「治樹? そこにいるのは治樹じゃないか!」

 俺の用事は休学届を出す。それについて職員と相談する。あとは大学を出てNPO法人に向かう。

 それだけだったのに、なんでだだっ広い大学の敷地内で優一と顔を合わせるんだよ。出会う確率なんてコンマ単位なんじゃねえの? それとも何か、近道しようとした俺が悪いのか? 俺が悪いのか?

 心底ゲンナリする俺を余所に、優一は俺の姿を見るや大きく手を振って嬉しそうに駆け寄って来た。

 一度は無視したが、「元気そうじゃん!」「さみしかったぞ!」「親友の顔は忘れていないか!」とばかみてぇに大声で一方的な会話をぶん投げてきた。

 勘弁しろって。
 いまの俺はあんまり目立ちたくねえんだよ。週刊誌の記者がどこにいるかも分からねえのに。

 俺は駆け寄って来た優一の頭をぶん殴って黙らせることにした。
 殴られた優一は頭部を撫でながら、「手加減しろって」と文句を言いつつも、ニカっと笑顔を作った。

「よ、久しぶり。講義を受けに来たのか?」
「休学届を出しにきた」

 短く返事をすると、優一は苦笑いを浮かべて、「そっか」と相づちを打った。
 それは同情ではなく、仕方ないよな、と意味合いを込めた相づちだとすぐに分かった。
 腹立つが優一は高校の時からこういう奴だ。おおよそ虐待のことを知っていても、俺に同情を向けたことがない。いつだって気まずい話は当たり前のように相づちを打つ。すんなりと受け入れる。それができる人間は少ない。

「色々遭ったもんな。弟くん、元気か?」
「……まあな」

 歯切れの悪い返事をしてしまう。
 そういえば、那智の止血をしたのは優一なんだよな。
 こいつの的確な止血が那智の命を救っている。謂わば、命の恩人ってやつだ。
 こういう場合は謝礼金とか渡すべきなのか? 変に恩を売っていても気持ちが悪い。弱みを握られている気分になる。

 俺は財布を取り出すと、中身を確認しながら優一に話を振る。

「さすがに三万じゃ足りねえよな」
「なにが?」
「謝礼金」
「はい?」
「五万もあれか。十万以上だと分割払いになりそうだが」
「治樹。俺、お前とは高校からの付き合いだけど……お前のやりたいことが分からない。いつもは察せるけど、今回は全然分からない」

 謝礼金とは何の話だ。
 真剣に悩んでいる優一の鈍さに呆れながら、「人命救助の報酬」とわかりやすく伝えてやる。
 そしたらどうだ。優一はたいそう間抜けな声を出した後に、大大大爆笑してきやがった。なんだよおい。

「久しぶりに会ったと思ったら治樹、お前ばかになったの?」
「ンだよ。喧嘩売ってんのか」

「本当のことだろ? 俺に後ろめたい気持ちがあるなら、そこの自販機で珈琲でも買って、一緒におしゃべりでもしてくれ。浩二と待ち合わせしているんだけど、あいつ全然来なくてさ。すげぇ暇なんだ」

 優一は顎で校舎に設置されている自販機をしゃくり、人命救助の報酬を珈琲と会話で良いと言った。
 あまりにも安い要求に俺は疑心暗鬼になってしまう。最初は安い物を要求して、だんだんと高い物を要求する……詐欺の手口みてぇなことをするんじゃねえだろうな? 俺はさっさと金を渡して弱みをチャラにしたいんだが。

 とはいえ、『人命救助』の件で弱みを握られている以上は断るわけにもいかない。
 俺は優一の隣に並んで、自販機へと向かった。