担当医がいなくなる頃合いを見計らい、俺はスツールに腰を掛けて、ベッドの上で横になる那智に声を掛ける。

「那智。さっきは」

 悪かった、という言葉は塞がれてしまった。

 まじで何が起きているか分からなかった。
 いきなり那智が腕を伸ばしたと思ったら、小さな両手で頬を包んできて唇を重ねてきたんだぜ? そりゃ驚くよりも先に混乱しちまう。
 目を点にする俺の唇に人差し指を当て、那智は目じりを下げる。

「言い訳はなしです。あんまりうるさいと、口を塞いじゃいますよ」

 つまるところ、謝ってくれるな、と那智は言いたいらしい。
 いや、俺の驚くところはそこじゃなくてだな……。

 途方にくれている俺を余所に、意気揚々と行動を起こしてくれた那智は「あれ?」と言って顎に指を当てる。

「先に『あんまりうるさいと、口を塞ぐぞ』だったっけ。ううん、台詞の後にキスが良かったかもしれない。難しい」

「……那智。兄さまはとても混乱しているんだが」

「分かります。おれもキスをしてみて、キスは台詞の前より後の方が良かったかな、と反省しています」

 びっくりするくらい会話が噛み合ってねえ。
 すげえな。何年も那智と一緒にいるのに初めてだぞ。

「えーっとだな。那智くん。一応聞くぞ。今のは一体なんだ?」

 額を押さえながら、行動の意味を改めて聞く。
 すると那智はいたずら気に笑って、「ごめんなさいを聞きたくなかっただけですよ」

「兄さまったら、いつも自分の気持ちを隠しちゃうから。我慢しなくていいって言ってるのに。おれは兄さまの望むことをしたい。兄さまが喜んでくれるなら、おれも嬉しいのに」

 落ち込む姿は見たくない。
 那智はきっぱりと言い切り、それゆえの行動だったと微笑んだ。

 「何も言えなくなったでしょう?」と、からかってくる那智は、面を喰らっている俺を見て、調子に乗ったようだ。

「しょぼくれている兄さまが可愛く見えたのもキスした理由ですね」
「は?」

「おれは日々ドラマやアニメを観て学んでいるんですよ、兄さま。大好きな人が可愛く見えたらキスをする。これドラマの鉄則です。いまの兄さまはちょっと前に見た学園ドラマのヒロインっぽかったので、これはちょっとやっちゃおうかな、と思いまして」

「…………那智くん。お前の目には、兄さまがヒロインに見えたと?」

「はい。ちっちゃいことで落ち込む兄さまは、とても可愛かっタタタタタ! どうして頭を押さえるんですか! 兄さま、本当に可愛かったですよ嘘じゃないですよ! アダダダダダ! 縮むっ! ちぢむっ!」

 誰が、誰の、なんだって?

「まじで那智くんっ、どうしてくれようかなぁ! 兄さまは今、とてもとても恥ずかしい気持ちでいっぱいなんだが?!」

「なるほど、照れてるんですね! イタタタタッ、またぐりぐりする!」
「この野郎っ。兄さまの兄心を踏みにじりやがって! 可愛いと言われて、兄さまはとても傷付いたぜ?」

「かわいいお兄ちゃんだって、この世の中いっぱいいると思いますよ?」
「そういうことじゃねえよ、ばかたれ! これでも俺はお前を思って、真剣に申し訳ないと思っていたのに」

「うんうん、ちっちゃいことで悩んじゃう。オトメゴコロにはよくあることです」
「とことん兄さまに喧嘩売ってきやがるな。那智クーン」

「いいじゃないですか。兄さまだって、おれに『兄さま』をくれたんですから、おれのやりたいことをしただけですよー」

「それとこれは話がべつだ、べつ!」

 大体誰がヒロインだって、だれが!
 いいか、こういうことは兄貴が弟にするもんだろうが。可愛い弟に兄貴からするもんだろうが!

 兄さまはヒロインみたいでカワイイ? うるせえよ! 那智お前っ、泣き虫毛虫中坊のくせになんっつーことをしやがるんだ! 変なところでばかみてぇに行動力を発揮しやがって!