うそでしょ。
まさか鳥井さん、あの急斜面を自力で下りてきたの?
おれは顔を引き攣らせると、咄嗟に近くの茂みに隠れる。
必死に息を殺しながら、鳥井さんの姿を探す。微かに声と足音は聞こえるけど姿が見えない。すぐ近くにいるのか、遠くにいるのか、それさえも分からない。早くどっかに行って。はやく!
『那智、聞こえるか那智』
せっかく兄さまと繋がったのに、これじゃまともに通話ができない。
おれは携帯を抱きしめて、少しでも外に音が漏れないよう努める。雨風は強くなるばかりで、体の芯から冷え始めたけど、緊張と恐怖のせいでまったくそれらを感じることができない。
と、兄さまが異変に気づいたのか、抱きしめている携帯からおれに指示するような声が聞こえた。
このままだと聞き取れないから、おれは十二分に周りを確認して、携帯に耳を当てる。
『声を出さなくていい。俺の質問にイエスなら一回、ノーなら二回、携帯の画面を叩け。お前は今、まずい状況にいるのか』
おれは携帯の画面を一回指で弾いた。
『お前を攫った犯人が近くにいる?』
もう一度、携帯の画面を一回指で弾いた。
『もしかして逃げてんのか。犯人から』
さらに携帯の画面を一回指で弾いた。
兄さまはそれだけである程度、状況を察したらしい。軽い舌打ちが聞こえる。
おれは鳥井さんが近くにいないことを五回、六回確認すると、風の強さを見計らって、小声も小声で兄さまに現状を伝える。
「鳥井さんがおれを探しています。捕まったら、今度こそ逃げられない。事務所に連れて行かれる」
『鳥井? それが犯人の名前か』
「おれを刺した通り魔だって言ってました」
『……なるほどな』
苛立った兄さまの声を遮るように、益田警部の指示する声が聞こえた。
全然聞き取れないおれの代わりに、兄さまが聞き取ったようで、おれに所持している携帯にグーグルマップのアプリが入っているかどうかを尋ねてくる。
画面を切り替えて、グーグルマップアプリを探す。
それがあった旨を伝えるため、携帯の画面を一回指で弾いた。
『よし。そのアプリを起動させろ』
アプリを起動したことで、現在地と住所が表示された。
おれは指示の意図を察し、小声で現在地の住所を読みあげた。難しい漢字があって途中ぐだってしまったけど、兄さまはちゃんと住所を聞き取り、それを口に出して益田警部に伝えていた。
おれはホッと胸を撫で下ろす。住所さえ伝えてしまえば、きっと兄さま達が動いてくれる。助けを求めるミッションは無事クリアだ。あとは。