正午過ぎになると、鳥井さんに起こされ、おれは命じられるがままお風呂に入った。
三日ぶりのお風呂は天国だった。湯船に浸かるだけで、疲労が溜まっていた身心がすっきり。おれは幾分か元気を取り戻した。いっぱい寝たのも要因に挙がるかもしれない。
部屋に戻ると、身支度を済ませてチェックアウト。
昼食を取るために、適当にドライブスルーでハンバーガーを買い与えられ、それを二人で食べた。
(……外、雨が降りそうだな)
助手席の窓から空の色を確認したおれはチーズバーガーを口に押し込むと、今夜は降るかもしれないな、と予測する。雨の中、おれは三日目の車中泊をするのかな。少しだけ気が重い。どうせ寝るなら、ベッドの上が良い。ベッドで寝られるならラブホでもどこでもいいから。
今にも降り出しそうな空を眺めていると、車載ホルダーに設置している鳥井さんの携帯が鳴った。
また仕事の電話なのかな?
そう思いながら視線を流すと、鳥井さんは携帯画面に表示された名前に顔を顰めた。読めない漢字が多かったけど、ナントカ施設と表示されている。木に花って書いてなんて読むんだろう? キハナ施設じゃないだろうし。
「……悪い、一郎。いまは出てやれねえ」
鳥井さんは携帯に向かって小さな独り言を呟くと、気まずそうに視線を逸らしてしまった。
しばらくの間、携帯が鳴っていたけど、やがて諦めたかのように音が止む。
それを十二分に確認した後、鳥井さんは車載ホルダーから携帯を外さず、設置したまま画面を触り、『161616』と番号を入力して画面のロックを解除していた。
一連の流れを眺めていたおれは“一郎”は鳥井さんにとって重要な人間だと察する。
鳥井さんの苦い表情と、暗証番号の語呂合わせがすべてを物語っていた。
たぶん『161616』は「イチロウ」の語呂合わせなんじゃないかな。そして語呂合わせするくらい、鳥井さんにとって大切な人なのかもしれない。憶測でしかないけど……大切な人か。兄さまに会いたいな。今頃何をしているのかな。兄さま。ご飯食べているかな。元気かな。
閑話休題。
午後三時過ぎから、鳥井さんは目的を持って運転を始める。
それはそれは嬉しそうに、やっとお守から解放される。事務所にガキをあずけられる。自分の部屋に帰れる、と喜んでいた。どうやらおれは事務所にあずけられるみたい。どういう事務所かは分からないけど、鳥井さんは本当に喜んでいた。
車載ホルダーに設置している携帯との通話によれば「正式に前金が入ったのか」「八時には着くと思う」「警察の動きだけは逐一教えてくれ」云々かんぬん、とにかく会話を弾ませている。
車中泊をしていたのは、おれの居場所を警察に覚られないようにするためのカモフラージュだったみたい。それが終わる、ということは、何かしら動きがあった。もしくは次の段階に入ったってことなんだろうけど……残念なことに捕らわれの身分であるおれじゃ、ちっとも状況が呑めない。
分かることと言えば、このままだとおれは本当に兄さまと会えなくなってしまう、ということ。
これは不安からくるものじゃない。直感だ。
(事務所にあずけられたら、今度こそ逃げ出せる機会はない。その前に逃げなきゃ)
問題はどこで勝負を仕掛けるか、だけど。
ふと、おれは通話中の鳥井さんが一番隙があることに気づいた。
車を運転している鳥井さんの目線は前。耳は通話相手に傾けているんだから、隙ができるのはしょうがないこと。殆どおれに注意が向いていない。