が分からない責任をなすりつけようとしている。
 許せるわけがない――おれ達が何をしたんだ。壊れたもなにもない。おれ達はあんた達に何もしてもらっていない。

 なのに。

「あんた達はっ、いつも自分の都合ばっかりじゃないかっ。いつも、いつもっ!」

 あれほど出なかった声がぬるりと喉を通った。
 おれは握り締めていたボールペンをお父さんの手の甲に突き刺す。
 直後、お父さんの横っ面に柴木刑事の膝蹴りが入った。お父さんの体がよろめいたところで、勝呂刑事が侵入者の手首を掴み、腕を捻り上げて床に組み伏せた。手錠を掛けている音が聞こえる。

「那智くん!」

 柴木刑事が駆け寄って、おれの身を軽く揺する。 
 息を吸おうと呼吸をするも咳き込んでしまう。
 それだけで腹部に激痛が走った。本気で傷口を蹴られたせいか、体の痙攣が止まらない。立つことも座ることもできない。あまりの痛みに動けない。

「勝呂。すぐ署に連絡しろっ! 今すぐにっ」

 益田警部の怒号に近い指示が遠い。兄さまはぶじ? だいじょうぶ?

 おれの傍では、お父さんが激しく暴れて、怒声をあげて、醜く喚き散らしている。
 言葉はすべて恨みつらみだった――あれほど支援してやったのに結局これだ。お前達さえいなければ、すべてが上手くいっていたのに。あの女の血を引くだけある。今度は何が目的だ。ヒトの弱みに付け込んで何をしようとしている。殺す、殺してやる等など、感情のまま暴言を吐いていた。

 頭に血がのぼっていることだけは見て取れた。
 でも、分かるのはそれだけだった。
 お父さんとおれ達の関係性なんてそんなものだ。傷付く言葉なんてひとつもない。