俺は珈琲缶をすべて飲み干すと、さっさと立ちあがってゴミ箱にそれを捨てた。

「まあ。好意があろうが、悪意があろうが、目的が俺だろうが関係ねえけどな。犯人は那智を傷つけた」

 それは変えようのない事実だ。

「下川。犯人が捕まっていない以上、下手な行動は起こすなよ」

 へらへらと会話していたおちゃらけた声が、一変して野太い声となり、しっかりと俺の思考に釘を刺してくる。
 益田は本当に苦手なタイプの人間だ。
 俺の気持ちをどこまでも見通してくるんだから。

「お前さんを良識ある人間としてセーブさせているのは、誰でもない弟なんだろう。坊主がいるから、お前さんは自暴自棄にいられずに済んでいる」

「良識あるかどうかはさておいて、自暴自棄でいられずに済んでいるのは確かだな」

「弟は、かわいいか?」

 問いに、思わず口角を緩めてしまう。

「可愛すぎて、どうにかなっちまいそうだ」

 良くも悪くも暴走しそうだと言葉を置いて、待合室を後にする。
 これ以上、長話に付き合う気はなかった。那智の話をしたら、無性に弟の顔を拝みたくなった。帰らないと。

「一番の曲者は下川の兄ちゃん、か」

 益田の独り言は静寂に包まれる病院の空気に溶け消えた。
 幸か不幸か、俺の耳にまでそれは届くことはなかった。


 病室に戻ると、俺は悲鳴を上げそうになった。
 扉を開けた先で、腹を抱えて座り込んでいる那智とぶつかりそうになったからだ。

「那智。お前、ベッドから出たのかよ。だめじゃないか。寝てないと」

 無理に動いたのか、那智は痛む腹を押さえ、顔を顰めて唸っている。

「ほら、ベッドに入るぞ」
「やだ」
「寝てないと」
「兄さまがっ、またいなくなる」

 そんなのいやだ。耐えられない。那智は俺の服を握って駄々をこねた。
 まんま子どものようにベッドに入りたくないと言うものだから、俺の口元は緩みっぱなしだ。本当にどうしてくれようかねえ、俺の弟くんは。可愛すぎて食べちゃいたいぜ。

 とはいえ、ベッドに入ってもらわないと那智の体に悪影響だ。

 俺はその場で片膝をつくと、那智の身を横抱きにしてベッドに向かった。
 こいつもずいぶん重くなったな。いつまで那智を抱っこしてやれるかねえ。できることなら、もう成長はしないでほしいんだけど。俺よりもデカくなったら泣くぞ。