俺は身を丸めて泣きじゃくる那智の背中を軽く叩きながら、「お前のおかげで兄さまはここにいるよ」と何度も繰り返す。

「お前が傍にいてくれたから、俺は母さんよりも強くなれた。今の生活だって送れている。那智、お前のおかげなんだ。だからそう自分を責めるなよ」

 そう言っても那智は発狂したまま、ただひたすらに泣きじゃくった。
 その内、俺以外の目に映る人間を「お母さん」だと言い出し、過呼吸を起こして悲鳴と奇声をあげた。こうなってしまえば、落ち着くまで半日は要する。

 それだけなら良かったんだが、那智は自分の腕を引っ掻き、四肢をばたつかせて暴れ始めた。下手すりゃ傷口を引っ掻きかねないし、せっかく縫合した傷口がぱっくり開くかもしれない。

「那智。暴れるな! 兄さまが分かるか?!」

 俺は益田達にナースコールを頼み、暴れる那智を必死に押さえた。 
 呼ばれた看護師や医師が那智の様子に血相を変え、その体に手を伸ばした。痛めつけられると勘違いした那智が、「いやだ」と俺に泣きつき、体にしがみついてくる。

「兄さまっ、やだよ。痛いの、やだよぉ!」

「怖くない。那智、怖くないから。すこし注射を打つだけだから。暴れたから傷が痛いだろ? 痛み止めを打ってもらおう。な?」

「やだ。やだ、やだやだやだ兄さま兄さまっ、兄さま!」

 喚く声は病院中に響いているんじゃないかってくらい大きかった。もうガチ泣きもガチ泣き。腹の傷のことなんてお構いなしに、泣きじゃくって止まらない。仕舞いには。

「兄さまお部屋に行こう行こう行こう。戻らないと、お母さんが叩くよ!」

「大丈夫。お母さんはいない、いないから」

「やだやだ、いやだ。兄さま。お母さんごめんなさい叩かないで兄さまを叩かないで嫌だおれが悪いの叩かないでごめんなさいごめんなさい」

 イマジナリーお母さんに怯え、ただひたすら俺に縋り、ごめんなさいしか言わなくなってしまった。

 とにかく病室は嵐、嵐、大嵐だった。
 発狂した那智を宥めることに慣れている俺でさえ、今回は参った。くたびれたの一言に尽きる。それだけ那智の気の動転っぷりは酷かった。

 反面、どうしようもなく可愛いと思えるもんだから、俺はちょっと異常なのかもしれない。
 だって、那智はずっと俺を、俺だけを求めてくれた。他人の手を拒んで、俺だけを求めていたんだから、そりゃもう可愛いの一言に尽きる。兄さまはメロメロだ。メロメロ。

(はじめてだ。狂ったように、俺を求めてくる那智を見るの)

 ようやく寝ついた弟の寝顔は腫れている。
 ひとりにならないように、俺の手を握って放さない。
 少しでも解こうとすると力が込められる。起きているとも取れる行動だが、本人はしっかり寝息を立て、泣き疲れた心身を回復しようと努めていた。