【3】



「――あれ、兄さま。起きたんですか?」


 重たい瞼を持ち上げると、高い天井が俺を見下ろしていた。
 ゆっくりと上体を起こすと、掛けられていた毛布が滑り落ちる。寝転がっている場所はソファーのうえ。枕代わりの肘掛け元には車いすに乗っている那智が、読書の手を止めて俺に微笑んでいた。

 俺は順にソファー、文庫、そして那智に目を向けて、状況の把握に努める。

「なんで寝てるんだっけ」

 確か益田にラーメン屋へ連行された後は、ケーキ屋に寄って、那智の土産を買って。
 病院に着いた後は、那智の病室に直行したんだよな。だけど那智は病室にいなくて。看護師に行方を話を聞けば、まだ心理療法(セラピー)を受けている真っ最中だって聞いて。

 那智に一刻も早く会いたかったが、今のうちに今日掴んだ情報や遭った事件をまとめるのが優先だと判断した俺は携帯のメモ帳に箇条書きしてたんだよな。
 ついでに益田から貰った物件探しや引っ越し、今後の生活に必要な情報が載った書類に目を通していた。そこまでは憶えている。憶えているんだが……ああ、こりゃ寝落ちしたな。

 俺は携帯を取り出して時刻を確認する。20時32分。消灯時間まであと1時間半か。30分くらい寝落ちしていたようだ。

「兄さま。おかえりなさい。ずいぶんと疲れているようですけど」

 そりゃ濃い一日を堪能したからな。
 心中でゲンナリしながらも、俺は表に出すことなく「悪かったな」と言って那智に謝った。
 すぐに戻るはずが半日も留守にしてしまった。本当は心理療法(セラピー)までに戻って来る予定だったのに、どうしてこうなった。
 那智は自分は平気だと笑うと、車いすを動かして風呂場の電気を点けた。

「寝る前に湯船に浸かった方がいいですよ。いま、お湯を張りますね」
「風呂はめんどいから、べつに入らなくていい」
「だめだめ。少しでいいから浸かってください」

 よいしょ。
 那智は掛け声と共に車いすから降りて立ち上がると、壁伝いに歩き始める。
 それまで寝ぼけ生返事をしていた俺は、那智の行動に目を削ぎ、大慌てで後を追う。

「ばかやろう。車いすから降りるんじゃねえよ」

 まだ担当医から許可が下りていないのに。
 俺は傷に響かないよう器用に身を屈めて風呂の栓を閉める那智を、後ろから腹部に刺激を与えないように抱える。
 那智は悪びれた様子もなく、ただただ面白可笑しそうに大げさだと笑った。曰く、みなが思うよりも傷は痛んでいない。伝い歩きくらいなら普通にできる、とのこと。