(那智が連れ去られた、なんて)
俺の願いは弟としあわせに暮らすこと、ただそれだけなのに。
どうして世界は俺と那智を引き離すようなことばかり起きるのか。
ばかみたいに怒れる俺と、ばかみたいに冷静になる俺が身も心も脳みそもぐちゃぐちゃにしてくる。ああ、どこで間違ったっけ。俺はどこで道を間違えた? どこの選択を間違えなければ、この未来は迎えなかったのか――嗚呼、落ち着け。取り乱すな。冷静になれ。心を殺せ。ここで他人に弱みを見せたところで何も変わらない。那智を、取り戻さないと。奪われたのなら、奪い返すだけの努力をしねえと。まずは頭を整理しねぇとな。
「下川の兄ちゃん。おめぇと坊主の仲は十二分に承知している。だからこそ、釘を刺すぞ。警察に任せろ」
益田の言葉を右から左に聞き流し、俺は買った荷物をソファーに置くと携帯と財布だけ持って病室を後にする。
「お、おい治樹。どこに行くんだよ」
慌てて後を追って来た優一が呼び止めてくる。
俺は足を止めないまま、「休憩所」と単語で返事をして、適当に優一の心配をあしらう。
どうせ俺の行動を監視するように柴木か勝呂がついて来るだろうが、構わなかった。本当に休憩所に行って飲み物を買おうとしているだけなんだからな。
それから二日間、那智の情報はまったく手に入らず、時間だけが過ぎていった。
その間、俺は誰とも口を利かず、病室で淡々と状況を見守るだけ。
福島や優一から定期的に、差し入れを渡されたが口につける気にはならなかった。
ただただ那智のことが気掛かりでならなかった。乱心しないでいられたのは、俺自身が心を殺しているからだろう。俺の中で喜怒哀楽の一切が消えていた。
本当はすぐにでも行動を起こしたい。だが那智を探し出す名案も浮かばない。どうする、どうすれば、あいつを探し出せる。
事態が急変したのは三日後の夕暮れ。天気は雨。
病室でダンマリと思案に耽っていた俺の携帯に一通の着信が入る。
それは見知らぬ電話番号だった。よくある保険の勧誘、もしくは金融機関の迷惑電話だろうと無視したが、その電話番号は何度も俺の携帯に着信を入れてくる。
5分という短時間に五回も、六回も着信が入ったらさすがに怪しむ。
俺は見知らぬ電話番号を睨むと、七回目の着信にして電話に出た。三日ぶりに声を出した瞬間だった。
「……誰だ?」
電話機の向こうはノイズが酷い。
衣服がこすれるような音に、荒々しい呼吸に、それから雨音に――『にぃさま』。
思わず立ち上がり、俺は声を荒げた。病室にいた警察達が注目しているが構う余裕はない。
「那智っ、那智なのか?」
酷いノイズの中に、うん、うん、と泣きそうな声がひとつ。
『よか……た……にいさま……電話……やっと……つなが……た』