「な、那智!」

 那智はその場に膝を崩し、犯人は脱兎の如く逃げ出した。優一の怒声が聞こえ、早川の救急車を呼ぶ指示が一帯を騒がせる。

 俺は転がるように那智の下へ。
 痙攣している体を起こしてやると右の脇腹を押さえ、ぜぇはぁと息をついていた。
 脇腹には深く出刃包丁が刺さっている。指の隙間から溢れる鮮血に気が動転してしまうも、「いたぁぃ」と、苦痛を訴える声で、なんとか気丈を保つことができた。 

 血……血を止めてやらないと。

「にぃ、」
「しゃべるな! 大丈夫、大丈夫だから」

 その場にうずくまる那智を横たわらせて、脇腹に目を向けた。血はどんどん流れていく。言葉が出ない。どうすればいい。どうすれば止まってくれる。刃物に刺された場合、刃物は抜くなとテレビで言っていたがっ、だめだ頭が回らない。

「治樹。そこを退け! タオルをもらってきた!」

 いつも馬鹿ばっかり言う優一が、この時ばかりは頼もしく見えた。
 無理やり俺の隣に座ると、店からもらってきた大量のタオルを傷口に当て始める。誤っても刃物は抜かないように、そして体内で刃先がぐらつかないように、しっかりとタオルで固定しながら止血を試みている。

「治樹、那智くんが動かないように押さえておいてくれ。なるべく傷口を広げたくない。痛くて身じろぎそうになっても、押さえておいてくれ」

「あ、ああ。分かった」
「しっかりしろ治樹! さっそく那智くんが動いてるぞ。体の中で刃物がぐらついちまうっ」

 止血をしながら、優一が語気を強めた。
 それによって我に返った俺は那智の体を押さえ、身じろがないように努めた。

「悪い。ちゃんと押さえておく。優一っ、止血を……止血を頼む」
「分かってる。やれることはするよ」

 「うぅ」那智の口から弱々しいうめき声が漏れた。

 ごめん、ごめんな。痛いな。でも、我慢してくれよ。

「那智。兄さまが分かるか。すぐに救急車が来るからな」

 だから、だからな。
 だから兄さまを置いて逝かないでくれよ。
 声にならない声を上げると、少しだけ光を取り戻した那智が俺を見つめてくる。そして、強がるように笑った。

「せっかく……えらんだのに。おとしちゃ……た」

「また選べば良い。兄さまと育てたいんだろ? また選んでくれよ。たくさん買ってやるからさ。ミント」

「かも、みぃるですってば」

 那智が一生懸命、震える俺に笑い掛ける。
 そして俺をひとりにしないよう、力なく俺と手を繋ぎ、頑張って痛みに耐えようとしていた。痛くない、痛くないと暗示を掛けている。

 そんな那智に俺は何もできなかった。
 野次馬が集まり、やがて救急車が来るまで、手を繋いで、傍に居てやることしかできなかった。