ああ、なんて、可哀想で可愛い弟なんだろう。
俺のために、お前はそこまで傷付いてくれているなんて。怯えてくれるなんて。想ってくれているなんて。
だから、俺はこいつに信用が置けるんだ。唯一の家族だと思えるんだ。
「那智。ほら、抱っこしてやる。おいで」
弟を落ち着かせるために腕を伸ばして、やせぎすの身を膝に乗せた。
平均よりも軽いであろう那智の背中を優しく叩き、小さな頭を何度も撫でてやる。
それを繰り返している内に、叫び声が聞こえなくなった。代わりに鼻を啜る音が聞こえてくる。冷静を取り戻しつつあるんだろう。
「あーあ。ひどい顔になって。那智は泣き虫だな。こんなことで泣くことねーだろ。母さんの暴力なんていつものことだ。怪我はすぐに治るよ」
うつむいていた那智が顔を上げ、自分の涙を手の甲で拭う。もう泣いていないと、態度で示しているようだ。はは、かわいいな。お前は。ほんとうにかわいい。
「ほんとうに、すぐ治ります? 痛くない?」
「ああ。那智が俺を信じてくれるなら、すぐに治るよ。いまは痛いけど、明日にはそれも取れているはずだ。お前が俺を好きでいてくれるなら、きっと」
途端に那智が首をかしげてしまう。
俺にとって、きわめて重要なことを言っているつもりなんだけど、弟には伝わってこないようだ。
「おれ、兄さまのこと、嫌わないですよ? 兄さまはお母さんと違って優しくて、強くて、抱っこしてくれます。痛いこともしない。兄さまのこと大好きです」
涙と鼻水でくしゃくしゃな顔が、屈託のない笑顔を作った。
純粋な気持ちが伝わってくる。それが嬉しくて、うれしくて、俺は那智を抱きしめた。
「いいか那智。母さんに暴言を吐かれても真に受けるな。あれは、俺達にとって他人なんだ。周りの人間もそうだ。誰になにを言われようと信じるんじゃねーよ」
他人は簡単に裏切る。俺が近所の人間に助けを求めた時、幼いながらにそれを知った。
だから、俺に他人を信じるという選択肢がない。信じることができないと言い換えるべきかな。那智にもそうあって欲しい。
だって、もう俺にはお前しかいないんだ。
他に家庭を持つ父さんも、子どもを玩具にして暴力を振るう母さんも、俺を必要としていない。学校にいる連中は、俺を面倒な存在として避ける。近所の奴等なんざ論外。弟だけが俺を必要としてくれる。
俺は那智さえいてくれたら、なにも、本当になにもいらないんだ。