「あんたが一緒に来てくれるまでよ。あと、誰がナナシ女よ」

「お前。名前知らねえから」

「……福島」

「ふうん。で、ナナシ女」

「あんたの性格の悪さを痛感したわ。冷血男」

 ナナシ女のこと、福島が歯を剥き出しにして怒ってくる。
 怒りたいのはこっちなんだけど。身に覚えのない言い掛かりをつけられた挙句、ストーカーとか。勘弁しろって。

 とはいえ、怒鳴ったところで火に油を注ぐだけだろう。
 ああいうタイプは徹底的に相手をしないに限る。今日はバイトもねーし、さっさと家に帰って那智の顔を拝みたい。癒されたい。可愛がりたい。

 ポケットに入れている携帯が鳴ったのは、ほどなくしてのこと。
 画面を確認すると、たった今、思っていた弟の名前が表示されていた。心が躍ってしまう。那智から電話をもらえるだけで疲れが吹っ飛ぶ。

「もしもし。那智か」

 足を止めて、電話の向こうにいる弟に話し掛ける。真後ろに福島が立った。盗み聞きしているんじゃねーぞ、てめぇ。

『……兄さま』

 返ってきたのは萎んだ、暗いくらい声。俺は眉を寄せてしまった。

「どうした。何か遭ったのか?」
『……それが』
「那智?」

『へんな人が……図書館を出たところから、ずっとつけて来るんです。おれ、こ、怖くて』

 那智のべそを掻く声が上擦る。

 曰く、16時過ぎまで勉強をしていた那智は、そろそろ切り上げて夕飯の買い出しへ行こうと図書館を出たそうだ。

 いつもと変わらない日常に、異変が起きたのは直後。
 キャップで顔を隠した、たぶん男であろう長身がつけて来たそうだ。
 最初は気のせいかな、と思っていたらしい。が、スーパーマーケットまで男はついて行き、総菜売り場、野菜売り場、加工食品、那智の行く先々で姿を現した。

 周囲の空気に敏感な那智はすぐに怪しい男だと気付き、何も買わずにスーパーを飛び出したらしい。

『駆け込んだコンビニまでついて来たんです……兄さま、どうしよう』

「お前、今どこにいる? 迎えに行ってやるから」

 何気なく後ろを振り返ると、福島の姿が見当たらない。
 目を細めてしまう。どこに行った、あの女。
 俺が相手をしねえから諦めて消えてくれたのか? あんなにしつこかったのに?

『いつも兄さまが利用するバス停があるじゃないですか。その向かい側のコンビニのトイレにいます。売り場に戻ったら、またいそうで』

「いいか那智。落ち着いて聞け。できるだけトイレにいろ。もし、それに限界がきたら、売り場に戻って雑誌売り場に行け」

『雑誌売り場?』

「ああ。立ち読みする振りをするんだ。そこなら人目につきやすい。危なくなったら声を出せ。出なかったら、雑誌を投げて店員に助けを求めろ。下手にそこを動くな」

 那智の性格上、今すぐに店員に声を掛けて警察を、なんて行動は起こせないだろう。
 かといって妙な行動を起こせば、それこそ相手が逆上しかねない。

 俺は再三再四、那智にまずは落ち着くこと。できる限りトイレにいること。限界がきたら、雑誌売り場で立ち読みする振りをするよう念を押した。