(那智が、俺を狂ったように求めた。狂ったように、俺を)

 その寝顔を見つめ、俺は嵐のような出来事を思い出しては、興奮にも似た感情に浸っていた。こんなにも満たされる気持ちになるのは生まれてこの方、初めてかもしれない。
 どうしよう。思い出せば思い出すほど、興奮がこみ上げてくる。

(那智は俺を想って発狂した。そして俺に縋って他人を怖いと、母さんだと思って拒絶した。それがどうしようもなく哀れで可哀想で可愛い)

 ああ、あぁああ、ああぁあ本当に可愛い。

 今まで面倒看てきた中で一番に可愛い那智の姿に、大興奮している。
 発狂した那智が可愛い。俺だけを想い・見て・心配して発狂した弟。他人を拒絶する那智がこんなにも可愛い。

(他人は怖いものだと強く教え込めばいいのかもしれねぇ)

 それこそ、目が合うだけで泣き叫ぶほど怖いものだと教えれば、那智は俺だけを求めてくれるんじゃねえか?

 いつだってそうだ。
 那智は俺の教えたことを素直に受け入れ、それを正しいと思ってくれる。
 那智が刺されたことは、もしかすると怪我の功名かもしれない。もちろん、腸が煮えくり返るほど許せないことに違いないが、あんなにも興奮する姿を見せてくれるとは嬉しい予想外だった。

 そして俺自身がこんなに興奮するのも予想外だった。

(最愛の家族を傍に置くだけで満たされると思っていたのに――俺はマジモンの変態だな)

 理想は弟と二人で末永く幸せに暮らすこと。
 でも現実は弟を失うかもしれない恐怖が、常にまとわりついてくる。とくに今回は傍に置くだけじゃ駄目なんだと学んだ。

(ただ傍に置くだけじゃ、いつか那智が誰かに奪われるかもしれない。どんなに俺が言い聞かせても、那智は那智自身のもの。最終的に選ぶのは那智だ。俺以外の人間を選ぶとも限らない)

 そうならないためにも手を打つ必要がある。

(どうすればいい。どうすればお前は俺だけを選んでくれる?)

 どれほど寝顔を見つめていたのか、喉の渇きを覚えた。
 その頃には那智の手の力も弱まり、するりと手を抜くことが可能となる。
 物音を立てないように病室を出た俺はエレベーターに乗り、自販機のある待合室へ向かった。